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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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最近、株価も上昇しまくって円高も解消されつつあり、デフレ脱却、景気回復への道が
見えてきたようであります。

私の周りでも何となく景気戻って来てんじゃね?みたいな空気が出てきており、
この調子で行けば再びバブル到来の予感であります。

スピリチュアル好きな人は、何故か経済成長やお金を嫌っているというか、
何か汚いもの的な捉え方をされている方もいらっしゃるようですが、
煩悩が服を着て歩いている私としては、経済成長すれば日本中が豊かになるわけで、
私もハッピー、あなたもハッピーで何も言う事無いと思います。

まあ、お金が無いから不幸で、お金が有るから幸せって事でもないですけど、
経済成長自体は何も悪い事ではないですよね。

若者はどんどん結婚してどんどん子供を生んで少子高齢化も解消、
私のオヤジみたいなうるせえ団塊はどんどんくたばって、
私みたいないい年こいてプラプラしてる遊び人の独身はさらに遊んで、
さらに趣味にお金をかける事で経済が回り、日本は平和になると思います。

特に私なんかは「就職氷河期」という言葉が出始めた世代であり、
バブル景気というものを実感していない世代なので、是非ともバブリーな世の中に
なってボディコンの姉ちゃんと遊びたいであります。

お金というものは別に欲望の塊でも何でもなく、単なる紙切れであり、
しかも使う事を前提にしないと全く価値を発揮しないというある意味面白いモノです。

なので「金さえあれば何々が出来る」ではなく「金さえあればどんどん使う」
思うべきであります。「使う」ってのは言い換えれば「他人に渡す事が出来る」という
事です。いかなる大金を持っていたとしても、それを受け取る人がいなければ
お金は価値を発揮しません。なので「金があれば何々が出来る」というのは間違いです。
あくまでもお金を受け取る他人が存在しなければ、お金は何も出来ないのです。

なので強引にスピ系の話に持っていくと、「まず与えましょう」とかよくスピ系の書籍に
書いてあるのは、別に札束を竹やぶに捨てたりするのではなく、言葉にすれば
とりあえず他人や出来事に感謝を表す、感謝が本質的なものだという事です。

お金に限らず、どんどん範囲を広げていけば、肉体を感じる事が出来るのも
様々な思考や感情を感じる事が出来るのも、前回も似たような事書きましたが
全て「在る」事のおかげです。

名前を付けられず見る事も聞く事も出来ませんが、確かに「在る」という
唯一絶対の存在があなたです。

起きている時も、夢を見ている時も、熟睡している時も「在る」はずなのです。
それは常に片時も離れずに在るのであります。
なので何かを掴むわけでは無いのです。
最初から「それ」であり、他所から与えられるものではありません。








今回の記事を見て「知らんさん、熱心な読者の私に感謝の証明として小遣いくださいよ!」
言われましても、私は性格が悪いので一円もあげませんけど。
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すき家でくじを引いてチーズ牛丼一年間食べ放題チケットより、
焼きそば牛丼大盛り券が当たったらがっかりしませんか?
世に言われる不美人より、可愛い女の子が好きなのではありませんか?
なぜ他の誰でもなく今の彼女さんを彼女に選んだのですか?


みかんがどうしても食べたい時、
代わりに差し出されたチョコレートじゃやはりいやなのです。



という選択したい欲求(?)に関してのメールを頂きました、ありがとうございます。

まあお気持ちはわかりますが、本質的な事を言えばそれらの欲求や選択肢というものも、
自分自身が「在る」からそういった欲求や選択肢が「与えられている」わけです。
なので差し出されたものを拒否すると、必ずああでもないこうでもないと苦しみます。

なのでチョコレートを差し出されたら取りあえず受け取る事です。
言い換えれば「感謝」の表現であります。
何も差し出されたチョコをその場で食えと言っているのではなく、受け取れば良いのです。

自身が「在る」からこそ様々な思考、感情を認識し、本来幻である世界でゲームが
展開されます。そのゲームは全て自作自演のお遊びですが、
自作自演である事を忘れてしまうと苦しむ事になります。

チョコレートは自身が自身に対し差し出しているのです、そこで自分自身を拒否するから
苦しみ、その拒否した事に納得出来るだけの理屈を探し始めてまた苦しむのであります。

ですからみかんが食いたい時にチョコが出てきても取りあえず受け取る(感謝する)
そうすれば自作自演のゲームで意味の無い苦しみからは解放されます。

この感謝云々は説明すると長くなりそうなので、また今度似たような話題で
似たような表現で書くと思います、いつもの事ですね。







なんかあっさり終わってしまったんで冒頭の御質問にお答え致します。

すき家でくじを引いてチーズ牛丼一年間食べ放題チケットより、
焼きそば牛丼大盛り券が当たったらがっかりしませんか?

