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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「私」さんのブログ「宇とか宙とかうるせえな!」をリンクしました。

「知らんさんばりのおふざけを炸裂させたい」とメールで仰ってましたが、
スピリチュアルとは大変に真面目で高尚な選ばれし者が進む魂の道なので
おふざけは厳禁です、多分。
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昨日の記事は少々わかりづらかったので、少し見方を変えてみますが
あらゆる知識や認識は全て「考える能力」ともいうべき領域で
処理されます。

で、自我は基本的にこの「考える能力」を自らであると感じ、
同時に「真の私」より格上に見ています。

あるんだか無いんだかわからん真実の私がどうこうより、
それを考えて納得させる「考えるオレ」の方が正しいのである、という
感じです。

考えるということは、「考えられる対象」があるわけで、
考える能力が高ければ高いほど、真の私とは必ず分離します。

しかし、「真の私は分離ではなく世界と一つでありうんたらかんたら」という
知識に対し、理解するには「考えねばならない」ので、ここにパラドックス的な
ものが出てくるわけであります。

これを打破するには普段「考えていない」領域のものを敢えて引っ張りだし、
考える能力にさらすのであります。

例えばメシを食ってる時や喋ってる時は、舌は非常に器用な動きを
するわけですが、こんなものは考えてやってるわけではないのです。
敢えて舌の動きをメシを食ってる時に「考えて」やってみても、
多分すぐにめんどくさくなって疲れるだけでしょう。

「考える能力」を破棄した方が舌は正確に動いてくれるのであります、
大袈裟に言えば舌がどうのこうのという概念すら無い、つまりお口の中は
世界そのもの
だからこそ、舌は完璧な動きを見せるのであります。
完璧な舌を願うのではなく、最初から完璧だったという事です。

「考える能力」を捨てる事が、自我を幻と見て、やがては自分と思っていた
ものは何処にもおらず、世界であったという真の私に導くのです。

我々はスピ系の知識なんか知らなくても常に世界なのであります。
鼻をほじりたくなればほじるし、ケツが痒いならかく。
そこに指を鼻に突っ込む際のスピードとか、ケツをどれぐらいの力で
かくかとか、「考える能力」はお呼びではありません。

「考える能力」を捨てれば、大袈裟に言えば全てが世界(自分)の現れであります。
車が横から出てくれば、よける。そこに自由意志はありません、車という
刺激が世界から現れ、それに反応し世界がよけるという刺激で答えただけです。

海においては波同士が重なる事も海の働きの現れであり、
さらに大きな波になる事も、海の働きの現れであります。
そこに「考える能力」は存在せず、全てが海であるのと同じ事です。

つまり全ては単なる世界に生じた刺激でしかないのです。
水が上から下へ流れるように、刺激に応じた反応がただあるだけです。
という事は普段「自分だ」と「考えている」事を止めれば
真の私がそこに最初から存在しているというわけです。

そしてそれは知識など無くても、前述したメシを食ってる時や
ケツをかいてる時に、当たり前のように在るのであります。
「スピリチュアル的な気付きとか目覚めとかは、そういった知識があるから
得られるのであって、思考を伴う知識が必要という事は、結局はエゴの
力(思考)が必要なのではないか?」
という大変に鋭い内容のメールを
頂きました。

大事な事なので繰り返しますが、正直言ってこの内容は鋭い、感服致しました。
私のようなアホがここまで鋭い考察に十分答えられるかわかりませんが、
これは頑張って答えねばならないでしょう。

スピリチュアル的な気付きとか目覚めを得るためには、
確かにそのような知識に触れねばなりません。
そして思考によって何らかの気付きだ何だを得るのも事実であります。

そして先人が書いた書籍やら残した言葉から、自らが得た気付きだの
目覚めだのを「確かなものであった」と答えあわせをするかのようにして、
「私はシフクを得た!」とか言ってるのであります。

しかしながら、思考を用いてああでもないこうでもないと
悩むのは自我(エゴ)であります。つまりどこまでいっても「自我が満足するか否か」
であり、結局は観念との戦いであります。スピリチュアルな知識とは観念であり、
観念は自我を満足させる餌に過ぎません。

スピリチュアルな知識とは突き詰めると「本来の私(我々)」に戻るための
きっかけであって、それ以上でもそれ以下でもありません。
絶対的に正しいわけではないし、ましてや人生の指針にするとかトンデモねー事です。

男の子が性に目覚めるきっかけがセーラームーンだったとしても、
女性の絶対的に正しい姿がセーラー服というわけでは無いのと同じです。
私はセーラー服好きですけど。

話を戻すと、「スピリチュアルな気付きや目覚めがある」ときっかけとして
認識するのは別に良いのです。問題は「それを得ていない」と悩み出す事であります。

これは自らの影は実体が無いものと「わかっている」のに何故かそれを
「わかっていない」と思うのと同じです。

ややこしいですが「私は何も気付きを得ていない」と言えるという事は、
その事(気付いていない事)に気付いている何者かがいるという事です。
ですから別に気付こうが何だろうがどうでもよいのですよ。
もっと言えば気付くために何かをするというのも、やりたいならやれば良いですが、
やりたくないならそれで良いでしょう。
最初から全てに”気付いている”わけですから。
ちょくちょく書いていますが、自由意志が存在しない事は別に恐怖でも何でもなく、
単なる錯覚による産物に過ぎません。

