忍者ブログ

知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

HOME • Admin • Write • Comment
昨日(27日)は大阪で選挙戦が熱かったようです。

だいぶ前に「選挙が好きです」みたいな事を書いた記憶があるのですが、
選挙好きの私は、もちろん今回の大阪での選挙に熱い視線を注いでいました。

まあぶっちゃけどっちが当選してもどうでも良いんですけど、単純に選挙という
イベントに血湧き肉踊ってしまうのであります。まさに戦争と政治は男のロマンです。

今日は書こうと思っていた内容があったのですが、選挙関連のサイト巡りをしてたら
眠くなったので明日に持ち越しです。
ただ一晩寝るとすっかり忘れている事が多いので、明日以降どうなるかは知りません。

取りあえず橋下さん、おめでとうございます。
PR
枠組みがどうのこうのという話を以前に書いたんですが、
「枠組みを外すとどうなるの?」あるいは「外してからどうなるの?」という疑問が
出てくると思います。

まあこれに対しての答えみたいのは何回か書いているのですが、
外した所で何も変わりません。突然世界がバラ色になるとかはありません。

ただ現実(と思っている)に対するリアクションみたいのは変わります。
単純な例で言えば、自分の怪我した腕を見るのと、他人の怪我した腕を見るのは
まったく違うはずです。

自分の怪我した腕を見ると、どうしようだの医者は何時までやってたっけとか痛いじゃんとか
色々考えますが、赤の他人の怪我を見ても痛そうだなとか程度で特に何も思わない事が
多いと思われます。

枠組みを外すと、起きている事を全部「他人事」として見ているようになります。
起きている事にいちいちああでもないこうでもないとケチをつけているのは
自分なので、自分という枠が無くなれば全部他人事になってしまいます。

自分の預金残高が500円しか無かったら動揺するかもしれませんが、
まったくの他人の預金残高が500円しか無いのをたまたま見ても、
その時は色々思うかもしれませんが、すぐに忘れるでしょう。

ずーっと「あいつの預金残高は500円しか無いんだ・・・!なんて事だ・・!」とか
思っているアブナイ人はいないと思います。
しかしどういうわけか「自分の」預金残高は500円というのにこだわる人は
多いようです。「あいつの預金は500円」と「俺の預金は500円」は同じなのです。
違うのは「自分」という枠組みで見ているか、「あいつの」という枠組みで見ているかだけです。
ですから「俺の預金500円しか無い!」とずっと思ってればずっとそうなるというだけです。

そんな枠組みは必要無いと思われるので、外しちゃえば良い、というだけです。

「では外したら500円の預金が5万円ぐらいには増えるのか?」
そんな事知りません。そもそも「預金が増えるのか?」と聞いた時点で「自分の」預金は
増えるのかと聞いているわけです。
これだと結局枠組みから一歩も出ていません。相変わらず枠組みに振り回される不自由な
毎日であります。

そうではなくて「500円の預金残高」をめぐる物語という、物語自体の枠組みが
外されれば、もうやることはありません。
「でも、500円しか無かったら生活できない!」となれば今度は「500円では生活出来ない」と
いう枠組みの中でのストーリーが始まります。

まずはループを断ち切る事です。
ループから抜けたと思ったら新たなループが待っているかもしれませんが、
一旦ループしている事に気付ければ、抜け出すのは容易です。

結局多くの人が行なっているのは、人生という名の壮大な一人相撲なんですよね。
「安心とかを思ってりゃ良いよ!」と書くと「じゃあ私の願いはどうたらこうたら
ただ単に良い気分でいるだけですかどうのこうの」という感じのメールが高確率で
来るのですが、どうも願望を放棄してラリってろ的に取る人が多いようです。

そんなことは一言も書いていないのですが、この辺は何故そのような思考に
なってしまうのかを掘り下げていった方が良いと思います。

まあ言葉で言っちゃうとですね、「願望の達成は願望を消滅させる事」なんですけど
これだと「じゃあ諦めろっていうの、いやあああああ!」のメールが確実に来てしまうので、
このブログのアプローチの仕方としては、まず目覚めっぽいものを体感してから
そこから世界を自由に創造しようぜというスタンスであります。
もちろん「諦めろ」なんて言うつもりも無いし全く違います。

世界を創造っつーと、ポピュラスとかシムシティとか、あの辺の感覚をイメージしてしまうかも
しれませんが、実際は世界は自分なので創造っつーより融合に近いかもしれません。
まあこの辺は言葉遊びになってしまいますが・・・。

波ではなく海になる。立川談志ではなく立川流そのものになる。みたいな感じですが、
まずは思考を止める事が先決だと個人的には感じます。
何故なら思考することが即、現れるので、まずは逆のアプローチとして「思考を止めたらどうなる」
から入っていくのが良いと思います。

ただここで言う「思考」とは「手を挙げる」とか「歩く」もそうですが、もっと言えば
強烈な思い込み、つまり黒という色を見たら「これは黒」と判断する思考です。
五感で判断する物、と言えるかもしれません。

これは殆ど無意識に処理している事なので最初は気付くのが難しかもしれないですが、
それらを無くしていくと、いずれは世界とフュージョンします(多分)
最近また少しややこしい話になってきたので、ごちゃごちゃ言わずに再びシンプル路線に
軌道変更であります。

