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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「スピリチュアルで何か掴める、わかるのではなかろうか」的な内容のメールを
よく頂くのですが、基本的に期待しない事が肝要であります。

気持ち的には、色々と期待してしまうのは理解できますが、
期待した所で何が変わるわけでも、わかるわけでもありません。

期待や希望というのは、余計な架け橋に過ぎません。

期待通りに行かなければ何が違うのかとか、何処が間違ってるとか、
期待通りに行けばこれで良いはずだとか、私は何かを得たとか、
そんなものは幕間に入るCMみたいなもので、何の意味もありません。

というか芝居を幕間で中断させる必要は無いのであります。
寝ている時も、夢を見ている時も、起きている時も、バックグラウンドで流れている
意識は同じであります。期待や希望という余計なCMが意識を途切れさせて
「個人」という狭い概念に押し込んでしまいます。

ですから期待もせずに、希望も持たない事であります。
希望を持って絶望を拒否するのではなく、全てに置いて開かれたものになるという事です。

全てに開かれるという事は、味方も敵も無く、本当の意味で無敵になるという事です。
無敵ということは、もはや脅かす物は何処にも居ないという事であります。
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PS4の「ペルソナ5」にハマっているので更新は休止中です
「色々辛いのですが、どうすれば救われますか」的なメールを頂く事が
あるんですが、まず救われる云々の前に我々は、というか自我は関係性の中においてのみ
成り立つものであります。

例えば私はゲーム好きなんで、ゲームやってる時はとても幸せです。
これはゲームと私、が居ないと成立しないわけです。

で、嫁さんと居ると別に幸せではなく、特に嫁さんの機嫌が悪い時なんか
かなり不幸であります。これも嫁さんと私、という関係性の中においてのみ
成立するわけであります。

厄介なのは何かから救われたいと言いつつ、他の物との関係性を求めてしまう事です。
「世界が全て自分とわかれば救われるのに」と言いながら「世界が全て自分と
わかった自分」
との関係を求めてしまう、これがスピ系の罠であります。

これは「私」との強固な関係性が前提としてあります。
なので「救われたい」という思いと関係性を持っているなら、逆にどんどん関係性を
強固にしてしまう手があります。

つまり「私はもう救われない、死ぬ、ダメだ」と強く思って実際に死ぬかどうか
やってみれば良いのです。多分死なないと思われますし、何も起きないという事は
「もうダメだ」というのは「私」と「思い」の関係性が見せているだけであって、
実は救われないものなど最初から何処にも居ないのです。

では本当に死んだらどうするのか?これも結構な事でその時点で
「救われない」という思いから解放されるわけで全然OKという事になります。

「冗談じゃない、死ぬ為にそんな事してるんじゃない!」と思うかもしれませんが、
それもまた「救われたい」という思いが解決したにも拘らず、
今度は「生きたい」という思いと関係性を即座に持って、消滅を避けようとする自我の
叫びなのであります。
「スピリチュアル好きの私の知人が”俺は世界と一体となった”とか
言い出した。彼は頭がおかしくなってしまったのでしょうか」

というメールを頂きました。

そもそも世界と一体だ何だというのは大層なものではなく、実は誰もがデフォルト
設定であります。

かなり前の記事ですが、このように「都合の良い事・状態」の時って自他の区別が無いんですよ。
ところが「都合が悪い(と感じる)」時ほど自他の区別にはっきり境界線を引くものです。

「世界と一体だった!」とかの状態って至福感MAXになりやすいので
その「都合良く感じる」至福感でどんどんトリップして、
その後、妙に悟ったような口を利くようになるんですけど、
これはAV鑑賞後の賢者モードみたいなもので、あまり意味がありません。

気に入らないと感じる時も、それをエロビデオを観ているが如く
受け入れなければなりません。
するとどうなるか、エロビデオを観ている私、と感じているものですら
エロビデオと同じくコンテンツの一部に過ぎないとわかるのであります。

何処まで行っても、コンテンツが映し出されているだけなのです。
そのコンテンツで何か傷付く者など何処にも居ないという事です。
まさに夢と同じであります。

「では全てが夢ならば現実は何処にあるのか?」と思うかもしれませんが、
現実というものはコンテンツの中に概念として存在しているだけで、
実際は存在していません。
例を挙げると、ビデオの映像は現実に存在していますが、
地震が起きても映像の中の人物が驚いたりする事はないのに近いです。

気に入らないものから目を逸らすために
「これは夢で、現実はこっち」というのではないのです。
それではまさに現実逃避になってしまいます。

「本来は夢のようなもの」とは、裏を返せば「全て現実」なんですよ。
夢と現実は分離しているのでは無く、最初から統合されているものなのです。
その統合された現実=夢の中で生きる事が、そのまま”道”となるのであります。










まあだからといってわざわざ知り合いに「俺は世界と一体となった」とか
面と向かって言うのはどうかと思います。
「スピリチュアルで今に在るとか今を生きよとかあるけど、何だかよくわかんないんだけど」
というメールを頂きました、ありがとうございます。

まあ正直言うと私もよくわかりません。

しかしながら、生きるとは血液が体内を流れて、呼吸を行い、心臓が動くといった
勝手に行われている一連の流れというか、仕組みであります。

ですから勝手に生きているんですよね、
意識なんてしなくても今に生きているのです。

問題は「今を生きる」「今の生活を過ごす」になっているのが多い事だと思います。
生活っていうのは、早い話が生きている事にくっついてくるオマケみたいなもので、
メシ食ったりウンコしたりといった生活臭あふれる日々を過ごしながら「今に在る」とか
気取った事言われても困ります。

つまり「今に在る」とは「今の生活」ではなく、本当に「今を生きる」事なので
あります。インドの山奥で修行している悟った坊さんとかが俗世間と関わらないで
ずっと瞑想しているとかは、まさに「生きる」の体現だと思います。

だからといって日々の生活に追われている我々が生活を捨てねばならないのかと
いうとそんな事は無く、ただ単に「生活と生きるは別」と知れば良いだけですね。
何か「恋愛と結婚は別」みたいな話ですけど。

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