忍者ブログ

知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

HOME • Admin • Write • Comment
以前の記事でコンピューター将棋についてちょこっと書いてましたが、
将棋に限らず運が絡まないゲームで人間がコンピューターに勝つ事は
どんどん困難になって行くでしょう、このまま行くと10年後ぐらいには
スマホの将棋アプリが名人を上回る日も来るんじゃないかと思います。

私は「コンピューターはゲームの世界に居ながらにしてゲームに参加していない」
思うのですが、これをそのままスピ系の話に持って行くと、
将棋スパコンにはまず自由意志というものがありません、
彼(?)はあくまで将棋のルールの中で存在し、盤面の中だけで存在しうるものです。

が、しかし。 それは同時に完璧にして無限である事でもあります。

将棋のルール内なら何でも出来るし、盤面の何処にでも行けるのであります。
自由意志が無いにも関わらず、いや無いからこそ無限の指し手を示し、
そして将棋という完璧な形を体現するスパコンは、
まさに至福の絶頂そのものと言えます。

なので一切の感情や思考を持たないスパコンは、
そこに在るだけで無限であり完璧なのです。

仮にスパコンに対して、人間側が変な思い入れのある定跡とかを強引に指すように
プログラミングしたら弱くなると思うんですよね(多分)
ある意味スパコンに感情を無理矢理持たせるのと同じですし。

コンピューターにおける「バグ」ってコンピューター側の問題な感じがしますが、
実は人間側の感情や思考こそがバグの原因だったとしたら面白いですね。

話をスピ系に戻すと、人間は自我やそれに伴う感情や思考がバグだなんて
微塵も思っていませんが、実はそれこそがバグだったのであります。
バグを取り除いて「自由意志が無く、しかし無限にして完璧」のスパコンのような
本来の在るべき状態に戻りましょう。

それはまさに至福の絶頂としか表現出来ないものであります。






まあ スパコン、スパコンやってる時は誰でも至福の絶頂だし。

くだらないオチもついたので今回はこの辺で。
PR
前回のベンプレネタはどういうわけか食いつきが良く、多数のメールを頂きました。

私の世代だと筋トレと言えばブルーワーカーだったのですが、あれは確かアイソメトリックとかいう
理論に基づいている、それなりのトレーニング器機なんですよ。
少年ジャンプの裏表紙とかによく載ってましたよね(あと日武会とか)

で、トレーニングネタのせいかダイエットしたいですとか、朝起きたら元巨人の桑田真澄みたいな
顔になりたいですとかのメールが来たので、いつものように強引に
ダイエットをスピ系に結び付けてみましょう。

太ってるとか痩せているというのは、起きている時に外部の状況で判断するものです、
熟睡している時に太ったとか痩せたとか判断しませんよね。

早い話が太っているという判断、思考が無ければとりあえず「太ってない」のであります。
「じゃあ痩せてるんだと思えば良いのですね」となるかもしれませんが、これも違います。
痩せてるって思うのは、太っているって思考が元になるので、結局は同じ事を思ってるだけ
なのです。

なので最初の段階(?)としては、それらを観察する立場になれば良いのです。
まあ観察するっつーか、無意識のうちに観察しているはずなんですよね。

朝起きて鏡見て、今日も顔が丸いわとか朝から憂鬱だわとか起きた瞬間に色々思うかも
しれませんが、でもそれらを思考出来るって事は、思考に気付いているから思考出来るわけで、
実は最初から観察者なのですよ。

で、観察してるって事は何処かに観察する者がいるわけで、それを探してみましょう。

一体そいつは何処にいるんだろう。あれ、何処にも居ないじゃないかってなった時に
「太っている」という大事に抱えていた執着みたいのは消えるのであります。

「太っている」は観察者が居るからいつまでも太っていたのです。
観察者の存在自体がまやかしだったとわかれば「太っている」は消えてしまいます。

これは太っている意外にも「貧乏だ」とか「不幸だ」というのも全て同じです。
何で不幸なのかって、観察者がいつまでも観察しているから不幸なんですよ。

あまり面白くない映画がテレビでやってたら、テレビから離れて漫画でも
読んでりゃ良いじゃないですか。
「早く終わらねーかな」とかいつまでもぼやいている必要はありません。

