前回の記事の続きというか補足的なものになりますが
基本的に人生というかゲームとは相反するものが一体に
ならないと実体として出て来ません。
簡単に言うと仮に何らかの願望があるとすると、
当然それを妨げる困難や様々な要因のようなものも
同時にあるわけで、例えば( )のようにカッコの
部分が困難だとすると困難に囲まれているから真ん中の
空白を願望と認識するわけです。
では困難を克服しカッコ部分が消えると ←
このように何も無くなるわけで、つまり願望とは
満たされるものではない、という事です。
新たな( )が必ず出てきます、というか願望に限らず
ゲームとはそういうものです。
スマホゲー等でもプレイヤーを飽きさせない為に
次から次へと新しい( )が出てきますよね。
しかし本来は( )に囲まれた何も無い空白が
本質であります。そして自分と思っているものが実は
( )のカッコ部分なのであります。
今まで多くのカッコ部分を感じる事で
出来上がった
輪郭を私の人生、と呼んでいるに過ぎません。
つまり最初から生まれてもいないし死んでもいないので
あります。空白に()をつけて( )になったからと
いって空白が生まれたとは言いませんし、()を消して
←のようになっても空白が死んだとは言いません
よね。最初からずっとそこにあるやんけ、というのが
答えです。
人生は苦である、とも言われますが苦というと何か
メチャクチャキツいみたいなイメージになりますが
人生は()の連続であるとも言えますね。
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