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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「自分は、実は存在しない」というのは難解で、これを理屈で捉えると大変に迷います。
例えば「自分とは知識や情報の集まりであってうんたらかんたら」というのは
半分は正しいですが半分は間違っています。

スピ系に限らずあらゆる知識の厄介な所は、「経験者」という概念を生み出す事です。
「自分が居なくてどうのこうの」と聞くと、必然的に「それを経験したい、
しなくてはならない、経験者になりたい」と思ってしまいます。

まあこれはよく考えなくても当たり前の事で、経験が有るからブログだ何だに
書く人間が出てくるわけで、それを読んだ人が同じような経験をしたいと思うの
当たり前ですよね。

しかし、この「経験者」は曲者であります。
何かを経験するとは、それを経験する前と後が必要になってきます、
つまりどうしても「経験する私」と「経験」が分離します。

「私は居なかった」なら「私の不在に気付く前のアタクシ」と「私の不在に気付いた後の
アタクシ」が必要なのです。

以前、「全ての行為は分離していくだけ」みたいな内容の記事を書きましたが、
まさにありとあらゆるメソッドの類いがこの罠にハマります、というよりハマらざるを
得ないのです。

そして皮肉にもメソッドを行う事による「経験」体験が分離を起こし、
苦しみを生むのであります。「経験」とそれに伴う「経験した私」の境界線で戦いが
起こるわけです。
「実践した(という経験)」と「実践したけど何かしっくり来ない私」が
原因で苦しむわけです、これは仮に「実践してうまく行った」場合でも今度はその
「成功した経験」を追いかけるので同じことです。昔から争いは領土の境界線で起こると
決まっているのであります。

この苦しみを終わらせるには、「経験者」が居なくなれば良いのです。
というより最初から経験者など何処にも居ません。
あらゆる経験は経験であって、ただそれだけです。

炎が燃えていても炎があなたであって、炎にビビる、苦しむという「経験者」は
居ないのです。「経験者」である事を止めましょう、すぐに苦しみを経験している者は
消え去ります。

で、話が戻りますが「私が居ないのを体感したい」なら何をやっても良いし、
何もしなくても良い
のです。何故ならその「経験」を通じてあれやこれや騒ぐ
「経験者」は最初から居ないからです。
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