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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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突然ですが、以前アダルトビデオメソッドなるものを提唱しましたが、
Hと世界との統一感みたいのは結構近いものがあるのではと
個人的に思っております。

何かを見たり聞いたり触れたりするというのは、そこに「その感覚」しか
無いわけで、
つまり何かを見るとはイコール自分で自分を見ているとも
言えます。「その感覚」しか存在しないというのは、Hしてる時と似ているような
気がしないでも無いです。

常に山や川や空や街並みと統一されているような感じは、
非常に官能的ですらあります。
我々は常に地球と合体し、地球とヤリまくっていたのです(?)

何を言っているのかサッパリわからん、という人は恋人とHしてる所を
想像してみてください。恋人がいない方は風俗嬢でも結構です。

あなたの肌の感触と、恋人の肌の感触はいちいち分離していないはずです、
「その感覚・感触」は、あなたの肌の感触でもあり、恋人の肌の感触でもあります。

つまり最初から全てと一体であったのであります。
Hする時は生命の原点というか何というか、早い話がケダモンになるので
全ての源泉に繋がりやすくなるのでしょうか。

さあ、皆さんも今日から地球と、大地と、山脈と交わりましょう、
童貞を捨てた相手は地球って、何かスケールがデカくて良いじゃないですか。
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よっし~さんという方から「自分のブログ内の記事を紹介して欲しい」という
メールを頂いたので紹介します。どんな記事かと思いきや、
ただ単にこのブログの紹介記事でした。これぞステマであります。

基本的にこのブログは来るもの拒まず去るもの追わずなので、
読者の皆さんが個人ブログで引用したとかパクッたとか、
ブログの内容からインスピレーションを受けてエロ同人誌を書いたとかでも
何でもOKであります。

リンクは希望されていないようなのでリンク追加はしませんでしたが、
皆さんもよっし~さんのブログをよろしくお願いします。
今まで思考を止めてどうたらこうたらとか「私」が居ないからどうのこうのと
グダグダ書いていましたが、読者の方の中にはそのようなキチガイじみた
代わり映えしない内容を読むと、結局は仙人のようになってしまうのではなかろうかと
心配(?)されている方も居るようであります。

前も書いたと思いますが、色々メソッドだ何だを試した後に何らかのパワーを得る
いうのは間違っています。「仙人のようになってしまうのではないか」というのも
結局は何らかのパワーなり神秘体験を経て、そのようになるのではないかという
考えだと思われます。

私は小学生の頃、地元の少年野球チームでキャッチャーやってまして、
ドカベン二世と言われた男ですが(キャッチャーやってたのはともかく、
これは真っ赤なウソです)バッティングとは何ぞやと言われれば、
早い話が来た球を思いきりブッ叩く事であります。

腰の回転だのスタンスだのバットのヘッドスピードをどうのこうのは
確かにバッティングの一要素でありますが、イコールバッティングではありません。

バットを持って飛んできた球に対して振るという動作は、
腕が二本で足が二本のフォルムを持つ我々にしてみれば既に完成されているのです。
つまり完成されている事が前提だからこそ、ああでもないこうでもないと
能書きを垂れる事が出来るわけで、能書きを聞けば聞くほど完成に近付くはずだという
ある意味一般的な感性は、実は逆走しているとも言えるのです。

この前も書きましたが様々なメソッドを実践するのは大変に結構な事であります、
が、しかし それは「完成していないから」ではなく「完成しているからこそ」
確認作業である、という認識で取り組むと良いんじゃないかと思います。

波乗りも海が無いと出来ません、つまり波乗りとは海が存在する(完成している)事の
確認作業であるというのと同じですね。
昨日の続き、というか補足みたいになりますが、
昨日の記事について”自分が存在しないのだから「あなたが好き」と言われたら
「いや僕は居ないよ」と答えるのか”
という質問を頂きましたが、
これは勘違いというか難しく考え過ぎというか何というか、
別に「実は存在しない僕」と「その他大勢」がいるわけではなく、
全て一つであるという事であります。

