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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「知らんさんのような自分が居ないとかヘチマだとか
感じた人は目の前で何かあっても常に感情も動かず
冷静なのか?」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

以前も書いた気がしますがスピリチュアル的な気付きだ
ヘチマだを得たところで、突然に泰然自若な人格になる
とか昨日まで乱暴な性格だった人が仏のようになって
しまうとかはありません。

元々泰然自若な人は泰然自若なままに、乱暴者は
乱暴者のままに在るだけです。 

「自分が居ない」から例えば目の前で人が死んでようが
爆弾が炸裂しようが ( ´_ゝ`)フーン みたいな感じになるの
ではなく、「居ない」からこそ意識に在る事が出来るので
あります。

どういう事かと言うと、例えば寝ている時はまさに自分も
世界も無い状態ですが、目覚まし時計が鳴ると目が
覚めますよね。これは目覚まし時計が先にあるのでは
なく、意識が目覚まし時計の音を作り、それを聞いて
起きるという感覚も意識が作ったものであります。
意識は常に在りますが、何か他のものが無いと意識自身を
認識出来ないので、意識は自身を表現するために他者を 
作ります。

つまり意識が意識そのものを意識するために、
何か文章で書くと意識意識うるさいですが
自作自演で世界を作っているわけです。

なのでスピリチュアル的な気付きを得た自分、というのも
意識という光源に照らされた意識のまた別の形に過ぎま
せん。

なので全ては光源として在る、というだけで
「自分は居ない」と聞いて、じゃあぶん殴られてるのに
「自分は居ないから平気!」という状態になるのか?と
いうのとは明確に違います。むしろ自分が居ないから
こそ意識は様々な感情を照らす事となります。






ですから私も何があっても冷静、とは程遠いですね。
この前も娘ちゃんの幼稚園のお迎え行った時に
たまたま娘が同じ組の男の子と手繋いでるの見ただけで
イラッとしたぐらいなんで。

これで娘が将来彼氏が出来たなんて言い出したら
卒倒する自信ありますよ、いやマジで。
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この前の土日は義父母が来てたんですが
最近、厚労省によるワクチンの効果に対しての
データ改ざんだか何だかがあったそうで、反ワクチンの
義父がほら見たことかと勝利宣言しておりました。

「やっぱりあんなもん打ったらダメなんだよ、
俺の言った通りだろ!ワクチン三発も打った奴は
アホだよ m9(^Д^)プギャー」
みたいな感じでご機嫌でした、
まさにお義父さん大勝利。

私の周りでも三発目は打ってない人が多いですね、
というかワクチンに関してやや懐疑的になってしまって
いる人が多い印象です。

私のオヤジは歳も歳なんで三発目をブチ込んでましたが
四発目は打たないと言ってましたね、もう近所の
ご隠居連中も大して気にしていないようで普通に
その辺の店で飲んだり食ったりしているようです。

思うんですけど店内で数人でくっちゃべりながら
飲んだり食ったりしている時が一番リスクが高いはず
ですよね?
リスクの高い局面ではマスクを外して、換気の良い屋外で一人で歩いているようなリスクが極めて低い場面で
マスクをしているのはおかしな話です。
こんなFランでもわかる簡単なリスク評価も出来なく
なったとはオヤジも本当に耄碌したな。

メールでも「知らんさんはワクチン打ったんですか?」
いうのを今まで何通か頂きましたが、
私は実は一回しか打ってないんですよ。
あれ確か一発目打った後の三週間後に二発目だったと
思うんですけど、一発目打った後に懇意にしている
お医者さんに「二発目打つべきでしょうか?海外に行く
予定は当面無いですけどワクチンパスポート的なものは
どうなりますかね?」
みたいに相談したら
「ワクパスは政治も絡む話なんでともかく、感染抑止効果
自体は大して無いから一発も二発もそんなに変わんない
よ」と言われたので結局一発打ってそれっきりという
ある意味非常にレアな国民になってしまいました。

ワクチンに関しては医者の間でも見解が分かれている
ようですが、去年の時点で感染抑止効果は大して無い、
と言い切ったあのお医者さんはなかなか彗眼でしたね。

他にもRNAウイルスなんだから感染を抑えるとか、
ましてやゼロにするなんて絶対不可能、と騒ぎの当初から
言い切っていたのも当時の状況では一歩間違えれば
トンデモ医者扱いされるリスクもあったと思いますが、
普通に患者さんに伝えていたのもなかなかすごいと
思います。

