「色々辛いのですが、どうすれば救われますか」的なメールを頂く事が
あるんですが、まず救われる云々の前に我々は、というか自我は関係性の中においてのみ
成り立つものであります。
例えば私はゲーム好きなんで、ゲームやってる時はとても幸せです。
これはゲームと私、が居ないと成立しないわけです。
で、嫁さんと居ると別に幸せではなく、特に嫁さんの機嫌が悪い時なんか
かなり不幸であります。これも嫁さんと私、という関係性の中においてのみ
成立するわけであります。
厄介なのは何かから救われたいと言いつつ、他の物との関係性を求めてしまう事です。
「世界が全て自分とわかれば救われるのに」と言いながら
「世界が全て自分と
わかった自分」との関係を求めてしまう、これが
スピ系の罠であります。
これは「私」との強固な関係性が前提としてあります。
なので「救われたい」という思いと関係性を持っているなら、逆にどんどん関係性を
強固にしてしまう手があります。
つまり
「私はもう救われない、死ぬ、ダメだ」と強く思って実際に死ぬかどうか
やってみれば良いのです。多分死なないと思われますし、何も起きないという事は
「もうダメだ」というのは「私」と「思い」の関係性が見せているだけであって、
実は救われないものなど最初から何処にも居ないのです。
では本当に死んだらどうするのか?これも結構な事でその時点で
「救われない」という思いから解放されるわけで
全然OKという事になります。
「冗談じゃない、死ぬ為にそんな事してるんじゃない!」と思うかもしれませんが、
それもまた「救われたい」という思いが解決したにも拘らず、
今度は「生きたい」という思いと関係性を即座に持って、消滅を避けようとする自我の
叫びなのであります。
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