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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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仮に夢の中で喉が渇いてしょうがないとして、夢の中で水をくれと願ったとします。
で、結果は水をゲット出来たり出来なかったりでしょう。

それよりも一番手っ取り早いのは夢から醒めてしまえば良いのであります。
夢の中の自分は、もちろん存在しませんが、夢を見ている時はモーレツに
存在感があり、夢の中の自分が怪我したり死んだりするのはトンデモねえと
思いがちです。

しかしながらやはり存在しないものは存在しないのですから、
夢の中の自分を見捨てて、そのままにしておけば良いのです。
夢の中で水を求めても、やっぱりそれは夢であって、根本的な解決には至りません。

ならば夢の中で新たな夢を求めるのは止めて、夢を放置すればとりあえず
見ている夢からは自由になれます。

夢というのは形すら無いものですよね、ですから形の放棄と言えます。

「しかしそれでは私すら居なくなってしまうから意味無いじゃないですか」
思うかもしれませんが、今の私という形を変えたいと思いながら私が居なくなるのは
嫌だとは妙な話
であります。

形を放棄するからこそ、必要な時に応じて形は勝手に現れるのであります。

ずっと世界が続いていると錯覚してしまうのは、私という形をキープし続けているからです。
つまり朝起きてからずーっと「あれも嫌だ、これも嫌だ」と感じる私をどういうわけか
キープし続けているので、そこから時間という錯覚が生まれるのであります。

そしてその「私」の形を変えたい、と思っているのに「私が居なくなるのは嫌だ」と
矛盾した思いを抱き続ければ、結局は同じ事です。

なので、それを変えるには形の放棄をすれば良いのですね。
もうこの夢の内容がどうなろうが知らない、と本心から明け渡せば、
元から形でも何者でも無いものであった、という事を知るのであります。

水を丸い容器に入れれば丸に、四角いコップに入れれば四角くなるように、
前述したように形とは勝手に現れては消えるものであります。
丸い容器から四角いコップに移る際に、私は丸なんだ、丸い形じゃなくなるのは嫌だと
喚いてもしょうがないです。

だって丸い形の水なんて元から存在しないでしょう。












もちろん私も、私という形ではありません。
私は嫁さんに何か言われたときだけ「何でしょうか奥様」としっかり返事をする私、
という形を取ります。

生返事すると機嫌悪くなって超こえーんだもん。
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何か囲碁でも一流選手がAI(人工知能)にフルボッコされてしまったようですね。
私は将棋もチェスも囲碁も、そして麻雀のような運が絡むゲームにおいても
あと10年、早ければ5年以内に絶対に人間はAIに勝てない時代になると思っています。

麻雀の場合はずーっとトップ取り捲りってのはゲームの性格上難しいでしょうが、
トップ率4割前半ぐらいのAIは、研究者がマジになれば出てくるでしょう。

AIの何が強いって、だいぶ前の記事でも書いた気がしますが
負けたらどうしようとか勝ったらいくら貰えるだろうとか、
余計な思考が存在しない事ですよね。これはある意味ゲームに参加していない・
ゲームそのものになっている
とも言えます。

思考でどうこうって結局はゲームに参加している事なんですよ、
「死にたい」とか思うってのは「死にたい」という思考をしたいって事で
死ぬわけじゃない
んですね。死ぬ時は寝る時と同じで「今、死んでる」なんて
思いませんから。

「死にたい」っていうメールを送ってくる人は結構いらっしゃるんですが、
死にたいって思考や感情を感じたいなら、いくらでも感じるべきであります、タダだし。
誰も邪魔はしないですし、私も邪魔する気はありません。

ゲームと一体となるには思考等を感じきらなくてはなりません。
そうする事で自他の区別が消え、何かをしている私が居なくなります。
何かをしている私が居ないのですから、私に纏わる(?)不幸も幸せも消えます。