「思う、意識した事が出てくる」というだけなのですが、こう言うと「ではお札を思えば空から
諭吉が降ってくるのか」
となりがちですが、お札を思うというのは、既に思いが実現した状態で
あります。お札という物質を思った瞬間に頭にお札が浮かぶという事は、お札というものを
創り出したのと同じです。つまり思いは即実現であります。

でも、お札そのものを手に取りたい、と当然思うと思いますが
実際欲しいのはお札よりも、お札(お金)から得られる安心とか満足とかそっちですよね。
安心とか満足しろと言うと、「根拠も無いのにそんな事出来ません」と言う人がいますが、
別に根拠が無くても安心とか満足は出来るでしょう。それこそ別にお金取られるわけでもないし。

「お金も無いのに安心なんか出来ません!」と言っても安心するだけならタダであります。
じゃあ安心しちゃえば良いじゃん、というだけです。

これと同じで「彼氏もいないのに幸せなんてなれません!」と言う人も、別に男がいなくたって
幸せを、幸せは難しいと言うなら満足とか安心とかを感じる、感じられないなら思うだけ、
もっと言えば単なる妄想でも良いのです。

妄想だろうが何だろうが安心とか満足とかは創れるっつー事を確認出来たら、もう何もする事は
ありません。創ったものが世界になるだけです、非常にシンプルです。


さて、一ヶ月後ぐらいにはもう年の瀬であります。ヒマ人の私も少し忙しくなってきたので
数日の間、更新は休止です。皆さんも深く考えずにシンプルに世界を楽しんでください。
五感すら幻だという話を最近書きましたが、これは肉体の奴隷、つまり肉奴隷になっては
イカンという意味でもあります。

肉体は、過去の記憶に対し非常に敏感に反応します。
私が若かりし頃、タレントの雛形あきこさんに似ている女性と付き合っていた時期が
あったのですが、当時遊びまくっていた私の浮気がバレて、結局あきこモドキの女にブッ飛ばされた
わけですが、それ以来テレビで雛形あきこを見る度になんとなくアゴが痛くなったりしたものです。

上記の話は非常にくだらない例ですが、これと似たような事は読者の皆さんも
もしかしたら経験があるかもしれません。

肉体の感じている事は全て過ぎ去った事、つまり過去の遺物だけであります。
視界に映っている映像ですら、過去の物です。
肉体(と思っているもの)を通しては、過去も未来も超越した「今、この瞬間」を捉える事は
出来ません。


にも関わらず、どういうわけか普段から過去というものに焦点を絞り、
過去というものを出発点にして未来に勝手に期待したり、勝手に絶望したりしている事が
多く見受けられます。

「過去、こうだったからこうしたい」という形の願望はとても多いですが(というより殆どこの
パターン)これでは過去というものを創り出し、そこから延々と同じ事を繰り返す事を
宣言しているようなものです。今に焦点を絞る、というか今しかない事に気付くべきです。

と言っても五感を通して「でも今はこうじゃないか」と言うのは「今」ではありません。
「今、狭い家に住んでるけど、どうなのよ」というのは真実ではありません。

何故、狭い家なのか?それは「狭い家に住んでるから広い家に住みたい」と思っているからです。
「広い家に住みたい」と思うには「狭い家に住んでいる」が必要なので、望み通り狭い家なのです。
「今まで(つまり過去)狭い家にいるから、広い家に」と過去を勝手に創り出しているわけですね。

じゃあどうすれば広い家になるのか、それは五感を通じて得た「狭い家」という思考に
支配されない事です。
思いきり簡単に言えば、目を閉じちゃえば家が広いもクソも無いですよね、というより
無限に広いとも言えます。つまり五感を通して得た情報は全て幻だったと気付くのです。

願望の実現とは古い肉体の支配から脱出し、新たな肉体へと移り変わるとも言えます。
「狭い家」という視覚情報を持っていた肉体から離れ、「広い家」という視覚情報を持つ
肉体へと移り住むわけです。

広いとか狭いとかと同じく、一体何を見て何を感じて何を判断しているのかに気付く事です。
「貧乏だ」と感じているなら何を見て、何を感じてそう判断しているのでしょうか?
預金残高か、玄関が汚いからか、部屋が四畳半だからか。あるいは寝ているときに隣のオッサンの
いびきが聞こえてくるからか、様々な要因があると思いますが、それら全ては幻です。

目を閉じれば無限の広さを感じ、創る事が出来るのに、五感の情報を信じて
わざわざ狭いとか何だとか創っているわけです。
今までどれだけ五感を通じ、五感を信じていたか振り返れば、いかに望み通りの世界を
創っていたかを実感できると思います。

結局、常に望みは叶っているんですね。

カレンダー

01 2026/02 03
S M T W T F S
1 2 4 5 6 7
8 10 11 12 13 14
15 16 17 18 20 21
22 23 24 25 27 28

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
知らん
性別:
男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

合体と恐竜は男のロマン

メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
☆を@に変えてお願いします

バーコード

ブログ内検索

P R

アクセス解析

Copyright ©  -- 知らんモンは知らん --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]