仮に部屋の中に何かを隠すとしたら、当たり前ですが部屋にある家具の中とか天井裏とかに
隠しますよね。

自由意志を用いて隠し場所を考えているようですが、結局は「部屋の中」という条件下に
おいての行動しか出てきません。自由意志による行動は一つも無いのです。

なので「何かを行っている私」「”行為者”としての私」は
居るように見えて(感じて?)実は何処にも居ないのであります。

ここでもう一歩突き詰めると、何かを隠している最中にも色々と考えていると思いますが、
それら思考も「部屋の中に何かを隠す」という条件下において出てくる思考なので、
「”行為者”としての私」が居ないのならば「”行為者”としての私が感じている思考」も
存在しません。


つまり何が言いたいのかと言うと、「思考の中に答えは無い」という事であります。

特定の条件下でしか出て来れない幻の”行為者”が居るはずだという錯覚が、
思考というものが”在る”と感じる最大の要因ですから、
”行為者”の消滅と共に思考も幻となります。

では、今浮かんできている思考は一体何で、誰の思考なのか?

そんな事は海を眺めながら、今発生している波は誰の波なのか?と
考えているのと同じです。つまり答えは無いのであります。

私の波だと思えば私の波だし、あなたの波と思えばあなたの波です。
それらは思考による産物であって真実ではありません。
真実は思考の範疇には無いという事ですね。








もう取り壊してしまいましたが、実家の庭に昔、子供部屋ならぬ子供小屋があったんですよ。

厨房の頃の私がエロ本を隠すと言えば、当然その小屋の中だったんですが、
これも自由意志によって隠していると思いきや「エロ本をすぐ読める場所に隠す」という
条件においては、子供小屋しか無かったのであります。
多分たまに掃除をしてくれてたお手伝いさんにはバレバレだったんでしょうねえ。

この前ちょっと実家に帰る用があり、オヤジに言われて何故か庭掃除をさせられる羽目に
なったんですが、必死にエロ本を隠していた少年時代を思い出してしまいました。
「日本の借金が1200兆円もあるそうで、このまま行くと真理に目覚めようが
何だろうが日本国民全ての生活が破綻してみんな飢え死にするんじゃないの?」

いう衝撃的なメールを頂きました。

”真理に目覚める”の定義がよくわかりませんが、取りあえずスピリチュアルっぽく
言うと、分離が無くなった状態で”在る”なら、借金も何も外側からの要因に左右される事は
無いので、借金が1000兆あろうが1000京あろうがそれも己自身なので
これといった事はありません。

前も書きましたがゴキブリは己自身をキモイとか汚いとかは思わないわけで、
外と内に分離する事で初めて観察する者とされる者が現れ、
その結果キモイとか怖いとか汚いとかが出てくるわけです。

借金にせよ何にせよ”外側の要因”と”それに対し影響を受ける私”が在り続ける以上、
仮に国の借金がチャラになった所で、「中国が尖閣諸島の侵略を狙っているそうで、
このまま行くと真理に目覚めようが何だろうが日本国民全てがブッ殺されて
みんなあの世に行くんじゃないの?」
とか新たな要因を探して同じ所を回り続ける事に
なるでしょう。

結論から言うと、外側の要因と起こってもいない未来について考えるだけ無駄です。

考えた所で解決策は出ませんし、考えなくても解決策は出ません。
出たように見えても新たなる要因を生み出すだけだからです。
ならば考える時間と労力が勿体無いので、どっちかと言えば考えない方が良いでしょう。

まあマジで日本が破綻したらモヒカンにしてバイクにでも乗って、ヒャッハーと
奇声を挙げながらその辺の集落でも襲ってれば、とりあえず食料には困らないでしょう。
私はそうするつもりです。
通りすがりの世紀末救世主にブッ殺されるリスクもありますけど。


余談ですけどいわゆる「国の借金」て「政府の借金」であって、
国債の殆どが内債とかいう日本国内で消化するモンだと
聞きました。

海外から金を借りてるなら返済しないとヤバイですが、
日本国内で消化出来るなら、返済期限が迫っても政府がバカバカお金を刷ってしまえば
万事OKな気もするのですが、この辺の話は疎いんで識者の解説を待ちたい所であります。

ちょっと話がズレますが、お金でも何でも自らが生み出すものなのですから
あんまり他人様からお金を騙し取ったりするのはよろしくないと思います。

どのようにして人からお金を巻き上げるか=お金が有限な価値あるものと勘違いして、
他人を蹴落としてでも少ないパイを奪わなければならない、という分離思考に
陥っているからです。

株式投資なんかも最近はデイトレとか流行っててお金の奪い合いみたいなイメージですけど、
ある特定の会社の株が上がるっつー事は、その会社の生み出したサービスなり
商品なり研究なりが世の中のためになるから業績が上がって結果的に株価も
吊り上がるわけで(そうだよね?)会社もハッピー、世の中もハッピー、
社蓄ども従業員の皆さんもハッピー、ついでに投資した人もおこぼれに預かって
ハッピーで、結果として皆でお金を生み出す商品なりサービスなりの手助けをしていく形に
なる事が理想ではなかろうかと、性格の良い私は勝手に思っているんですけど。





まあ私の祖父なんかは生前に「株なんてのは馬鹿から買って、もっと馬鹿な奴に
売りつけるモンだよ!」と酒飲みながら身もフタも無い事を豪語していたんですが。

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