映画を終わらせたいなら映写機をぶっ壊すんじゃなくて、居もしない観客を殺すという事です。
何故か観客に配慮している状態が、いわゆる幻にである自我に惑わされた状態であります。

これであなたも「太っている」から解放され、太っても痩せてもいない、何者でもない本来の
状態に在る
事が出来ました、おめでとうございます。
私の隠れた趣味は、実はゴールドジムでのトレーニングであります。
元々身体動かすのが好きなので、ガンガントレーニングして今ではすっかり
ゴツい体型になりました。ベンチプレスも100キロ挙がります、結構スゴいでしょ。

やっぱり家で辛気くさい顔してネットでスピリチュアルブログとか
胡散臭いモノ見てないで、外に出て身体動かしてりゃ良いんですよ。

と思ってたら読者の方からのメールで禅の修行(?)でも
様々な身体を使う鍛練のようなものがあるのを教えてもらいました、
ありがとうございます。

その鍛練では最終的に「己が動いているのではなく、大いなる何かによって
動かされている、己と大いなる何かとの一致を目指す」
そうです。

これは私もジムで運動している時に近いものを感じます。
自由意志が存在せず、心臓が鼓動し血液が流れるのと同じように、
全てが自我を越えたモノによって完璧に調和しているという
ごく自然な事に改めて気付くようなもんでしょうか。

さらに言えば周りの人達の言動も、大袈裟に言えば宇宙の天体が
勝手に、しかし法則性を持って調和した動きをしているのと
同じ
ようにも感じます。

以前に「流れに乗ってどうのこうの」とか書きましたが、
結局は「流れに乗る」も何も、最初から流れそのものが己であるという
事実だけが在るのであります。

というわけで気候も暑くなってきたし、皆さんも外に出て運動しましょう。






ちなみに日本人の成人男性はベンチプレス40~45キロ程度が平均で、
100キロ挙がるのは成人男性の3%程だそうです、
どいつもこいつも非力なザコばっかりですね。

私はこの事を知った時に「どうだスゴいだろ」と彼女に自慢したら、
「そんなものをそこまでやる奴はいないから割合的に少なくなるのは
当たり前」とあっさり言われて返す言葉が無くなってしまいました。

女ってのは男のロマンを理解しないんで困るぜ。
私の友人が最近の株式市場の上がったり下がったりで、ああでもないこうでもないって
ウルセーんですよ。そんなに喚いてるなら株なんて辞めて競馬でもやってりゃ良いのにって
思いますが、株式なんて上がるのと下がるのを繰り返すんだから
何だって良いじゃないですか。(実際に売買してる人はそうも言ってられない?)

海に行って波の強さとか潮の満ち引きに向かって「海のバカヤロー」って叫んだって
何も変わりませんよね。

あらゆるものはちっぽけな自我なんかでコントロールなど出来ないのですよ、
株が爆下げして安倍のバカヤローって言ってるのと、波でコケて海のバカヤローって
言ってるのと、信号渡ろうとしたら車にクラクション鳴らされて車のバカヤローって
騒いでるのは皆同じです。

株が下がったのも、波が来たのも、信号渡ろうとしたら車が来たのも、
理由など不明です。そりゃ色々理由付けは出来るでしょうが、理由付けした所で
何だと言うのでしょうか。


理由付けしてああでもないこうでもないと、他人と「知的なゲーム」を
楽しむ事は出来ますが、あまりにゲームに熱くなり過ぎて他人を攻撃したりするのは、
難しいゲームをやっててファミコンに怒りの鉄拳を喰らわす小学生と同じです。
ちなみに私はガキの頃に、これでドラクエ3の冒険の書消しました。

