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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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私は宝くじとか買わない人なんでよくわかんないですけど、
読者の方で年末ジャンボだか何だかで100万円当たりましたとの
メールを頂きました、おめでとうございます。

「宝くじで大金を得ても結局破産したりしてしまう人が多いのは
やはりエゴの仕業なのか」
みたいな事も書かれていましたが、
私の独断と偏見で言わせてもらうと、半分そうで半分そうでない、
と思います。

私が思うに宝くじで大金を得たけど数年後には破産したとか
元に戻っちゃったって人は、言い方悪いですけどかなりの貧乏だった人が
多いと思うんですよ。

で、所得がその人の仕事をした結果の生産力(?)というか単純に
基本的な給与額を上回ると、人は破産していくのだと思います。
(まあ給与って所得だけど、とりあえず別物とします)

どういう事かと言いますと、月給20万円の人が5億円当たったら
家を買うか高い車を買うかすると思うんですよ。
でも家や高級車ってそれなりの維持費がかかりますから、その人の
基本的な給与20万円じゃ厳しいと思われるので、足りない分は
急激に増えた所得である5億円から削っていくしかなくなるんですね。

でもいつかは5億円も無くなりますから、その時は基本給与20万円で
何とか維持費を払うしかない、ほぼ不可能ですけど。
そこで初めて資産が負債に変わって、破産へ向けて一直線なわけですね。

こういうパターンが多いと思うんですよ(多分)
じゃあ5億円当たったら家も車も買わなきゃ良いじゃねえか、と
なりますが、そこで色々欲を出して買ってしまうのがエゴの成せる業だと
思います。何も買わなかったらただ単に貯蓄の多いだけの質素な生活を送る人に
なってしまいますからね(個人的に今の日本の不況ってこれに近いと
思うんですけど)


じゃあどうするかというと、強引にスピリチュアルに持っていくと
多くの人に与えれば良いと思うのですよ。
有望な会社に投資するとか、自信があれば自分で起業しちゃうとかで己の生産力を
高めていけば、所得と個人の基本的な給与のバランスが取れていくので
そうなって初めて人は自分が「裕福」だと感じるんじゃないでしょうか。

このバランスが崩れるといくら家と車があっても人は自分を「貧乏」と
感じるようになるのは面白いですよね。

結局の所、どうしても預金の額の大小で金持ちとか貧乏とかを判断してしまいますけど、
実はそうでもないと思うんですよねえ。




まあ何を言いたかったかというと、人は常に成長していかねばならないのだ、
という事を言いたかったんですよ(?)
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「嫌な事ばかり起きても全て自分が作った事だから、嫌だ嫌だと思いつつ
それを感じていれば良いのか」
的なメールを頂きました。

まあ乱暴な言い方をするとその通りなのですが、
それ以前に嫌だとか何だとかって、全部自分の命とかに対しての
執着が原因ですよね。

仮に一日で全財産失ったとしても、次の日に死ぬならどうでも良いことで
あります。それと同じで嫌な事が続くってのは、明日以降も自分の命が
続いていくから嫌な事なのであって、逆説的ですが命に執着しなければ
良いのです。

本当は生きてもいないし死んでもいないので、じゃあ命なんて無いじゃないかって
なるんですが、それを言い出すと話が長くなるのでとりあえず置いといて、
命なんてものに執着しても良い事はありません。

もしかしたら1時間後に大地震で家が潰れたり火山が噴火したり
北朝鮮のミサイルが炸裂したりして、死ぬかもしれません。
あるいは風呂場で滑って頭打って死ぬかもしれません。
そんな不安定な命が今日も明日も続いていくと思い込んでいるのが
実はおかしい
のであります。

これはお金に対しても同じで、一兆円持ってても滑って転んで
頭打って即死したら一兆円あろうがなかろうが意味が無いわけで、
これまた命と同じく不安定で形が無いものに執着しても
しょうがありません。

