「スピリチュアル好きの私の知人が”俺は世界と一体となった”とか
言い出した。彼は頭がおかしくなってしまったのでしょうか」というメールを頂きました。
そもそも世界と一体だ何だというのは大層なものではなく、実は
誰もがデフォルトな
設定であります。
かなり前の記事ですが、このように「都合の良い事・状態」の時って自他の区別が無いんですよ。
ところが「都合が悪い(と感じる)」時ほど自他の区別にはっきり境界線を引くものです。
「世界と一体だった!」とかの状態って至福感MAXになりやすいので
その「都合良く感じる」至福感でどんどんトリップして、
その後、妙に悟ったような口を利くようになるんですけど、
これは
AV鑑賞後の賢者モードみたいなもので、あまり意味がありません。
気に入らないと感じる時も、それをエロビデオを観ているが如く
受け入れなければなりません。
するとどうなるか、エロビデオを観ている私、と感じているものですら
エロビデオと同じくコンテンツの一部に過ぎないとわかるのであります。
何処まで行っても、コンテンツが映し出されているだけなのです。
そのコンテンツで何か傷付く者など何処にも居ないという事です。
まさに夢と同じであります。
「では全てが夢ならば現実は何処にあるのか?」と思うかもしれませんが、
現実というものはコンテンツの中に概念として存在しているだけで、
実際は存在していません。
例を挙げると、ビデオの映像は現実に存在していますが、
地震が起きても映像の中の人物が驚いたりする事はないのに近いです。
気に入らないものから目を逸らすために
「これは夢で、現実はこっち」というのではないのです。
それではまさに
現実逃避になってしまいます。
「本来は夢のようなもの」とは、裏を返せば「全て現実」なんですよ。
夢と現実は分離しているのでは無く、最初から統合されているものなのです。
その統合された現実=夢の中で生きる事が、そのまま
”道”となるのであります。
まあだからといってわざわざ知り合いに「俺は世界と一体となった」とか
面と向かって言うのはどうかと思います。
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