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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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最近またクソ忙しいのですが、皆様は如何お過ごしで
しょうか。
「引き寄せの法則を意識すると却って上手くいかない
けど、あんまり意識しない方が上手くいく事が多いと
思う」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

これはそうだと思います。何でかというとですね、
少し理屈っぽい感じで書くと例えば身体のこの辺を
意識すると足が速くなるとかあるとしますよね、
この場合自分の足とか身体は視覚で捉える事が出来ます
から視覚世界のものとしておいて、対してこの辺を意識
するとかイメージするとかは観ることが出来ないので
情報世界(?)のものとします。

で、この辺を意識するとかの情報世界はまず自らの身体が
あるという前提が無いと成り立たないので、
視覚世界がある事で初めて成立します。

しかしながら視覚世界は自分の身体だけではなく、
様々なものが存在します。
先程のこの辺を意識すると足が速くなる云々だと、
走る場所が舗装された競技場のトラックなのか或いは
その辺の芝生なのかそれとも土なのかで、
速く走れるといっても大きく変わります。

視覚世界が広いせいで情報世界は逆に狭い範囲に
収まってしまう事が多くなるわけです。
この狭い情報世界で広い視覚世界にアプローチしようと
するから難しいわけですね。

引き寄せの話に戻すと例えば「100万円を引き寄せる」
という"イメージ"は情報世界のものです。

これは「100万円を"自分に"引き寄せる」事であって
多分その辺のオッサンに引き寄せるとかは思っていない
はずです。しかし視覚世界は広いですから狭い情報世界で
アプローチしようとすると"却って上手くいかない"事は
多々あります。

ですから情報世界を広くする、この場合100万円を視覚
世界の何処にでも出現させるのだという広いイメージで
行うと、はっきり言って100万程度のお金でしたら
その辺の個人商店でもそれぐらいの利益があるとこは
普通にありますから、自分が100万円ゲットしたとか
そうでないとかは置いといて、そこら中に100万円程度は
あるのだという広い情報世界になっていきます。

その辺にあるという事は、もはや特に意識する必要も
無いものになり、こうして「意識しない方が上手く行く
(ような気がする)」となります。

実際は視覚世界も情報世界も全て意識の反映なのですが、
その前段階としてあまりにも情報世界の方を狭く
捉えがちです。それは結局の所、広い視覚世界の一部で
しか無い自己を、情報世界の中では非常に重要な"情報"と
して処理する
習慣があるからです。
この小難しい事を一言でいうとエゴが強いから、
という事になります。










余談ですが冒頭にクソ忙しいと書いた通り、
最近そこら中に出張してまさに会社のパシりとして
奮闘しております、これだから俺様は会社なんて継ぎたく
なかったんだ。

しかもこの前古くから付き合いのある社長さんと話した
ときに「いやー、コロナ騒ぎや戦争で大きく時代が変わる
時はやはり若い人が必要ですね。そういう意味では先代が
息子さんに継がせたタイミングはドンピシャでした、
さすがお父様は先見の明がありますね!」
みたいな事
言われて、いやそれ完全に偶然だし大体なんで奮闘してる
私がスルーされてオヤジの評価が上がるんやとムカつき
ました。
これなんかまさにこいつの情報世界が歪んでおります、
どうなってるんや一体。
PR
昨日知ったんですがZOZOTOWNの社長だった前澤さんが
宇宙に行ったと思ったら宇宙からお金を配っておられた
んですね。私は前澤さんのような財を成した方が
バラマキでも何でも社会に還元していくのは良い事だと
思います。

ただお金というのは紙や金属に対して国が「これは価値の
あるものだよ」
と保証しているからこそ存在するもので
あって、極論すればお金とはそれぞれの心の中にしか
存在しないんですよね。妄想と言うのは大袈裟かも
しれませんが、貨幣とは殆どの人類が信じている唯一の
宗教
であります。

まあ確かにお金があればある程度は生活を操作出来ると
いう気にはなります、というか本質的にはそれ以外に
お金を求める理由は無いんじゃないですかね。

逆にお金が腐るほどあるという仮定で解決(操作)出来る
問題と解決出来ない問題を整理すると、実は結構な数の
問題がお金で解決出来なかったりします。

つまりこれがお金に対しての心理的なブロックとも
言えます。お金に過剰に期待しているが故に、お金が
あっても解決出来ない問題すら、解決出来る方に含んで
しまっているという事ですね。