しかしここで「幸せが消えるとはトンデモねえ」と感じてしまうと
またも何かをしている私が出てきてしまいます。

不幸とは幸せが無いと存在できないのですから、同時に幸せも不幸が無いと存在できません。
それではゲームに参加している事になってしまいます、ゲームの中で勝ちがあるのは
負けがあるからで、負けがあるのは勝ちがあるからです。

「でも私はもっと金儲けがしたい、それが幸せだ」とおっしゃる人も居るでしょうが、
ここで私は「お金では幸せは買えない」とかの臭い台詞を言うつもりは全くありません。

金儲けがしたいなら、金儲けゲームと一体になる事であります。
つまりゲームに居ながらにしてゲームに参加しない、勝手なルールを思考や感情で作って
ウロウロしない
事です。

どういう事かと言いますと、例えばお金が欲しいならそのへんのコンビニに
包丁持って突撃すれば良いんですよ。恐らく数万円単位のお金ならすぐに手に入るでしょう。
しかし、それでは逮捕されてしまうとか何だとか考えて他の方法を模索するでしょう。

そし普通に就職活動する人もいれば起業する人もいるでしょうし、
或いはギャンブルにのめり込んだりスピリチュアル的なものに興味を持つ人も居るでしょう。

つまりそれは金儲けでもコンビニ強盗は悪い事で、スピ系メソッドその他は善い事、という
善悪二元論に陥っているという事ですよね。
これが勝手にルールを作っているという事であります。

別にこれは今すぐ強盗してこいという意味では無く、
いかにルールを知らず知らずのうちに作ってしまっているか、という事です。

ですから何かをやりたいなら勝手にルールを決めずに、
やりたい事をやれば良いのです。
その結果が「死にたい」しか浮かばないならそれを感じきればよろしい、
「死にたい」という事自体は、悪い事でもなければ良い事でもありません。

感じたいことを感じるままに在れば、良いとか悪いとかの勝手に決めたルールすらも
無くなり、ゲームそのものに対し知らんモンは知らんと言えるようになるでしょう。

そしてそれはAIと同じく敵とか味方とかの区別無く、ゲームそのものとして在る状態、
つまり無敵なのですよ。
「私を知らんさんの力で何でも叶う人にして欲しい」という
大変に図々しい斬新な発想のメールを頂きました。

これは今すぐにでも実現出来ます。何故なら世界はあなたであり云々というと
いつものパターンになってしまいますが、認識している世界はゲームのようなものです。

そしてマリオではなくプログラマーであれば、全てが物理法則でも何でも良いですが、
つつがなく稼動しているのが完璧なのであります。
例えばマリオをスタートして、カメがマリオの方に向かってこないで地面に潜ってしまったら
これはバグです、完璧ではありません。

肝心なのはマリオの思い通りに動いているのではなく、プログラマーの思い通りに
動いている
という事です。
なので何でも叶う状態に既になっているのであります。

後はバグである感情や思考と同一化しない事です。
これは己がマリオであると勘違いしてしまった状態であり、
せっかくゲームが完成しているのに同じ所をずっと行ったり来たりしている状態と言えます。

なのでプログラマーとしてはマリオを進めて、全部の面が完成してプログラム通りに
稼動している事を確認する事が大事なのです。

でもマリオを進めるといってもどうすれば良いのか?となったら
とにかく”やらずにはいられない”事を行うべきです。

例えばどうしてもオシッコしたかったら「トイレ行ったら滑ってコケて死ぬんじゃないか」
とかは普通考えませんよね、即効でトイレに直行するはずです。

ですからオシッコしたいのと同じぐらい、すぐにやりたい事を実行する事です。
それには感情や思考といったバグが入り込まないからです。
行動する者が存在せず、行動しか無い状態です。
行動を見つめている者も存在しません。
ですからその行動で、仮に滑ってコケて死んでも、後悔する者も居ないのであります。