ちなみに嫁さんにも「何か大して感染防ぐ効果無いみたい
だよ」と伝えましたが嫁さんは一回打った後に二回目も
打たないと何か損した気になるという謎理論で
二発打ってました。

で、その日の夜に副反応で熱出して寝込んで、回復して
から「副反応がこれだけキツいとか意味わかんない!」
これまた謎の八つ当たりを食らって大変に困惑しました。
意味わかんないのはこっちだぜ。
今回は多少主旨が違う記事ですが、前も書いたと
思うんですが私は視覚で得た負荷より知覚による負荷の
方が重要
ではないかと以前から思っています。

どういう事かと言いますとヒジョーに簡単に言うと
新型コロナで大量に死亡!という記事を見て、つまり
視覚だけの負荷で捉えるとこりゃエライコッチャで!
となると思うんですが、その大量死にある背景を
データその他で調べる、つまり知覚による負荷として
捉えていくと実は大量にくたばったのは80歳以上の
ジジババが殆どだったとして、そうなると大量に死亡と
いっても別のアプローチで考えることが出来るように
なりますよね。
これは別にジジババは死んでも構わんと言っているわけ
ではなく、あくまで簡単な一例です。

で、例を出しといて何ですがこの例の話とまた微妙に
ズレる話になりますが知覚とは意識によって生まれるわけ
で、意識は全ての背景にあるものです。
という事は同じような知覚負荷だったらある特定の種目の
訓練をしなくてもある程度何とかなってしまう
という事に
なります。
汚いオッサンがどんなに清潔にしても、オッサンは皆同じ
なので小汚いオッサンにしかならないのと同じですね
(?)

例えば私は小学校の時にチェスを覚えたんですけど
チェスで考える時に使う脳味噌と、算数の展開図って
あるじゃないですか、あれを考えるときの脳味噌は
何か同じ部分使ってるような感じ、つまり似たような
知覚負荷と感じたんですよ。

これが視覚の負荷だけで考えるとチェスを勉強するなら
当然チェス盤に駒を並べれば良いとなるんですが、
同じような知覚負荷なら展開図の問題やればある程度
チェスの戦略的な感覚って養われるんですよ、
まあサンプルは私だけですけど。

ちなみに早指しの場合は若い人は知らないでしょうけど
チクタクバンバンやってる時の知覚負荷がそっくり
なんですよ。
なので私は一時期チェスの練習の為に展開図解いて
チクタクバンバンやってたんです。

これと同じ話で今度は中学の時に麻雀覚えて、どれくらい
高い手に仕上げられるかの感覚は風呂に手を突っ込んで
大体の温度を当てる感覚、相手からリーチが来たときの
押し引きの感覚は「これは黒ひげ危機一発だ」と感じた
私は麻雀の練習と称して風呂に手を突っ込み
黒ひげ危機一発をやっていた事があります。

どうですか、何となく天才ぽい話に聞こえませんか!
これで今日からあなたも天才です、おめでとうござい
ます。









と言っても実際はチェスも麻雀も中途半端な強さで
終わってしまったので、あくまでも天才ぽいだけで
天才にはなれないと思います。
しかし視覚からの負荷だけではなく知覚負荷で物事を
捉えるという意味ではこれらの訓練は無駄では無かった?
のかなと思います。
最近、政府がマスクを外せるガイドラインみたいのを
言い出してますが、とっくにマスクしていない私には
死角はありませんでした。
こんなの自分で判断すれば良いやんけ、と思ってたら
「思いきってマスクしないで電車に乗ったら特に何も
言われず、何だこんなもんかと思ってそれ以来は満員の
通勤電車でも全く気にならずノーマスク生活を送って
います。これは私の潜在意識が変わったのでしょうか!
ノーマスク最高や!」
みたいなメールを頂きました、
ありがとうございます。

