「スポーツの試合で勝たせたいチームを勝たせることが出来るのか!?」という
メールを頂きました、ありがとうございます。
これは結論から言うと
「可能」と言えます。
が、話がややこしくなるのはここからで、「こっちを勝たせたい」っつー概念は
嫌でも
「自分」と
「敵」を作り出すのでどうしても分離してしまいます。
この分離を統合させ
調和の世界に行くには
オーケストラのイメージであります。
オーケストラは様々な楽器が音を調和させて一つの楽曲を生み出します。
楽器ごとの音の優劣を競うわけではありません。
ここからいきなり話がスッ飛びますが、調和させるためには文章で書くと、
「音」そのものになるという事です。
「音」を認識するのではなく「音」そのものになるとは、逆説的ですが
「音」を無視するということでもあります。
「音」を「音」として認識していない状態は「音」そのものです、何故なら「音」自身は
「俺って音だよ!」とは思わないからです。
「今、音が流れてるじゃん」と認識した瞬間に
「音を認識したアタクシ」と「音」に分離します。世界というのもこれと同じで、「世界を認識した」と思った瞬間に「世界」と「世界を認識した俺」
に別れてしまいます、これは正確に言うと調和ではありません。
磁石のように引きつけ合ってはいますが、統合はされていない状態です。
男が女性のお腹の子供を認知した瞬間に初めて「家族」と「家族の中のパパというポジション」に
なるようなもんですね(?)
話が逸れましたが、スポーツで贔屓のチームを勝たせるのも、この
「調和」状態で
眺めている(正確に言うと”眺めている私”はこの場合存在しないので
眺めていないんですが)と
何だか知らないが気が付いた時には勝っているという状態を創り出す事は可能と言えます。
ただこの辺の感覚というか何というか、ちょっと文章では表現が難しいかもしれないですね。
しかしながら世界との調和を体感すると、ある種の瞑想っぽい状態になって
何だか知らないけどキモチイイという初めてオナニーを発見した時のような快感があるので
皆さんも調和しまくってください。
調和については、明日以降も続きます(多分)
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