なのでとにかくお金が必要やんけという感覚になりがち、
結果としてお金で操作出来ない問題すら放置しがちで
問題の本質がよくわからないまま何だかわからないが
常にお金が必要という状況になります。

ですからお金が欲しいというより、実はそんなに必要無い
というスタンスの方が良いと思います。
引き寄せ的に言えば価値を感じているものほど
引き寄せるのが難しく、大して価値を感じていないもの
ほど何故か寄って来る
ものです。

私っていつもブサメンにしか言い寄られないわ、
何でイケメンが来ないのかしらみたいなもん
ですかね(?)
実際の所、お金でコントロール出来る要素とは
冷静に見ると相当に少ないです。

私も子供の頃は経済的には裕福な家でしたが、
だからと言って正直お金でどうこうできる要素は
殆ど無かったと思います。
確か小学校六年生の時に何でこんな話になったのかは
覚えてないんですが、母がクモ膜下出血で倒れて
亡くなった日にオヤジがゴルフ行ってた事を責めた事が
あるんですよ。
要はおまえがゴルフなんて行かないで家に居れば
母は大丈夫だったかもしれないじゃないかって事を
クソオヤジに言ったわけですね。

そうしたらオヤジもその事は引け目を感じていたのか、
まあ小遣いでもやるから落ち着けよみたいな感じで
3万円ぐらい出したんですよ。でも私も当時は反抗期
バリバリだったのと、自分の旗色が悪いとすぐに小遣いで
誤魔化そうとするオヤジにキレて「いらないよこんなの!
お母さんが戻って来るのかよ!」
みたいな事言って万札を
ビリビリーって破いたらカネを粗末にするなボケとか
オヤジが逆ギレしやがってブン殴られて、
「結局殴るんかい!」とヒジョーにムカついた事を
覚えています。

多分当時の日本で万札をビリビリに破いた小学生って
下手したら私だけだったかもしれないですが、
まあお金があったらあったでお金では解決出来ない問題は
必ず表面化してくるものです。
裏を返せばそれだけ多くの人は自ら問題を作り出している
とも言えますし、解決、もしくは操作する手段が
お金だけと思い込んでいると言えますね。
「全てが意識であるなら結局はゲームの主人公が
ゲーム世界で上手くいくかどうかもゲーム次第と
いう事になるのか?」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

これは鋭い視点であります。
例えば主人公がエンディングの最後に死ぬゲームなら
確かにそれはゲームの仕様というか決まりになります。

しかしゲームというのは早い話がプラグラミングされた
要素の集まりであります、最近のゲームはキャラクターが 
ベラベラ喋るのが当たり前になっていますが、
主人公のセリフもその辺のモブキャラのセリフも
音声データという点では同じです。
このデータをゲーム上で走らせるプログラム的なものが
意識であります。つまり意識は全ての声を作っているわけ
で、実際は自分の声も、他人の声も全て意識を通して
聞いています。

という事は我々は主人公でもあり同時にモブキャラでも
ある
という事で、実は最初から主人公とかモブとかの
区別は無いのであります。

なのでゲームの最後で主人公が死んだら死んだで、
それはそれで良いという事になり、モブが怪物に
踏み潰されても喰い殺されてもそれで良いとなります。

そもそもゲームにおいて主人公が魔王を倒したとか
何かの職業を極めたとか勇者の血に目覚めたとか、
それは主人公が頑張ったからでしょうか?
そうではなくてゲーム上でそのようにプログラムを
走らせたからですね。つまりあえて成功とか失敗という
言葉を使うなら、主人公が成功するか否かはゲームを
走らせるプログラム(意識)次第
という事になります。

であるならば意識を邪魔せずに意識そのものとして
在りなさいという事になるのですが、
ここで面白いのがそうなると前述したように主人公とか
モブとかの区別が消えるので、「成功した主人公」
「失敗した主人公」という概念自体が無くなるのですね。

