役者の方からメールを頂いたんですが
あまり売れない事や、売れている人に対しての嫉妬、
それでも芝居と向き合いたい事等が綴られておりました。
わざわざありがとうございます。
私が思うに、我々はある程度決まったコース、
カッコつけた言い方をすれば
宿命があると思うのですね。
本来は
コースも何も無かった!一つであった!と
なるのですが、まずその前にコースの形、いわゆる宿命を
知らねばその先もクソもありません。
で、メールを送って頂いた方に関して言うなら
売れる売れてないとか嫉妬するしないがあるという事は、
この方は結局は役者業が宿命なのかもしれません。
役者人生が進むからこそ、そのような感情が出て来るわけ
で、別にそれは問題では無いのですよ。
問題は進んでいく宿命、つまり役者業では無く
それに付随した感情の方にフォーカスしているという事で
あります。つまりもう道が用意されてその道を歩いて
いるのに、道を歩きながらキョロキョロしたり
道に落ちている石ころを気にしたりしている状態です。
ですから進んでいくものに集中すべきです。
それが今に在るという事でもあり、最も
大きな力を
発揮できる状態です。
例えがあんまり良くないですが、競走馬であるならば
走る事が宿命であります。しかしながらその馬が
俺は牛みたく歩きたいとかヤギみたいに鳴きたいとか、
競走馬という道を進みながらもそういった事を気にして
いたらいつまでも力を発揮しません。
自分は競走馬であるという宿命を知り、走る事で初めて
大きな力を発揮する事が出来ます。
用意された道に素直に運ばれる、それこそが
"運"です。
私は運も実力の内とは思いません、
実力とは運です。
そして真に実力を発揮出来るのは文字通り
"運ばれた"時
なのであります。
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