お金に関するブロックについてこの前記事にしましたが、
ブロックが外れたとしても突然お金が
ドバドバ入ってくるという事はありません。
ただお金を好きになるとか何だとかスピリチュアル系では
色々ありますが、結局それらもブロックでは無いのか?と
いう疑問はあると思います。
好きになるというか、要は金は天下の回りものという
言葉通りにお金が回る事を許可する、許容するという事
ですね。
お金である以上、入ってきたり出ていったりというのは
当然であって、お金が欲しいからとか、お金を払いたく
ないからとかで止めないという事です。
スピリチュアル的に言うと前の記事と被りますが、
はっきり言ってこれだけです。
お金が入る、出る、という
事象が流れていくのを許可する
わけですね。そこに俺の金だとかヘチマだとか
事象に
感情を入れない、という事です。
もうちょいリアル寄りに言うと、例えば最近のコロナ騒ぎ
では感染症は基本的に誰でも罹るし誰にでも移すもの
ですが、それらを徹底的に排除したつもりになる事で
却って社会が行き詰まってしまっています。
この
"つもり"になる事がブロックを生みます。
例えばマスクをして手を消毒して飲食店に入っても、
席に付いたらマスクを外して恐らく現代人の持ち物で
一番汚いであろうスマホをいじりだす時点でこれはもう
排除したつもりになっているだけです。
なので結局は発症する人は発症します。
誰でも罹るという当然の事が起きたまでですが、
排除しているつもりになっているので、感染症は
誰でも罹って誰でも移すという当たり前の事を受け入れ
られずにああでもないこうでもないと騒ぎ出します。
お金もこれと同じで、基本的に資本主義は誰かの借金を
請け負いながらグルグル廻しているだけなので、
私の収入、私の支出とかお金を運用している"つもり"に
なると却ってお金の流れという事象を妨げる感情が入り、
事象をコントロールしなければと自我が苦しみだすと
いうわけです。
そうするとその苦しみを何とかする為にもしかしたら
何かブロックがあるのでは・・とか言い出して
ふりだしに戻るわけですよね?
じゃあもしかしたら最初からブロックなんていう概念自体
が自我が
苦しみを正当化する為にでっちあげたもので、
本当はそんなもの最初から無かったんじゃないですか?
という事です。
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