「自由意志も無く全て決まっているなら認識が
変わったとか何だとかも結局は決まっているのか?」というメールを頂きました、ありがとうございます。
これはそうだとも言えるしそうでは無いとも言えます。
以前も例えばモテない男性は結果を気にせずどんどん
女性に声をかけて殆ど作業みたいにすれば良い、みたいな
事を書いた気がしますが、要は100人に声かけて100連敗
が決まっていたとしてもそれをネガティブに捉えるには
わざわざネガティブを
引っ張ってこないとならないと
いう事です。
つまりある出来事が決まっていたとしてもそれに対して
何を感じるかはどんな感情を引っ張り出すかで決まり
ます。こうして初めて良いとか悪いとかが決定される
わけです。
更に言えばどのような感情が
引っ張り出されるかも
決まっているなら、これは目にゴミが入ったら目を
閉じるとか膝のお皿の下を叩くと膝が跳ね上がるとか
全て反射みたいなものに過ぎない、となります。
そして反射であるならばそこに「私」は介在しないという
事になります。こうして
行為者の不在という事が出てくる
のであります。
つまり認識が変わったとか何だというのは確かに
そのような事があったとしても、結局は反射の一部で
あったと知ればまた振り出しに戻るわけです。
今まで自分は魂があると思っていた自動に動く人形が、
魂が無いとわかってからも特に外見とかは変わらず
やっぱり動き続けるようなものですね、
そこに認識が変わったとか変わっていないとかを考える
行為者はもう居ません。
でも行為者が居ないとゲーム(人生)が楽しめない
やんけ、と思うかもしれません。
確かにそれはあります、しかし行為者が居なくなるという
事は今まで人生と思っていたものが関係無くなるように
なり、結果として人生において問題と思っていた事や
願望と思っていた事が解放されていくのであります。
何か長くなりそうなので次回に続きます。
PR