がっかりしません、転売します。

世に言われる不美人より、可愛い女の子が好きなのではありませんか?
そりゃ当たり前田のクラッカーですね。

なぜ他の誰でもなく今の彼女さんを彼女に選んだのですか?

私の彼女は相当贔屓目に見てもルックスは中の上がやっとですが、
抜群に料理が上手かったからです。
当初は料理上手で家庭的な娘だと思ってたら、本性はトンデモなく口が達者で
気の強い性悪女でした、助けてください。
「世界は自分であった、という感覚を掴んだがたまに感覚が消える、どうすれば良いのか
悩んでいるでござる。」というメールを頂きましたが、これは恐らく「世界は自分であった」
いう言葉に惑わされて、強い電波を発しただけだと思われるでござる。

まず「感覚を掴んだ」というのが曲者で、これも前から書いてますけど
感覚を掴むって事は「それが掴まれる前」が無いといけませんよね。
まあ文章で書くとどうしても「何かを発見した」「何かを掴んだ」となってしまうのが
理解を困難なものにしているのは否めませんけど。

で、昨日も書いたように、例えれば我々は最初から海なので(最初から世界なので)
海が新たな海を獲得する、という事はあり得ません。
なので「感覚を掴む」という自体が何かおかしいのです。
海が海であるためには何かを獲得するのではなく、どんどん捨てて行く事になります。

別の言い方をすれば、地面を掘って穴が出来たのではなく、最初から穴はあったのです。
穴の上に土や砂があったから地面になっていただけです。
そして最初から穴があったからこそ、地面もある、全ては相対的な流れの一部です。

全ては最初から相対的な流れの中に納まっているわけで、
自我も流れの一部分に過ぎません。
流れは肉体が生まれる前からずっと在り続け、肉体が消滅しても、やはりずっと在り続けます。

先の例で言えば、地面を掘って穴が出来る前から穴が(空間が)ずっと在り続け、
穴を埋めてもやはり穴は(空間は)在り続ける
のと同じです。

つまり流れの中にいる穴にとって、土や砂がいくら大量にあろうが無かろうが決して
自らは侵される事は無いのです。なので最初からあなたはずっと在り続けていたわけで、
「感覚を掴んだ」りする事は無いですし、「何かに目覚め」る事もありません。
例えそのように強く感じたとしても、です。

言葉で示す事の出来るものは、結局は全てまやかしです。
本当に感覚や目覚めがあるなら、自我が眠っている熟睡時でも感覚を感じ、
目覚めを感じているはずです。

自我が起きている状態でしかそれらを差し示す事が出来ないという事は、
結局は自我が勝手に作った自我にとって都合の良い物語であり、真実ではありません。

なのでこのブログに書いてある事も、もちろん真実ではありません。
スピリチュアルで最も危険なのは何でもかんでも鵜呑みにする事と、
特定の言葉や表現を変に権威付けする事です。

こんなブログを真面目に読んではいけない、と度々書いているのは
そういう事ですが、まあ真面目に読んでる人なんて元からいないと思うので
その点は心配ないでしょう。





自我にとって都合の良い、というのはスピ系でよく用いられる用語(?)を見ても
よくわかります。愛とかインナーチャイルドとか高次元存在とかすき家の意志とか、
実に心地の良い言葉が溢れていますが、前述したように我々の本質は決して侵される事が
無い存在なのですから「いつも私を見守るインナーチャイルドさんありがとう、
愛しています」とかキモい事を素敵な事を書かなくても良いのです、
表現はどうでもよいのであります。

なので「常に俺をつけ狙う高次元から来た殺し屋が部屋の外にいる、
今度こそ返り討ちにしてやる」とか書き連ねるハードボイルドなスピ系ブログとか
面白いんじゃないでしょうか、私は読みませんけど。
自分が在るってどんな感じですか?
自分という意識?みたいなものがあるだけであとは幻想。
自分が在るということに対してのありがたみや全てが自分だった!という安心感ですか?


