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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「〜を願いましたが上手くいかなかったので、
私が悪かったんでしょうか」というメールを
たまに頂きますが、これは別に誰が悪いわけでも
無いです。

本来はその「誰が」が存在しません。
前の記事でも似たような事を書きましたが、
例えれば100人ぐらい登場人物がいるアニメで
声の出演を全て高性能AIが担当し、それぞれ全く
違う声質・喋り方でも中身は同じAIですから
100人の声優が存在するわけではありません。

つまり自他の区別が消えるので「誰が」も何も
ありません。「誰が、何が悪かったのか?」と
問う人と、それに対して答える人も同じなので
あります。あくまで見かけは問う人と答える人が
いるように感じるだけです。

そうすると特定の何かを特別視するという事も
無くなっていきます。全て同じなのですから
特別云々というのが消えていきます。

特別なものが消えると、もはや外部も内部も
無くなるので願望も消えていきます、願望とは
外部もしくは内部に何か支障をきたすと判断し、
それを取り除こうとする行為だからです。

しかし外も内も無くなれば、それぞれを
成立させる取っ掛かりが無くなるので、文字通り
死を迎えます。死は無になる事ではありません、
取っ掛かりが無くなる事です。

あなたがいなければ私もいないわけで、
つまりそれぞれがそれぞれを成立させる
取っ掛かりとなっているわけですね。

こうして本当の意味で"死ぬ"と逆説的に
なりますが、再び取っ掛かりを意識すれば
何かを体現させる事は出来ます。

簡単に言うといわゆるイメージするっていうのが
あるじゃないですか。例えば楽しく過ごしている
のをイメージすると良いですとか言うのも、
周りも楽しそうにしてて場所は墓場とかじゃ
なくて明るい公園とかで、一緒に過ごす人も
ブサイクやブスじゃなくてイケメンや美人とか
だったり、とにかく取っ掛かりをイメージする
事で自他を区別するわけですね。

ただここで問題なのは本当に"死んで"から
じゃないと自我がああでもないこうでもないと
取っ掛かりにケチをつけ出す事であります。
こうなると本来の姿(?)である自他が無い
死亡状態では無く、自分が存在しているという
錯覚が主役になってしまっているので、これは
幻想の中でグルグル回っているだけです。

"死んで"いるのであれば取っ掛かりに良いも
悪いも無いので、すんなり体現する事が
出来ます。

しかし面白いのは本当に"死ぬ"とわざわざ
取っ掛かりを使って、見かけは自他の区別が
ある状態で何かを体現する必要を感じなく
なってきます。

つまり願望の実現みたいのは出来るのですが、
やる必要性を感じなくなります。
何故なら"死んで"いるからです。
言い換えれば牛丼買うお金は沢山あるけど、
常に腹一杯で果たして牛丼食うかって事です。






と、ここまで書いて思いましたがちょっと今回
わかりにくいですねー、死んできます。
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