なので「嫌な事」に対してどうにかしよう、という根本的な原因は
非常に不安定な命やお金が未来永劫続いていくと思い込んでいる
観念であります。執着しているから未来永劫続くように思えるし、
終わりの無い地獄にいるような気になる
のです。

ですから話が最初に戻りますが「嫌な事は自分が作っている」
半分真実で半分嘘です。確かに自分が作っているのですが、同時にそれに
しがみついて離さないのも自分だからです。

まあ命への執着ってのが、私は自由意志を持っているんだという勘違いにも
繋がるのですが、とりあえずそれは良いとして、いつ無くなるかわからない命なんて
いつでもくれてやるぐらいのつもりで、文字通り自我の自殺をすべきであります。
リンクによっしーさんの「よっしー気付きの愛らんど☆」を追加しました。

前も書きましたが、当ブログは来る者拒まず去る者追わずなので、
リンクを希望される方はメールして下さい。
スピリチュアル的な生き方とか解説している本もありますけど、
何かややこしいのが多いですよね、スピ系な生き方とは思いきりザックリ言うと
偏らない事であります。

簡単に言うとまっすぐ立ってて、そこから左右どちらかに傾くと
「傾いた私」が現れてバランスを取らなきゃとか、コケたら痛いだろうとか
色々思いますよね。

て事は真ん中に立ってれば「私」って出てこないのですよ。
あくまでも私とは現存するものではなく、何らかの投影なのです。

株価がマーケット参加者の恐怖と欲望の投影である事と同じですね、
株価自体に意味は無く、マーケット参加者の心理状態の投影に過ぎない事を
見抜くのが大事なのであります。

で、「苦しんでる私」とか「喜んでる私」とか出てくる時って必ず
何かしら偏っているのですよ。一点を凝視しているとか、呼吸が荒いとか
ハイになって頭に気が昇ってるとかですね。

ですから客観的に己を観る事が奨励されるのは、この偏りに気付きやすくなるからと
いう事もあるのであります。

偏りを無くしていく事で、突然周りと同化したような感覚になる事もあります。
しかしこれは神秘体験でも何でも無く、ただ単に本来の意識に戻りつつあるという
だけです。

まあ戻ったからどうなんだって話もありますが、
全ては投影であって、投影の方を現実と思わなくなるには
意外と良い方法じゃないかと思います。
前の記事で「人間て戦争も殺し合いもするもんだぜ!」みたいに書いたら
「戦争を無くしたいのに、人間が争うものなんてもう絶望だ」的なメールを
頂いたのですが、別にそんなに深刻にならずにそういうもんだと受け入れれば
良いのであります。

例えばドラクエでもモンスターは絶対に襲い掛かってくるものなのです、
モンスターとの和平交渉とかやったらそれはそれで面白そうですが、
ドラクエが成り立ちません。

ドラクエに限らずあらゆるゲームは最初からプログラミングがあり、
そこから外れる事は絶対に起こりません。
ですからまずその事を受け入れなければなりません。

で、ゲームのプログラミングに気付いて、それを出力しているのは一体何か、
という事です。

ゲームを体験している私、ではないのですよ。
”ゲームを体験しているように見える私”すらプログラミングの一部であります。
ですから”私”が争うんじゃなくて、プログラム上で争いが起きるんですよ。
それらをひっくるめて果たしてあらゆる気付きの前提にあるのは何か、という
事であります。

それがわかれば、”私”は居なくなり、実は戦争で死ぬ者も居ないし、
逆に生きている者も居なくなる
のですよ。

ドラクエで本当に死んだキャラは居ないし、かと言って生きているキャラも
居ませんよね。プログラミング上で生きた死んだの判定は成されるかもしれませんが、
ではそのプログラミングが走っている”場”というか背景は一体何なのか、という事です。









でもファミコン時代に冒険の書はよく消えたなあ。

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