この前も書きましたが、まず熟睡している時のように自我を静めるべきであります。
自我が静まるという事は、あらゆるものを区別しなくなります。

自我とは「私と、私以外」を分離させる事で生じるわけで、自我の働きが弱くなると
「私と、私以外」は消えていきます。まあこれは文章で説明するより、熟睡している時に
「私と、私以外」を見出す事は出来るか?
って事ですね、当然ながら見出す事は出来ません。

この時点で「私と、私以外」が無くなるので「全てが私」となります。
「全てが私」とは、イメージとしては遥か上空から下界を眺めているようなものです。
上空に居れば、分かれ道でもなんでもどちらがどう繋がっているのか一目瞭然であります。

つまり分かれ道でどちらを選ぶかというスリルも無ければ正解を達成した喜びも無い、
「選ぶ者」が居ないのだから分かれ道を選んだ結果を気にする者も居ない。
上空から見ているのだから分かれ道が分かれ道になっていない、言い換えれば
Aという道を歩く事と、Bという道を歩く事自体が同時に在る状態
とも言えます。

例えて言うと、自我というものは直線運動か、あるいは同じ場所をグルグル回る円運動しか
出来ないのです。

自我を離れていくと、今度は上へ上へと昇っていくようになるのであります。
まずは上へ飛んで飛んで飛んで、それから回って自他の境界が無くなるのであります。



まあ別に回る必要は無いんですけど、今回のタイトルがタイトルなだけに
飛んだ後は回らないとね。
競馬の外れ馬券が経費として認められるという判決が出たようですね、
詳しくは知りませんが、まあ妥当なんじゃないでしょうか。

私はギャンブルの類は競馬ぐらいしかやりませんが、
たまにギャンブルで勝つスピリチュアルとかありませんかってメールが来ます。

あまりスピ系と関係無いですが、個人的な見解を言わせてもらうと、
ギャンブルってのは何でもそうですが余剰資金でやるもんです。
余剰資金なんですから最初から捨てたようなもんで、増えて帰ってきたら
ありがたやありがたやと感謝していれば良いのです。

ちなみに感謝する対象はキリストでも仏陀でもアラーの神でも
すき家の社長でも安倍晋三でも金正恩でも何でも良いと思います。

で、余剰資金云々の話を強引にスピ系に持ってきますが、
世界が自分であるなら、お金とは結局は自分自身に渡しているものであります。

なので本当はお金を渡す・払う行為には自然と喜びが伴わないと
いけないのですって言っても、なかなかそれは難しいと思われるので、
だからこそギャンブルは余剰資金でやるものなのです。

余剰資金はどうでもよいお金のわけで、どうでもよいならそのお金が増えようが減ろうが
まさにどうでもよい話って事で、「感謝しなければ」とかの自我の葛藤が無くなります。

さらに親戚や自分の子供にお年玉でもくれてやる感じにでもなれば
何となく自分自身に渡してるような喜びみたいのも出てくるかもしれません。
お年玉なんてあげたくもないって人は、お気に入りのキャバ嬢におごってやってるとかの
イメージ(?)の方が良いかもしれません。

とにかく「お金を失ってしまった・・・」みたいな思考が入って来ない方が良いのです。
ギャンブルにおいて思考は何の利益も生み出しません。

まあ喜び云々は無理に感じようとかしなくても良いものですが、
自我の葛藤が入ってこない余剰資金でやるってのは大事だと思います。








なんて偉そうに言ってる私ですが、この前彼女の逆鱗に触れて
来週のダービーが終わったら当分競馬禁止になってしまいました、助けてください。

カレンダー

01 2026/02 03
S M T W T F S
1 2 4 5 6 7
8 10 11 12 13 14
15 16 17 18 20 21
22 23 24 25 26 27 28

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
知らん
性別:
男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

合体と恐竜は男のロマン

メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
☆を@に変えてお願いします

バーコード

ブログ内検索

P R

アクセス解析

Copyright ©  -- 知らんモンは知らん --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]