昨日の続きですが、自由意志が無い、という事は極端に言えば
全てオートマで
進んでいくという事であります。
これはまあよく考えるとごく当たり前の話で、例えば私とあなたがボクシングを始めたら
ボクシングのルールに沿って局面は進んでいくわけで、途中から背負い投げが炸裂したり
ヌンチャクで戦ったりはしません。
確定しているのはどちらかが殴り倒されるか判定まで行くという
極めてシンプルな事であり、ボクシングを始めた時点で未来は確定しているのであります。
もうちょい正確に言うと、未来は確定しているというより、
多くの要素が
同時に存在しているという事です。
簡単に言うと私があなたをブッ飛ばしたとして、またはその逆の場合も、
それをざっくり分けるとブッ飛ばすパンチはストレートかフックかアッパーの
どれかになるわけです。
つまりストレートでブッ飛ばす(またはブッ飛ばされる)、フックでブッ飛ばす、
アッパーでブッ飛ばすの三種類の「未来」がボクシングを
始めたと同時に
存在するわけですね。
ボクシングを始めた以上、三角絞めやオモプラッタで決着がつくという未来は
存在出来ないのであります。
自由意志があると思うと多くの選択肢が時間軸に沿って出てくるように感じますが、
シンプルに捉えれば
全ての要素は既に同時に存在し、そして同時に確定しているのです。
なので時間とは存在するかのように見えますが、存在しないのです。
で、ここまで読んで「ならば今度ボクシングをする時はまさかの飛びつき腕十字を
してやろう」と思ったルール無用なボクサーもいるかもしれませんが、
そういった思考もこのブログを読まないと出てこなかったはずなのです。
なので結局は
与えられた刺激・環境・条件の下において全ては確定され
同時に存在しているのです。問題はそれに気付くか気付かないかだけです。
「殴られたくない」のならば、必ずどちらかがブッ飛ばされるボクシング自体を
やらなければよろしいのです、ボクシングに参加した時点で殴り殴られる「未来」は
確定しているのですから、ボクシングに参加しているのに殴られたくないとか
願うのは無理な話です。
または馬券を買っているのに
「お金を失いたくない」とかは在り得ません。
お金を失いたくないならそもそも競馬場なんかに来なきゃ良いだけの
話ですよね。
しかしあえてボクシングやギャンブルに挑戦して勝ちたいのなら、それらに参加する事で
「必ず確定し、同時に存在している」あらゆる未来を受け入れる事です。
既に存在し確定している事象を受け入れる事で、あれやこれやと悩む自我は衰退していきます。
そもそも悩む事象自体が無いのだから自我の出る幕が無いので、
こうして事象そのものとなるのであります。
スピリチュアル風に言えば「世界は自分だった」となるわけですね。
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