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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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この前もちらっと触れましたが、浦和の十二日まちに行ってきました。
今年は平日という事もあって思ったより人手は少なかったのですが、
それより何より衝撃的だったのは名物の一つだった見世物小屋が無くなっているという事でした。

十二日まちは毎年季節外れのお化け屋敷と、その隣に見世物小屋があったのですが
二年前に来た時にはあったはずの見世物小屋が、的当てゲームみたいなのに変わっていました。

一応、このブログの主旨だと「私の内面の何が見世物小屋を消滅させたのでしょうか!」みたいな
話に持っていくべきでしょうけど、「私」がそんな事考えてもしょうがないのであります。
見世物小屋を消滅させたのは宇宙の意志なので、知らんモンは知らんのです。

まあ浦和の縁日の見世物小屋っつー超ローカルな場所からいきなり宇宙がどうのこうのは
我ながらブッ飛び過ぎとしか思えませんけど。

ここ数年は蛇を食べる蛇女が出ていたと思うのですが、蛇の食い過ぎで腹でも壊したんでしょうか。
ちなみに私が中学生の頃に入った時の見世物は、たこ女と、金魚を飲み込んだり吐き出したり、
ついでに火まで吹く通称”人間ポンプ”のオッサンでした。



しかし人間ポンプって、すげーネーミングだな。
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対人関係での相談みたいなメールが結構来るでござる。
この際基本に立ち返って(?)スピ系でよく出てくる「今」に居続けるという事について
シンプルに書こうと思います。

「今」しか存在しないっつー事は時間は存在せず、過去も未来も無いという観点になりますが、
これを対人関係云々に強引に結び付けると、昨日のジョーと今日のジョーと明日のジョー
全て別物として扱うべきであります。

昨日のジョーを引きずって今日のジョーと会えば、昨日の記憶からああでもないこうでもないと
引っ張り出してゴチャゴチャになるので、結局はいつも同じような事書いてますが、
思考を止めて今に居続けるという事です。

「昨日は親切だったのに今日はなんか怒ってる」とか、その逆で「昨日は怒ってたけど今日は
真っ白に燃え尽きてる」とか考え出すと、何が理由なのかとか私が悪いのかしらとか始まるので、
その時その時の内面の投影としてジョーが出てきているだけだと感じれば良いのです。

もちろんジョーに対し変に媚を売ったり、あるいは逆にガン無視をする必要もありません。
過去の事を考えるでもなく、未来に期待するでもなく、ごく普通に接するだけです。
過去にジョーという人物はいなかったし、未来にもいません、
そして厳密に言えば「今」にもいません。

全ては幻に属性を与えて、いかにも現実に経験しているかのように思い込んでいるだけです。
ジョーについてごちゃごちゃ考える必要は全く無いのです。

何も考えずに今に居ること、と言っても「今」は捉えた瞬間に過去になってしまうので
厳密に言うと今に居続けるってちょっと表現がおかしいのであります。
何も考えずに今に居るのではなく、考えられない(捉えられない)からこそ今に在るのです。
昨日(十日)日本の首都大宮で十日まちという縁日がありました。

私は都合で行けなかったのですが、明日の十二日には浦和の調神社で十二日まちが
行われます。(つきじんじゃ、と読みます)この調神社は、浦和の方では
つきのみや神社という名で通っていますが、鳥居が無いという手抜きっぷり(?)と
狛犬ではなく何故か狛兎がいるという意味不明さで個人的に好印象の神社であります。

なんか今回は極めてローカルなテレビ埼玉臭がプンプンする、まさにどうでもよい記事でしたが
十二日まちには私も屋台のチョコバナナを食いに行きますので、縁があったらお会いしましょう。
最近、どうも妙な事が頻繁に起こります。
電車に乗るとトラブルで長時間遅延する、店に入れば1時間以上待たされる、
自販機で千円札で飲み物を買えばお釣りが出てこない、
いつも売っているものを買おうと思ったら売り切れ。
これは異常事態でしょうか。

