「ある人物に復讐したいけどどうすべきか?」的な
メールを頂きました、ありがとうございます。
これは別に
どっちでも良いんじゃないですかね。
というか話を根本的なものにすると、
人生にはこういった選択を迫られる場面が多々あって
それに対して少しでも良い方向を選ぶ
必殺技みたいのを
スピリチュアルとかに期待している場合が多いと
思うんですけど、以前の記事で書いたように
意識の中に人生と呼ばれている概念があるわけで、
人生を生きている、つまり選択を強いられていると
感じている自己も意識に現れた現象に過ぎないわけで
あります。
なのでどっちでも良いと言えばどっちでも良いんですよ。
話が少し逸れますが高い集中力で優れたパフォーマンスを
発揮している時は大体選択はどうするとか何だとかは
吹っ飛んで、まさに今に在るというか意識の現れとして
天才的なパフォーマンスを発揮します。
極端な例えですが足をサメとかワニに喰われているのに
本人は平然とメシ食ってるとかスマホ弄ってるとかも
驚異的なパフォーマンスであります。
これは天才では無く狂気と言われると思いますが、
何を言いたいかというと
天才と狂気は紙一重というのは
こういう事だと思うんですよね。
自己が意識を持っているのではなく、意識の一部として
自己という概念があります。
なので概念に過ぎない自己に選択権はあるように見えて
実はありません。
つまり選択の結果がどうあれそれは意識の体現としての
ベストパフォーマンスです。言い換えれば人生に選択が
あるのではなく、選択(意識)に人生があるとも
言えます。
カッコつけて言えば常に天才と狂気の狭間に在るべきで
あります。
PR