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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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基本的に人は価値が高い(と感じる)ものを求めます。
歳をとればとるほど若さというものに価値を感じますし、貧乏であればあるほど
お金に価値を感じます。病気であれば健康に価値を感じるでしょう。

しかしながら価値の高さとは、あくまで個人の価値観の範疇でしかないものであります。
スピリチュアルでよく言われる手放せだの何だのは、早い話が求めている物の
価値を下げてしまえという事です。

病気の人が様々な民間療法や、人によってはスピリチュアルにまで頼るのはわかりますが、
結局それは健康がとても価値の高いものになってしまっている、
何かをしなければ得られないものだと思ってしまっているわけです。

なので健康にしろ何にしろ、特に無理をしてまで手に入れる価値の無いものだと切り捨てる、
手放してしまった方が良いです。(医者に行くなとかの意味じゃないですよ)

「それはトンデモねえ事です!」と感じる場合、欲している物の価値が上がり過ぎています。
しかしその価値は、他でも無い自分で勝手に決めた価値であります。

恥ずかしながら、ガキの頃の私はお金というものに全く価値を感じていませんでした。
オヤジはともかく、祖父は随分と私を甘やかしたので、小遣いくれと言えば
ホイホイ諭吉が出てきました。まあオヤジも機嫌が良い時には結構くれたんですが。

ちょうど今ぐらいの時期、高校の同級生が夏休みはコンビニで時給850円だか何だかで
バイトしていると聞いた時、「1時間働いて800円かそこらなんて、こいつ馬鹿じゃないのか」
本気で思ったものです。

「しかしお金に価値を感じないといっても、それはアンタがそこそこ裕福な
家庭で子供時代を過ごしただけの話じゃないか。私はアンタのような馬鹿息子では
ないからお金は大事だと思う」
と思う人が大半だと思いますが、
ポイントはそこなんですよ。何に価値を見出すかってのは結局、過去の経験等から
導き出したものを引っ張り出しているだけなんですよ。

例えば私はオッサンになった今、学生時代の夏休みバイトってものにモーレツに
価値を見出しています。
やっぱり遊んでばっかりいないで十代の頃にバイトして社会勉強すべきだった、と
この歳になってから思います。

でもそれは「夏のバイト」ってものにガキの頃の記憶や、社会人になってからの
経験等を引っ張り出して、勝手に価値の高いものにしているだけですよね。

前回の記事と被りますけど、単なる物事にすら、それに価値を与える為に経験やら何やらを
引っ張り出してきているんですね。

実際はあらゆるものの価値って特に決まってなくてフラットなんですけど、
自分でも気付かぬうちに価値を付けていって、”価値が高い”と判断したものを
欲しがるわけです。

ですから誰が欲しがっているのかという事です。

経験やその他色々を引っ張り出して”あれは価値が高い”を作り出しているなら
本当にそれは自分が判断した事なのか、という事を問うべきであります。
自分が判断した事でもないのにそう思わされているなら、それらは全て夢のようなものでは
ないでしょうか。一度「これは夢だ」とわかったら、夢の中で執着していたものは
どのように感じるでしょうか。

例えば夢の中で怪物に追われていたら命に執着すると思いますが、
「これは夢だ」とわかってからはどのようにその夢を眺めるか、という事です。
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「自分は海だ源泉だエゴの感情を気にするなと言っても気持ちが焦ります」というメールを
頂きました、ありがとうございます。

何か気になる事がある場合は、焦るのもわかりますが
焦りとか怒りとかの感情は何故感情として成立(?)するのかという事から
アプローチすべきであります。

怒りの感情を例に挙げると、そもそも怒りとは何となく胸がムカムカするとか、
腹の辺りが熱くなるとか、あるいは昔あった嫌な事がありありと思い出されるとか
色々な反応があると思いますが、逆説的に言えば
それらの反応が怒るためには必要なんですね。

という事は怒りとか焦りとかその他色々な感情は身体の反応、およびイメージを
必要とするわけです。つまり怒るため、焦るために反応を引っ張り出してくるわけですね。

という事は反応が起こってもそれを採用しなければ良い、となります。

文章で書くと難しいかもしれませんが、例えば仮に芝居をやっていて
悲しい場面で涙を流してくれと言われて、宝くじに当たった所とか
風俗で遊んでる所とかをイメージする人はあまり居ないと思います。

殆どの人が身内の葬式とか、そういった”悲しい”を引っ張り出すイメージを探すはずです。
普段の生活で怒ったり焦ったりも過程としては同じ事をやってるんですよ、
ただあまりにそれが高速で行われるので、自分自身が反応をわざわざ探して来ている、
という事に気付けないわけです。

で、少し話が飛びますが「自分が存在する」感覚というのも、やはり反応を探してきた
結果であります。一切の反応に任せない事が、無為自然な状態であります。

しかし勘違いして欲しくないのは「何かを成し遂げる」ために反応しないのではありません、
それでは「何かを成し遂げるにために、反応しないこと」に反応している状態に
なってしまいます。