コクられてから「いやあ僕って実は居ないからねハハハ」とか
何かモンティ・パイソンあたりでやりそうなコントみたいですけど、
別にそんな妙な事言わずに「僕も好きだよ」でも良いし
「いや君は好みじゃないし」でも「僕がウルトラセブンなんだ」でも
その時その時浮かんだ事に任せれば良いだけです。

自我(エゴ)の視点から行けば選択しているように感じますが、その辺を言い出すと
またややこしくなるので、取りあえず言いたい事言えば良いじゃんという
非常にアバウトな結論となります。

どうしても「自分」とその他大勢」の視点から抜けられないと、
「自分」の属性に「実は居ない」というものをくっつけただけに
なってしまうので、この辺は理屈で考えると難しい所ですね。

何故なら考えれば考えるほど「考えている私」がメインになり
いつの間にかそれ(考えている私)が自分であるかのように錯覚するからです。

さらに「考えている」行為が自由意志に基づき行なっていると捉えてしまうと、
文字通りの無限ループにハマるのであります。
以前から何度か書いていますが、「自由意志は無い」という内容を
書くと猛烈な反発というか、反響メールがやたらと来ます。
自由意志自体が偽りの存在なので、偽りの物に振り回されないだけ
こんなに楽な事は無いはずなのですが、
どうも私の書き方が良くなかったようであります。

内容の殆どが自由意志が無い事に対しての恐怖というか不安であります。
「私」が存在しないのですから「私」を元に発生している「自由意志(と感じるもの)」も
無いわけなのです。

丁度今日、ニュースを見てたらグーグルが勝手に運転してくれる車を
開発したとか何だとか言ってましたが、車が勝手に走ってくれれば
便利な事この上ないじゃんか、カーセックスに集中出来るし、とか思いますが
「自由意志は無いのであなたの言動は全部勝手に走ります」だと、
何か抵抗する事の出来ない運命に翻弄されているようで、
そこに強烈な恐怖を感じるのだと思います。

実際の所は全自動のグーグルカーとはちょっと違い、
「自由意志が無いという事は俺が早漏なのも決まっているのか、
なんて事だ死んだ方がマシだ」という思考というか感情すら「無い」のであります。
つまり「自由意志が無いって事はアタシは運命に翻弄されてどうのこうの、
そんなの怖いわキャー」という思考も無いのです。

少し話が飛びますが「沈黙」はそれを「沈黙」と認識する何かが存在するから
初めて沈黙足りえるわけであります、つまりここに鏡があるとして
その鏡に映し出された「  」に「沈黙」と名付ける事で初めて沈黙が出てくるわけで、
根本的に宇宙というものは「無」であります。

が、これも鏡に「  」が映し出されて「無」と名付けるからであり、
我々の本質は無ではなく、この鏡の方であります。

仮に「死」という概念が映し出されても、この鏡は決して破壊されません。
逆に「生」を映し出しても、それは映し出しただけで鏡はそこに在るだけです。
さらに話を飛躍させれば我々は生きてもいないし死んでもいません。
文字通り不死身どころか不生でもあります。

何かしたいとか何だとか浮かんできてもそれは鏡に映ったものであり、
映ったモンはしょうがないのであります。

「映った」のだからそれで良いのであります、
何故ならそれは我々の本質、今まで生まれてもおらず死んでもいない究極の鏡
完璧に機能しているという証しだからであります。

で、前回の話に少し戻りますが、この事を踏まえて「やりたいことをやれば良い」ので
あります、別にこれも深刻に考える必要もありません。

デスクトップの壁紙をグロ画像にして毎日オエエエとなるより
水着のネーチャンにでもした方が気分が良いならそうすれば良いだけです。
グロから水着へ変更しよう、というのすら鏡に映っただけなんですから
勝手に映しときゃ良いという事ですね。

何が映ろうがそれは鏡が完璧に機能しているという証しなのですから、
結局は何でもかんでも喜ばしいわけです。

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