という内容のメールを頂きましたが、自分という意識も幻想であり、
なので自分が在るという事のありがたみや安心感というのも特に強いわけではありません。

全て自分、世界が自分というのは、度々書いていますが波ではなく海であるという事です。
波は、海があるからこそ一定の原理原則に基づいて発生し、そして消滅します。
波を波として成立させている法則みたいのが、海に内在しているわけであります。

で、これを我々が認識している世界に当てはめると、
あらゆる物体、概念、現象は全て海の上の波が如く、法則に基づき現れています。
我々が「個人の肉体」と思っているものも、やはり海の上の波に過ぎません。

何処まで行っても、波は海の支配からは逃れられません。
あらゆる波は海があるから存在できるので当たり前っちゃ当たり前ですが、
自我の発生も結局は「海」の上の波に過ぎないのであります。

で、話を繰り返すようですが、全ての波は海の支配下にある、という事は
海で起こる「波の形状」は絶対的に「海の法則」に支配されているはずです。

海の上で起こる「波」は必ず水であり、途中でお湯になったりしません。
いきなりコンクリートに変化する事もありません。
羽が生えて空を飛んだりもしませんし、喋りもしません。

つまり波に自由意志は無いのです。
波である以上、どうあがいても波は波としての形状、動きしか出来ないのです。
「人間に自由意志は無い」と度々言っているのはこの事と同じです。

「自由意志が無いなら、抱いてる願望や何もかも全て海の掌の上なのか?」と
思うかもしれませんが、その通りです。

波が海の支配から逃げられない以上、思考したり行動したりするのも、
全て海の支配下にあります。波がいきなり垂直に吹き上げたりする事は
出来ないのと同じです。

で、ここで自我の無駄な抵抗をやめれば良いのであります。
もう少し正確に言うと抵抗しても良いのですが、その抵抗すらも所詮は波としての動きに
過ぎない事がわかっていれば良いのです。

とりあえず話を進めるために、抵抗はやめて全てを受け入れたとしましょう。
自我はもはや「勝手に動きたい」という事をあきらめ、母なる海の一部となります。
海の一部になるという事は、今まで海からブツ切れの存在としてあがいていた波ではなく、
海そのものの大きな流れとして在る事を意味します。

この宇宙やその他全てを構成している大きな流れそのものに名前を付ければ
「本当の自分」とか「源泉かけ流し」とか「すき家の意志」なのであります。

しかしながら、名前を付けた瞬間にそれは概念となり分離します。
海からコップで水をすくって「これが本当の自分さ!」と言っているのと同じです。
なので「本当の自分」や「すき家の意志」すら実は存在しないのであります。

存在するのは名前も無ければ見る事も聞く事も出来ない、
しかし存在するという、ある意味矛盾だらけの大きな流れであります。
この流れの中では、全てに良いも悪いもありません。
同じ波に優劣をつける必要が無いからです。

話がややこしくなりましたが、何かしたいと思うなら、大きな流れに戻る事です。
そうすれば勝手に運んでくれます。

右から左に行きたいなら、普通に流されれば嫌でも行きます。
波のくせに「まず上に上昇して、きりもみ状に回転しながら斜め45度の角度で
突入したい」とか思ってもしょうがありません。
世界を裏から支配している(?)牛丼チェーン店のすき家が、「焼きそば牛丼」という
何を思ったか炭水化物と炭水化物を合わせるという狂気の丼を販売し始めました。

昨日初めて食ってみたのですが、うーむ、正直言ってこれはぶっちゃけ美味くないぞ。
食ってるうちに焼きそばと丼がごちゃ混ぜになって何か犬の餌みたいになるし、
ソースが無駄に濃い感じもしますね。
何を食っても美味く感じる極度の味音痴である私が、久々に美味くないと感じてしまいました。

そもそも”両雄並び立たず”という言葉があるように、ご飯と焼きそばという
それぞれがメインを張れる両者を合わせても、やはりうまく行かないようですね。

と言っても炭水化物のダブルパンチによる満腹感はかなりのものです。
味を無視してただひたすらに腹を膨らませる事に特化した丼、と見れば良いんじゃないでしょうか。

まあ、すき家の牛丼なんて全部そんなモンですけどね。

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HN:
知らん
性別:
男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

合体と恐竜は男のロマン

メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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