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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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だいぶ前に書きましたが、私は学生時代にボクシングやってたんですよ。
ボクシングに限らず格闘技って皆そうかもしれませんが、基本的に試合してる選手同士に
平等に時間は流れてないんですよね。

単純な例だと、キレのあるジャブとかをパッパッと出されてブロックするのがやっとの場合、
ブロックするほうはブロックの動作だけに必死に時間を費やしますが、
ジャブ出してる方はそのままジャブを出し続ける事も出来るし、
フェイント入れたりサイドに回ったりと選択肢が多くなるんですよね。
つまり片方がブロックという一つの動作を仮に1秒間で行うのに対し、攻めてる方は
同じ1秒でもその間に様々な動作を選択できる、時間を贅沢に使えるわけです。

まあこれ以外にも色々ありますけど、様々な要因の積み重ねで試合の流れってのは
作られていくわけです。

様々な要因で試合の流れが作られ、それに一喜一憂しているのは、
自我が確固たる存在を主張している場合と似ています(?)

様々な要因で時間が長く感じたり、短く感じたり、俺は幸せだとか不幸だとか
騒いでいますが、逆に言えば様々な要因が無ければ自我は存在できないのであります。

普通の感覚(?)だと自分(自我)が存在し、外から様々な要因が飛んできて
自由意志を持ってそれらを捌いていると感じますが、逆に様々な要因こそが自分で
あるならば、まさに自我は広大な海の中に起こる小さな波に過ぎない事が
わかると思います。

まさに自我とは世界の流れの中にある小波に過ぎません、
波には起きてから消滅するという時間の流れがありますが、海には時間の流れは
関係ありません。海と波に平等に時間は流れていない、というか海に時間が
無いのに対して、波は常に時間と自由意志があるという拘束の中で苦しみます。

様々な要因が流れてくるのに対して、反応する事で勝手に波が起こり、
ああでもないこうでもないと始まるのなら、流れてくるものが己であると
知れば良いのです。

そうすれば波は起きません、それどころか要因を経験する者が居なくなる瞬間が
訪れます。もはや要因を見る者も、それを経験する者も、それを観察する者
居なくなるのです、それが不生にして不死のあなた自身の本質です。






ちなみに私がいつも同じような事をややこしい表現で書いているのは、
決してパンチドランカーだからではありません。
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