「勝つために無心になる」は”勝つ”事に対して無心という反応をしているので、
実は無心ではありません、邪念ありまくりです。

そもそも”勝つ”とは普通は自分が勝つため、または自分が都合の良いようにする事ですから、
反応の集合体(?)として現れている自分が前提となっている時点でおかしいでのあります。

自分とは単なる反応を引っ張り出して作り上げた偽りの存在である、という事を知れば
実は一度も世界と分離せずに、ずっと共に在ったことに気付くでしょう。

そしてその瞬間、文字通りあなたは死にます。
偽りの自己は冗談抜きで本当に死ぬのであります。
同時に偽りの自己が抱えてきた、わざわざ反応を引っ張り出してまで作っていた
悩みも苦しみも死にます。

おまえはもう死んでいるっていうのは、マジだったのです。
昨日、巷で話題のシン・ゴジラを観たんですよ、
結構これは評価が分かれる作品かもしれないですね。

ゴジラを先の震災における災害の化身というか暗喩として描いており、
最初は津波、中盤は放射能火炎吹きまくって原発大暴走、ラストは冷温停止という感じで
「まあ日本は何だかんだでスクラップ&ビルドで成長してきたから
これからも何とかなるんじゃね」
的な感じですね

個人的には、全体的に良い出来だったんじゃないでしょうか。

ただ今回は突然現れたゴジラに政府関係者が右往左往するのがメインで、
人間パートでああだこうだと同じような事の繰り返しにも感じる部分があるので、
その辺少しダレて感じる人もいると思います。
私も後半の人間パートは殆ど石原さとみに見とれてるだけでした。

というか石原さとみが居ないと登場人物が殆どオッサンとオバハンだけという
あまりにむさい映画になってしまうので、華は必要です。

内容は極めて大人向けなんで、過去のゴジラ映画みたくゴジラと自衛隊の最新兵器スーパーXの
新宿での決戦とかを期待していくと完全に肩透かしを食らうので、小学校低学年ぐらいの
お子さんがゴジラ観たいと言って連れて行っても途中で飽きる可能性大です、
そもそもゴジラがそれなりに暴れるシーンが3回ぐらいしか無いですから。
お子さんの居る方は注意しましょう。
昨日、東京都知事選が行われました。
選挙好きを公言する私としては、今回の都知事選は当然見逃せません。

結果は、自民党の派閥争いを端に登場した小池百合子さんが
過半数にせまる得票数で文字通りの圧勝、初の女性都知事誕生となりました。

野党連合の推した鳥越さんは、登場したと思ったらスキャンダルでフルボッコにされ
御本人も軽くボケてるっぽい感じで何だかよくわからないまま敗退。

私は前の記事で自民党が分裂選挙になったので、
野党は宇都宮さんに一本化して、アカく輝くスーパー宇都宮で挑めば勝てるのではないか、
と予想しましたが、一体誰が鳥越さんのようなボケ老人を引っ張り出してきたのでしょうか。
勝ち筋はあったと思うのですが、野党は最大のチャンスを逸しましたね。

ていうか鳥越さんが本格的にボケてて、月曜の朝一番で都庁に「おはようございます!」とか
言って出勤してきたらそれはそれで面白いんですけど。




今回は投票率も高く、それなりの役者も揃った個人的には面白い選挙でしたね。
まあ私の中では石田純一とは何だったのか、という疑問は残りましたけど。
今回はそもそも願望の実現とは何ぞやという話ですが、
簡単に言えば「正しいと思う方向に物事が進む事」ですよね。

では何故それを「正しい」と思うのか、これはもう「そう思うから」としか
言いようがありません。
何が正しいとか何が悪いというのは、直感でそう感じるだけの話です。

「いや、違います。私はこれこれこのような考えの下に、こちらが正しいと
考えます」
という人も居るでしょう。しかしそういった考えというのも、
「そう感じる」事から始まるので、理屈を並べても原点はどう感じたか、に
集約されるのであります。

例えば私はゴキブリを見ても特に何も感じません。
しかし嫁さんはゴキブリを見ると発狂し、たたでさえブサイクな顔面をさらにブサイクにして
ゴキブリをブッ殺すまで捜索を止めません。

これはもう、そのような感じ方になっているからとしか言えません。

私の嫁さんはゴキブリを全宇宙から皆殺しにする事が正しいと思っています。
しかし正しい事を実現するには間違った事、つまりゴキブリの存在が欠かせません。
なので嫁さんはゴキブリを”観る”のであります。

私はゴキブリの存在が正しいとも悪いとも思っていません。
ですからゴキブリ自体が居ても居なくても構わないので、却ってゴキブリを
”観なく”なるのであります。文字通り眼中に無いのです。

「正しいと思う方に物事が進む事」を期待するのではなく、
正しいと思う事も、間違っていると思う事も、捨てる事が肝要です。

”正しい事”というのは、勝手な定義です。
正しい事を選択するのではなく、ただ単に出来事を、行動を受け入れる事を
選択するのであります。








と言いつつも、この前も嫁さんがゴキブリを部屋の隅に追い込んでビニール袋に捕獲し、
ビニールごと熱湯にぶち込んで「やったぞオラァ!」とか雄たけびをあげているのを
見た時はドン引きしました。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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