昨日書いた記事で、実は我々は
生まれてもいなかったと書きましたが、
意外にも読者の皆様からの反響が多かったです。
「わけのわからん事を書くな」という内容かと思いきや、「全てわかりました」みたいな
内容のメールも頂いて喜ばしい限りであります。
その一方で、「生まれていないという事は、存在もしていないのですか。
全部終わりやんけ」と
いった内容のメールも頂きました。
そう、
全部終わりなのです。
ただしこれは、エゴが終わったということです。
昨日も書きましたが
「寝ぼけ」から目覚めたのであります。
で、目覚めたからどうだって言うのかと思われるでしょうが、
目覚めたということは
「私」(エゴ視点の)が死んでしまったということです。
「私」が居ないということは、「私はこれを持ってない」とか「私は何々が無い」とかの
「無い」が無くなってしまったということなのです。
何かが思い浮かぶ、しかし、それは無い。という思考は細かく言うと
「しかし、それは
(私には)無い」と言っているわけです。
ですから「私」が無くなると「無い」が無くなるという
オモシロ現象が起きるわけです。
最初っから「在る」しかなかったのにわざわざエゴが「無い」と言っていたのです。「在る」しか無い認識になるには「私」が死んでくれないと困るのです。
ですからエゴに
「おまえはもう死んでいる」と告げましょう、そしてそれ以降の思考から全部
「私は」という概念を消しましょう、何故ならすでに(エゴ視点の)あなたは
「ひでぶー!!」と
なっているからです。(
「あべし」でも良いです)
「私は」を採用しない事です。、突然「ひでぶー!!」となる瞬間が来るかもしれません。
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