なのでスピリチュアル系の話は常に矛盾したように
感じるわけです。

まあすさまじくザックリ言うとゲームの攻略法って
あくまで主人公にとっての攻略法ですから、
そうでは無くてゲームを走らせているものとして
在れば攻略法いらないよねという話でした。
役者の方からメールを頂いたんですが
あまり売れない事や、売れている人に対しての嫉妬、
それでも芝居と向き合いたい事等が綴られておりました。
わざわざありがとうございます。

私が思うに、我々はある程度決まったコース、
カッコつけた言い方をすれば宿命があると思うのですね。

本来はコースも何も無かった!一つであった!
なるのですが、まずその前にコースの形、いわゆる宿命を
知らねばその先もクソもありません。

で、メールを送って頂いた方に関して言うなら
売れる売れてないとか嫉妬するしないがあるという事は、
この方は結局は役者業が宿命なのかもしれません。
役者人生が進むからこそ、そのような感情が出て来るわけ
で、別にそれは問題では無いのですよ。

問題は進んでいく宿命、つまり役者業では無く
それに付随した感情の方にフォーカスしているという事で
あります。つまりもう道が用意されてその道を歩いて
いるのに、道を歩きながらキョロキョロしたり
道に落ちている石ころを気にしたりしている状態です。

ですから進んでいくものに集中すべきです。
それが今に在るという事でもあり、最も大きな力を
発揮できる
状態です。

例えがあんまり良くないですが、競走馬であるならば
走る事が宿命であります。しかしながらその馬が
俺は牛みたく歩きたいとかヤギみたいに鳴きたいとか、
競走馬という道を進みながらもそういった事を気にして
いたらいつまでも力を発揮しません。
自分は競走馬であるという宿命を知り、走る事で初めて
大きな力を発揮する事が出来ます。

用意された道に素直に運ばれる、それこそが"運"です。
私は運も実力の内とは思いません、実力とは運です。
そして真に実力を発揮出来るのは文字通り"運ばれた"
なのであります。
「引き寄せの法則とかだとどうしても自分というものが
全面に出てしまうが、いわゆる悟り系的なものと両立
出来るのか?」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

これは両立つーか同じ事象を自我からどう見るかの
違いですね。
例えば競馬で大穴当てたとしてもそれを自分が引き寄せた
と感じるかお馬さんが頑張ってくれたからと見るかです。

前者は能動的に事象に参加しようとしており、後者は
事象から一歩引いて、ある意味自分の参加を諦めている
かのような感じになります。

これはどっちが上とか下の話では無く、早い話が
あらゆるものは外部の要因が組み合わさって現れているに
過ぎないという事であります。

ゲームのスーパーマリオで言えば最初はマリオは
ステージをクリアしようと色々試みますが、
そのうち実はジャンプ力も走る速さもゲーム内の世界で
全て決められている事に気付く、つまりゲームの仕様は
こういうもんなんだとわかり、その時点でマリオからは
一歩引いた感じになります。
しかしそれでもゲーム自体は続いているのでマリオは
進まないといけません。

しかしこの過程では既に自らからマリオであるという
感覚は薄れているので、何だかんだありながらも
ステージは進んで行きます。

更に行くとゲームの仕様の中でマリオを動かしていると
思っている事も実は違い、マリオどころかキノコも亀も
全てひっくるめて決まった通りに動いているものであり、
それらをプログラム通りに走らせているファミコン本体
こそが己なのではないかという事になるのですが、
別にそんなよくわからない事までは気にしなくて
良いので、引き寄せであるならばああしたいとか
こうしたいという願望も、結局は外部要因からの
巡り合せ
であると捉えれば良いと思います。




更にもう一つ「何かしらのアクシデントがあると魂の向上
という人もいますがそれについてはどう思うか?」
という
質問もありましたが、これはあんまり深く考えた事は
無いですね。

まあマリオが亀に激突したら次は何らかの対処法を
練ると思うので、そういう意味では魂の向上なのかも
しれませんが、そもそも魂って何らかのものに宿ると
されているもので、それら全ては意識の上に
存在するものですから、ある特定の物体の魂が
向上するのではなく、意識自体が意識そのものに
気付いていく過程というならば、それは魂の向上と
言えるかもしれませんね。

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