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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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スピリチュアルに多いので不快感を
受け入れてどうたらこうたらというのが
ありますが、そもそも不快とは何ぞやと 
いう話であります。

基本的には内面と外面の不一致が不快感を
生みます。例えば共産主義に傾倒した人物は
自民党の政治家を見かけるとムカつくかも
しれません。つまり共産主義最高や!という
内面と、外面に現れた自民党が一致しない

ものなので不快な感覚になるという事です。

「じゃあ全ては自分であるとかヘチマだとか
内面と外面の一体化を目指せば良いのですね」

となるかもしれませんが、ここが落とし穴で、
不快感をどうにかする為にスピリチュアルでも
宗教でも何かを学ぶというのは一見すると
合理的に見えますが、それはあくまで不快な
ものからの防御を目的としたものであります。

つまり博打に勝つならハートを鍛えろとか
度胸をつけろとか言っているのと同じです。

しかし何故鍛える、あるいは学ぶ必要が
あるのだろうか?
という観点から見ると、
当たり前のように感じますが何かが足りないから
という事になります。

世の中の色々な事から不安を感じるなら
気づきでも悟りでも何でも良いから身につける、
博打ですぐにビビってしまうから度胸を
鍛える、これは確かに合理的で何の間違いも
無いように思われます。
しかし博打ならばどんなに負けても自分の身内が
無尽蔵にお金を出してくれる状態なら
そもそも度胸を鍛える必要もありませんし、
世の中の様々な事が不幸で無くなれば
不幸に耐える必要も無くなります。

何かを学ばなねば、鍛えねばというのは
裏を返せば常に不足の方しか見ていないと
いう事であります。

つまり損失を常に気にしているという事です。
博打で負けるのが不快だったり株を
損切り出来ないのは、損失を取り戻す事が
出来ないかもしれないという
損失への強い意識です。

しかし損失が無ければ得する事も無いのですから
損も得もあると受け入れるのが、
全て在ることの前提となります。

全てが在るとは、あらゆるものは
全て起こる可能性があると同時に全ては
決まっている
ということを知る事であります。

これは矛盾しているように見えますが、
例えば株価でいうとある会社の株価が
朝っぱらには100円でスタートしたのが
5分後に何故か1000円になってまた3分後には
50円まで下がったとか、またはその日の午後には
10000円になってしまっていたとか株価の
上下はあらゆる可能性を秘めていますが、
結局値動きを繰り返す、というのは
決まっていますし、日本の株式市場である
以上は100円で始まった某社の株が昼間に
100ペソに単位が変わっていたという事も 
ありえません。

別の例でいうならゲームでキャラクターを
育ててパラメーターの組み合わせが無限で
あっても、ゲームのキャラがゲーム世界で
設定されている言語以外の言葉を喋りだす事は
ありえないのと同じです。

つまり無限の可能性とは同時に有限の
全てが決まっている世界と両立している
ので
あります。

世の中というか世界は全ての可能性と
全ての決定済み事項が同時に存在している
だけであって、何の敵意も悪意も無く、
ただ全てが在るだけのものです。
敵意も悪意も無いなら、防御する必要も
鍛える必要もありません。

博打なら損失はダメージでも何でも無く、
普段の生活も不幸でも何でもなくなります。
それは全てが在ることの体現でしかありません。

そうなった時にもはや自己とそれ以外を
分け隔てるものは無くなるのであります。
夏の暑さも冬の寒さもあなたが体験
するのではなく、あなたの中に在るのです。
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