というような内容のメールを頂きました。
私としては全然異常じゃないと思います。頻繁に幽霊を見ますとか、
窓を開けるとしょっちゅうUFOが飛んでますとかなら異常だと思いますけど。

これはシンプルに考えるとスピ系というものに縛られすぎなのではなかろうかと
個人的には思います。

スピ系の書籍なんかでは、どうしても悟っただの幸せだの何だのという表現が目に付くわけですが、
知らず知らずのうちに「幸せを感じていなければならない」「悩みが無い状態にならなくては
ならない」みたく無理矢理自分の勝手にイメージした、何だかよくわかんないけど
スピ系の偉い人
的な理想像に縛られる恐れがあります。

別に幸せに包まれなくても良いし、悩みが多くても良いのです。
そういったものは、あなたとは関係が無いので、別に絶望に打ちひしがれても良いのであります。

繰り返しますが全てが関係無いのだから、「スピ系で何かに気付いた人は幸せであるはずだ、
幸せでなくてはならない。妙な事が続く自分はまだ何も気付いていないんだ、これではダメなんだ」
という思考は全く無意味です。

幸せの定義を勝手に決めて勝手にああだこうだと考えてもしょうがないです、
勝手に定義付けした「幸せ」は真の幸せではありません。真実は探しても見つからないというのは
そういう事です。

別にあなたが高潔な人物であろうがなかろうが、そんな事はスピ系縛りから来る新たな妄想に
過ぎません。高潔だから目覚めているとか、高潔じゃないから目覚めてないとか、そんな事は
どうでも良い
のです。問題はそれらの勝手なイメージに縛られる事です。

答えはすぐ足元にあるのです。
「このブログだと何もしないとか何だとかあるけど、やっぱりメソッドとかやらないと不安だぜ」と
いう人もいるかもしれません。

もちろんやりたいならどんどんやれば良いのです、鼻をほじるなとか歯を磨くなとか
言われても、やりたい時にはやるでしょう、それと同じでやりたいなら好きなだけやればよろしい。

ただ、やっぱりメソッド自体を「楽しむ」方が良いでしょうね。
暗い気持ちで呪いをかけるような陰気な顔でナントカメソッドをやっても
別に構わないのですが、「私はこんな暗い気分で過ごしていて良いのでしょうか」みたいに
なりがちなので、初心者(?)は「楽しく」感じるものをやるべきです。

毎日快便で楽しい、と毎日ナントカメソッドとかナントカ瞑想をやるのは楽しい、は
同じレベルのものです。
メソッドというものはあって無いようなもので、こだわるのはあまり意味がありません。

楽しい気持ちで過ごしていたら良いことがあったなら「楽しい気持ちで過ごしましょう」
メソッドになるし、暗い気分で過ごしていても、エコエコアザラクとかエロイムエッサイムとか
唱えてて良いことがあったなら「呪文を唱えようメソッド」になるわけです。

つまりメソッドそれ自体に深い意味はありません、世の中のどんなメソッドも
はっきり言ってこじつけです。

しかし、矛盾するようですがメソッド自体は「何もする必要はない」「世界って幻だったわ」という
意識というか認識というか、その事に気づくための取っ掛りとしては、やはり必要かもしれません。
まず色々なメソッドだ何だに取り組み、取り組んでいく中でメソッド自体の概念を研究したり
疑ったりして、最終的には真の自分というオリジナルに目覚めるのです。

ですから最もやってはいけないのは特定のメソッドに対する執着と、特定の人物に対する
依存
であります。もちろんこんなブログを熱心に読むなど論外です、いつも言っていますが
変なオッサンが書いている読み物として適当に流し読みしていれば良いのです。

今回の話は武道で言う「守・破・離」であります。
まず言われたことをやってみて、続けていく中で概念を覆し、最終的に一流一派を立てて
師匠から離れていくというものです(本来の意味と違う所もあると思うけど気にしません

あらゆるメソッドの類は、このブログも含めて全て「破」と「離」に繋げるための
取っ掛かりなのです。そして縁あってこのブログを自分の世界に「創り出している」
読者の皆さんは、既に「破」「離」の段階へと進みつつあるのです。

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