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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「離人症になった事がありますが、自己は
確かに消えましたが全てが無意味に感じ、
大変に辛いものでした。スピリチュアルで
言われる自己が無いとか何だとかと何処が違う
のか」
というメールを頂きました。
ありがとうございます。

離人症てよく知らないんですが調べてみると
パニック障害とかも絡む精神疾患の一つみたい
ですね、これはもう普通に病気であって
スピリチュアルとは特に関係無いですね。

自己が居ないと感じると、本当に自己が消える、
は似て非なるものであります。

例えば口の中に何か入ると、その味によって
何かが口の中にある、と判断するわけで
何も食ってない場合は当然何の味もしません。

自己が居ない、と認識するのはこの状態で
何も味がしない、だから口の中に何も無い、と
感じているわけです。まさに味気無い状態で
あります。これでは確かに全てに意味が無い
ように感じられて苦しいかもしれません。

これに対して本当に自己が消える、というのは
口の中云々というのは、何かしら味を感じないと
出て来ないわけで、つまり口も味もお互いが
お互いを補完する関係性の中でしか存在出来ない
という事を知る事です。

なのであらゆる物は最初から存在せず、関係性の
中において存在するかのように振る舞うだけ
あります。
口の中がどうのこうの以前に、口の中自体が
最初から存在しなかったという事です。
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だいぶ昔の話ですが「人は他人のイメージの中で
しか生きられない」みたいな事を故・野村克也氏
が言ってた記憶がありますが、これはその通り
だと思います。

分離を前提としている自我において、他人を
イメージの中で分けるのは当然と言えば当然で
あります。

例えば以前私が「選挙は自民党に入れました!」
と書いたら、ある人からは「私も自民党に入れま
した、知らんさんと同じで何となく良かった
です!」というメールを頂くと同時に「自民党に
入れるとは何事か!ふざけてんのかテメー!」
いうメールも頂きました。

つまり私も含めて人は誰かのストーリーの中では
ヒーローであり、誰かのストーリーでは悪役
なんですよ。これは良い悪いではなく、必ず
誰もが誰かの中ではヒーローと悪人の役割を
同時に担っています。

肝心なのはあくまでもヒーロー、あるいは悪人と
いう役を当てはめているという事です。
つまり本当のヒーローも本当の悪人も居らず、
その役をあてられた人が居るだけです。

これは他人に対してだけではなく自己に対しても
そうで、例えば誰かに嫉妬している場合、
自己より優れている人という役割を誰かに与え、
自分には劣っている人という役割を与えています
。そうしないとストーリーが始まらないからです

しかしここで注目すべきは優れている人と
劣っている人という役割を与えているのは
誰かという事です。あたかも脚本家のように
様々な人に役割を与え、その中でストーリーを
展開しているだけではないかという事です。

つまり優れている人も劣っている人も、そして
自己というものも、文字通り最初から存在して
いないんですよ。
存在しているように見ているだけだったので
あります。

こうなると今までのストーリーの中での
悩みやその他は、全部消滅するという事に
なります。
何故なら悩んでいる私、そして悩みの原因に
なっている何か、あるいは誰かは、その役割を
わざわざくっ付けていただけだからです。
Gotoキャンペーンもある事ですし、
現在は某県某所に旅行中なんですが、
思ってたより全然人手が多くて、もうちょい
のんびり観光出来るかと思ったら完全に読みが
外れましたね。

でも娘ちゃんが (・∀・)楽しいねー とか
言って旅行を満喫してるようでパパは満足です。
というかいつまでこのコロナ茶番を続けるんで
しょうか。

日本は古来から敵対してきた魔物とかを祀って、
気が付くと地方の神様みたいにしてしまうという
必殺技があるのですから、コロナもさっさと
東京ころ奈とか新名物を作って日本の一部にして
しまえば良いと思います。

そしてこういう時こそ神の国日本としては、
令和に即位した天皇御夫妻が水戸黄門みたいに
北は北海道、南は沖縄まで全国行脚すべきでは
ないでしょうか。

天皇に続け一億総決起コロナ玉砕キャンペーン
とかだったら日本国民全員がそこら中に旅行して
コロナは何処にでもある風邪の一部と
なるでしょう。

というわけで皆様も有意義な四連休をお過ごし
下さい。
スピリチュアル系の本とかで「何もしなくて
良い、あなたは大丈夫である」みたいな言い回し
がありますが、これは間違ってはいませんが、
受け取る側が誤解する可能性が高いのではと
思います。

よくあるのが「何もせずにいますが、どんどん
貯金は減るし体調は悪くなるしで、このままでは
死にそうです。」みたいなもので、これは
"何もしなくて不安な自分"にとどまってしまって
います。

少し話が逸れますが、自分と思っているものは
コロコロ変わるもので、決まったものなど最初
からありません。別に変わったら変わったで
それで良いので、変に固執しない方が良いです。

例えば私の場合、二十代の頃は殆ど反出生主義
だったんですよ。正直言って子供が大嫌いでした
し、一昔前に流行ったDINKS(ダブル・インカ
ム・ノーキッズ、意識的に子供を作らない
共働き夫婦の事)が良いとか思ってたんですね。

で、結局色々あって娘が生まれてからは
DINKSとか何それ?レベルで吹っ飛んで、
今や娘ちゃんを一日中見てても飽きないと
断言するほどの娘大好きパパになってしまい
ました。
多分若い頃の私を知ってる人ほど今の変節ぶりに
驚くと思います。

要は確固たる自分というものに振り回される
必要は無いという事です。

スピリチュアル云々が好きな人は、取っ掛かりは
何か不安だったり、心配事があるからというのが
多いと思うんですが、
不安な自分→不安を解消する為にスピリチュアル
という道具を持ったやっぱり不安な自分、に
なっているだけというパターンが多いように
思われるので、そうなってしまうぐらいなら
スピリチュアルとか胡散臭いのには関わらない方
が良いです。

そんなものより以前も書きましたが男性なら女装
、女性なら男装して生活してみた方が良いです。
これは瞑想とかより一番簡単かつお手軽な
方法です。

如何に自分というものが身に着ける服装一つで
変わってしまう、あやふやな物かという事が
実感できると思います。そして自分とは意識の
中にしか存在しない、ではその意識とは一体
"誰の"意識なのか?という事ですね。
スピリチュアルでよくある(?)のが何かあまり
よろしくないと感じる事が起きた時に、
「私が望んだのか」とか「私が作ったのか」とか
自責の念みたいのに悩むケースです。

望んだとか作ったとかは、まあそうかも
しれませんが、問題は「私が作ってしまった」
からこれからも良くない事が継続する、
私が悪いんや、みたいな感じに捉えるのは
間違いであります。

例えばその辺歩いてたらいきなり車に轢かれて
頭打って生死の境を彷徨ったとしても、
身体が治ったら何故か脳ミソが商売の超天才に
覚醒してて、やる事成す事全部当たりまくって
財産築いたとしたら、車に轢かれた事に対して
「私が望んだのか・・・」とか哀愁を持たないと
思うんですよ。

つまり何が言いたいかというと、「私が何々を
したのか・・」みたいなのは本来柔軟性のある
世界をわざわざ固定化している事になるんです
ね。

なので無理矢理プラスに捉える事も無いし、また
マイナスに捉える事もありません。
プラスに考えた方が良いような気もしますが、
それもまた固定化しているのと同じです。









まあ私もこの前、久々に嫁さんを激怒させて
散々怒られて「私が望んでしまったのか・・」と
少し凹みましたが。

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