昨日の記事の内容について
「一度殴られたぐらいなら受け入れたり出来るけど
何度も殴られたりしたら猛烈に復讐願望みたいのが出てくるので、こういう時は
どうすんの」という内容のメールを頂きました。
まず「何度も殴られる事態」というのが世界=自分であるという観点から見ると
どんだけ殴られたがってんだという話になりますが、結局そのような事態が
繰り返し繰り返し起こってしまうということは、何かしらそのような概念的なものが
内面に存在するということです。
ですから昨日の話に戻ってしまいますが、「殴られた」や「怒り」と距離を置こう、と
なってしまいます。
もし仮に復讐が成功しても、それによって様々な感情が渦巻いて、結局それらに
振り回されてしまうと、今度は
「復讐を望みたくなるような出来事」が
次々と起こってしまうかもしれません。
こうなるとまさしく血で血で洗う毎日に突入するかもしれないので、
そういった
仁義なき戦いに身を投じたい人はともかく、普通に暮らしたいと
思っている人には、やはり復讐願望自体持つ事をお薦めしません。
結局の所、復讐という「願望」も一般的な願望実現メソッドと同じ罠に陥りやすいのです。
まあ復讐したいも結婚したいも「同等」なんですけど、復讐したいんであなたに愛を送りますとかは
難しいですよね。
「復讐したい→復讐したくなるような事が次々起きる」は願望実現メソッドに熱心に取り組むと
「願望を実現したい」→「願望を抱くような出来事(不足)」が次々と起こるという
ループに陥る場合と似ています。(実現したい、のだから
お望み通り実現したくなるような不足が
次々出てくるわけです)
このループを脱するには少し骨が折れると思われますが、
その辺は次回以降の話です。
まあ以前の記事でループを脱するための話みたいのを恐らく書いていると
思うのですが、そんな事は気にせずこのブログの内容もループであります。
PR