ある意味これは「何もしない」とも言えます、「何かをする」とは思考を伴う行為です。
しかしオシッコに突き動かされていれば、何かをしているとは思いません。

これを後付の言い方にすると「神の導きを受けた」「潜在意識の力を使った」
「すき家の意志を見た」となるわけですね。

生理現象は潜在意識によって動かされています とかいうのを見たり読んだりした事が
ある人も居るかもしれませんが、あれは確かに事実ではあります。
逆に言えば生理現象による行動こそ最も潜在意識を体現しているとも言えます、
まあこれも後付の表現になるわけですけど。
昨日、スターウォーズ最新作が封切られましたね。
私はスターウォーズに関しては一応全作DVDで見ているので、話のあらすじは知っています。

が、ファンの皆さんには悪いですけど、個人的には正直そんなに面白くもないですね。
というか私がガキの頃にジョージ・ルーカスが監督だか製作総指揮だかの
「ハワード・ザ・ダック 暗黒魔王の陰謀」っつートンデモねえクソ映画を観て以来、
あまりルーカスに良い印象を持ってないのですよ、今回の最新作はルーカスじゃないですけど。

まあルーカスは置いといて、スターウォーズのヨーダの「やってみるのではない、やるのだ」
いう有名なセリフがありますが、これはなかなかに示唆に富んだ言葉だと思います。

「何かを実現したようにイメージして」とか「なったつもりで」とか
潜在意識でどうのこうのという話によく出てきますけど、
虎は何で強いのかってそりゃ虎だからってのと同じで、本当に何かになったら
強いとか弱いとかの概念が無いんですよね。

ですから「なったつもりでどうのこうの」っていうのは、「なってみる」のと同じなのですよ。
ヨーダに言わせれば「なってみるのではない、なるのだ」って事ですね。

だから「何かになる私」じゃなくて、虎が虎であるのと同じように
最初から「何か」である、という意識が必要なのであります。

結局、私という概念が最後まで残っているわけですね。
「何かになる私」じゃ何かと私が分離しています、
そうじゃなくて「何か」なのですよ。

強い虎になる私、じゃなくて虎になるのであります。
虎は「虎だから」というだけで強いとか弱いとかを超越しています。

おまえは虎だ、虎になるのだ って、何故か話がスターウォーズからタイガーマスクに
なってしまいましたが、何となく言わんとする事は伝わったでしょうか。
アメリカのニューソート系の書籍とかで「うまくいった時の感じをなるべく具体的に
詳細にイメージせよ」
みたいのってあるじゃないですか。
完全に独断と偏見ですが、私はこれってあんまし良くないんじゃないかと思います。

なんでかっつーと、世界は夢というか幻想なようなものなので、
例えば夢の中で何となく夢だと気付いて、ちょっと自分の都合の良いように
操作しようとする時に、あんまり詳細にやろうとするとすぐに目が覚めてしまうじゃ
ないですか。

ですからあんまり詳細にイメージとかしないでちょっといじるような感じで良いと
思うんですね。

と言ってもこれは世界が夢のようなもので、実は実在しないという事を完全に納得というか、
知らなければ難しいのですが、これは前回もちらっと書いたように瞑想とかで、
それ(瞑想)を行っている人は何処に居るのであろうか、とひたすら探す事が
肝心ではないかと感じます。

まあそれがわかったらわかったで今度は自由意志も無い事がわかり、
あまり夢の中にちょっかい出そうとか思わなくなってしまうのが面白い所ですけど。

夢の中で夢だとわかると、何か映画見てるみたいで展開を眺めている方が楽しかったり
するのと同じです。

そして夢の中の登場人物は全て夢の流れの中に居て、ストーリーは自然と
進んでいきますよね、そこの登場人物に自由な意志なんて無いのですよ。
言い換えれば野球とか麻雀で流れがどうのこうのっていう言い回しがありますけど、
野球とか麻雀に流れがあるんじゃなくて、流れの中に野球とか麻雀があるのです。

個人から流れを見るんじゃなくて、流れから個人を見るのであります。

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かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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