「スピリチュアル等でよく言われる自我を
認識し、また統合していくというプロセスは
本来なら最初から統合された状態から
わざわざ自我を認識するという事から二度手間に
感じられます」というメールを頂きました、
ありがとうございます。
これはパラドックスぽい感じになりますが、
例えばひまわりの種でもスイカの種でも何でも
良いですが、まず種がまかれ花が咲いた状態に
ならないと"種以前"の状態を認識出来ないので
あります。
種以前の完全な統合の状態がある、という認識は
不完全な分離の認識を持って初めて生まれます。
つまり完全な統合の状態もまた、不完全な分離が
無いと存在し得ないのであります。
ですから赤ん坊は自我も何も無いから完全な
統合、では無く、花で言えばひまわりの種なら
ひまわりが咲き、他の種なら当然他の花が
咲くのと同じように、男の子なら男らしく
女の子なら女らしく骨格その他が発達して
いくのは決まっており、身体の半分が男で
半分は女とかのアシュラ男爵みたいのは
あり得ないので、ある意味赤ん坊は究極の
分離状態を体現しています。
そしてそういった分離が無いと、統合も
存在しません。ですから"最初から統合されて
いる"というのは間違ってはいませんが、
それもまた分離を認識しているからこそ
現れる一つの認識であって、それ以上でも
それ以下でもありません。