我々が観ている世界で起こっている事は、全部源泉かけ流しから湧き出てくるものです。
(いきなり源泉かけ流しとは何の事かわからん、という人はここ数日の記事を参照してください)
そして湧き出てくるお湯でも水でも何でもいいのですが、
それらが通る媒体が我々である、と
いう事です。
つまり源泉から湧き出る温泉は、配管設備を通らないと外に流れる事が出来ません、
配管設備が我々であるという事です。
マリオブラザーズは昔、土管から出てくるカメやカニと戦う配管工でしたが、
我々は
土管そのものだったのです。
源泉からはとても素晴らしいお湯が湧き出てくるので、我々土管はいちいちお湯の質に
拘る必要はありません。拘って喚いているのはエゴであります。
「今日はこんなに汚いお湯が流れてきた!」とか「なんか臭い!」とか色々喚いていますが、
知った事ではないのです。
我々は源泉から湧き出るお湯を外へと放出するフィルターに過ぎないのです、
エゴのおかげでどういうわけかフィルターの分際で
意志を持っていると勘違いしているだけです。
何かしらの願望を持つという事は、既に源泉からそれが湧き出ているという事です。
何も邪魔しなければ、それは我々というフィルターを通じて流れ出てきます。
しかしエゴが色々と喚いて「いや、その願望は何々が足りない」とか
「これはポジティブなお湯」とか「これはネガティブな水」とか色々言い出すわけです。
源泉からすれば
「土管がしゃべった!?」という驚きで
せっかく湧き出てきたお湯を止めてしまいます。
源泉かけ流しの力を外界に流すには、度々書いていますが
自由意志は偽りである、という事に
気付く事、そして全ては一つである事に目覚める事です。
全ては源泉から繋がっている配管なのですから、嫌でも我々は一つなのです。
「世界は源泉だ、そしてそれを流す君たちも源泉だ」という事ですね。
これは
「この漫画はロックだ。そしてこの本を手にした君たちもロックだ」という
某漫画家の言葉に通ずるものがあるのです(嘘です)
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