まあ潜在意識が変わったというか公衆衛生を踏みにじった
というか、確かに何か変わったのは間違いないですね。

まあ今のご時世で公衆衛生的にどうなのかとかは
置いといて、これが示唆している事は多くの人は
「〇〇のために潜在意識を活用して云々」という
アプローチになりがちなのですが、これは本番で
緊張しないためにメンタルを鍛えるとかと同じで、
結局の所緊張する何か、は存在し続けているという事
なんですね。

そうではなくてこの方のように全く気にならない、
つまり意識そのものがそちらの方向にシフトする事が
スピリチュアル的に言えば潜在意識を活用して云々、
になります。

このためにはアレコレ考えるのではなく、とりあえず
(意識が)緊張するものだ、と定義している状況なり
何なりに飛び込んでみる事であります。

「   」と空白部分が四角に感じていたものが
いざやってみると(   )に変わって何だ丸いやんけ、
となる感じですね。

まとめると意識上で「   」のものに対し潜在意識云々
でアプローチしても「   」の中にいるので基本的には
変わりません、そうではなくてとりあえず飛び込んでみて
意識上で(   )にしてしまうという事ですね。
いわゆる顕在意識(?)が「   」と見せているわけ
ですから顕在意識を無視してアプローチする、つまり
とりあえず飛び込むというのが潜在意識的には実は一番
手っ取り早いのですね。










まあマスクに関してはハッキリ言って皆さん疑問を
感じつつもお互いに外すのを牽制し合っているだけだと
思うんですよね。
飲食店に入るときだけマスクして、入ったらすぐに外して
ベラベラ喋りながらメシ食ってますし。

私も会社で「もうマスク暑苦しいから社内では自由に
します」
と言ったら一部の老害からマスク自由化に反対も
ありましたが、うるっせーよ俺様が法律だ、パパに
言いつけるぞ!と押し切った所、次の日からソッコーで
全員マスク外してましたからね。

もう騒ぎ出してから二年半近く経って、あらゆる国の
あらゆるデータが出てるんだから少しは自分で判断
してくれやと思いますねホント。
前回の記事で人生とは()の連続であり、それを()と
何も無い ←空白を同時に認識出来ないからこそ人生が
在るように見える、みたいな事を書きましたが(冒頭から
何を言ってるかわかんねーコイツ、という人は前回の
記事を参照してね)「では私の人生とは取るに足らない
ものだったような気になってしまって、かえって落ち込ん
だ」
的なメールを頂きました、ありがとうございます。

取るに足らない、とは確かにそうかもしれませんが
例えばオンラインゲームの中のキャラクターの生活が
「本日でサービス終了となります、長い間ありがとう
ございました」
となっても、あのゲーム面白かったなとか
あのイベント楽しかったなとかは残るわけで、
そこには様々な感情や当時思った事などがあるわけです。

で、それら人生を一つの大きな流れというかゲームの
シナリオとして捉えるようになると、やはりあらゆるもの
は全て繋がっていたのかな、という感じである程度の
予測というか、大袈裟に言うとシナリオで与えられた
立ち位置、そしてまたこれからの立ち位置
、みたいな
ものが何となく感じ取れるようになります。

イメージとしてはお湯に手突っ込んで「これは何処まで
深いんや」と思っているだけだとわかりませんが、
お湯は何かに入っているかもしれないからもしかして
これは家の風呂かもしれない、と閃くと何となく風呂釜の
大きさからどれぐらい深いとか予測が付きますよね、
それに近いです。

つまり   ←空白だけで何だかよくわからんのが
(       )と同時に認識した事により
これもしかしたら俺んちの風呂やんけ!となる感じ
ですね。ルビンの壺見てたらこれ人の顔面にも見える
やんけ!となるのと同じです。

話を風呂に戻すとこれは家の風呂や!と感じた時点で
何だかよくわからんお湯に漠然と手を突っ込んでいる事
から解放されるわけです、つまり人生は取るに足らない
ものだと見抜いた時点で人生は終わった
のです。
それは何処までも深いお湯ではなく、家の風呂釜だったの
であります。

家の風呂釜の深さは何となく推測出来るので、
後は人生(だったもの)から解放された傍観者として
流れて行くようになるのであります。

普通に人生を進み、人生に踊らされ、そしてまた普通に
人生を流れるのです。

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職業:
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趣味:
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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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