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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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前も書きましたが、起きている時、夢を見ている時、熟睡している時は全て同じです。
そして熟睡している時が最も真理に近いのであります。

何の悩みも問題も無く、幸せであり、そしてその幸せを楽しむ者も居ません。
つまり幸せそのものが本質なのであります。

起きている時と、夢を見ている時と、熟睡している時を構成しているものが
スピ系では「意識」とか「神」とか「すき家の意志」とか言われているもので、
それらは常にあなたが生まれる前から在り、そして死後も在り続けます。

生まれる前とか死後とか言うとまた混乱するかもしれないので、
「寝る前」と「寝た後」にするとわかりやすいと思います(?)
寝る前のあなたと、寝た後(熟睡してる時)のあなたは同じですよね。

「でも朝起きると私は色々な問題を抱えています、どうしたら良いのでしょう」と
なるかもしれませんが、「朝起きると問題を抱えている」なら寝ている時は問題を
抱えていないわけですよね。起きている(寝る前)時のあなたが問題を抱え、
寝た後(熟睡している)のあなたが問題を抱えていないというのは妙な話です。

どちらも同じなのに起きている時だけ問題があるなら、じゃあ起きなきゃ良いのであります。
つまり熟睡している時と同じ意識(?)になれば良いのです。
「なれば良い」っつーと語弊がありますが、この意識は前述したように常に在るものなので、
結局は常に在るものに戻れば良いのであります。

この「戻る」ためにスピ系では屁理屈と能書きが使われるわけです。

自由意志は無いとか、あなたは生まれても死んでもいないとか、
あなたは幸せそのものであるとか、今に在り続けるとか、
過去にも未来にもとらわれない生き方とか、
今ここに死と不死を見るとか、エイブラハムとプリマハムは何の関係があるのかとか、
ああでもないこうでもないと始まるわけです。

つまり「何々は、何々である」という屁理屈みたいのを聞いたら
その前に「熟睡している時は」を付ければ何となく感覚的にわかる事が多いのであります。

「熟睡している時は」自由意志は無い、「熟睡している時は」生まれても死んでもいない、
「熟睡している時は」幸せそのものである、「熟睡している時は」今に在り続けている、
「熟睡している時は」世界が自分である、「熟睡している時は」願望が叶っても叶わなくても
幸せ、とか何となくそれっぽくなりますよね(?)

全ての答えは熟睡しながら起きていれば良いという非常にシンプルかつ簡単な話なのです。
「そんな笑いながら怒る竹中直人みたいな事は出来ません」と思うかもしれませんが、
冒頭に書いたように起きている時と、夢を見ている時と、熟睡している時は全て同じ意識が
背景にあるのだから、実は最初から熟睡しながら起きており、熟睡しながら夢を見て、
そして熟睡しながら熟睡そのものになっているのですよ。
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とうとう私も史上最大のピンチを迎えました。「あなたは私の彼氏かと思うほど、
彼氏とそっくりな部分がある。あなたのような男に結婚を意識させるにはどうしたら良いか」

いう大変に返答に困るメールを頂いてしまいました。

ご丁寧にも「無理というオチは無しで」と過酷な条件が書いてあったのですが、
これはどう考えても無理なので、やっぱ無理という返事を送ってしまいました。

あくまで私見ですけど、子供が好きではない男の場合、結婚を意識させるのは難しいのでは
なかろうかと思われます。私もいとこの子供とかとたまに遊びますけど、あくまで身内のガキだから
適当に遊べるんであって、これが自分の子供で親として育てろだ、教育をしろだとか言われたら
冗談じゃねええええと叫んで逃げると思います、そもそも子供嫌いだし。

なので、どうにかして子供好きにさせる事が結婚への近道なのではないでしょうか。




まあこれで終わりにしてしまうのもあんまりなんで、強引にスピ系の話に持って行くと、
結婚して、幸せを得たいとか思っている人が殆どだと思いますが、
実は別に得るものなど無いという事です。

なんじゃそりゃいつものこじ付けやんけ、逃げるんじゃねえと思うかもしれませんが
これは別にスピリチュアルとか関係無しに本当に得るものなど無いのですよ。

だって何かを得ても幸せになる保証など無いでしょう。同時に不幸になる保証(?)も
無いですけど。「あの人と結婚すれば幸せを得れる」というのは
それこそ妄想なのです、何の根拠も無いですから。

私も今の彼女と結婚して幸せになれるとも思ってないし、不幸になるとも思っていないです、
同時に別れても不幸になるとも感じてないし、幸せになるとも思っていません。

何かを持っているとか持っていないとかで悩むのは馬鹿馬鹿しい事です。
「それでも私はそれを得たいのだ」と思うなら、本当に「それ」だけを得たいのか
自問してみる事です。「それ」と「幸せ」を結びつけていたら、それは本当に
勝手な結びつきを勝手に作ってるだけで、恐らく「それ」を手にしたとしても、また別の
「それ」を求めて終わりなき苦悩に没頭する
事でしょう。

逆に言えば「それ」に余計なものをくっつけないでいれば、
「それ」は自ずとやってくるのであります。

でもやって来ても別に嬉しくも何ともないですよ、
何故なら既に幸せだからです。
喜ぶ自我は存在せず、喜びそのものがあなたなのであります。
私の同級生で舞台監督やってるのがいるんですけど、彼の仕事は当然ながら
俳優や女優と仕事をする事が多いわけで、私も彼と親しくしている関係で
そこそこ名の知れた役者から聞いた事も無い役者まで、何人かと知り合いであります。

まあそれはどうでも良いのですが、演劇系って何であんなに左翼っぽい人が多いのでしょうか。
スピ系も左翼っぽい人多いですが、演劇系の左翼っぽい人はプロ市民一歩手前みたいな人も
居て、何だか怖いです。

私はオヤジがモロに全共闘世代という事もあり、学生運動当時の話とか色々聞いた事もありますが、
連合赤軍の話とか聞いてドン引きして以来、どうも左翼っぽい人は苦手なのであります。

ちょうど昨日、大阪の橋下さんの一連の慰安婦関連の発言について、某無名の役者に
ああでもないこうでもないと熱く語られる羽目になりましたが、
私が「まあ慰安婦ってのは良いお金貰ってそうだし、お金貰えて皆ハッピーって事にすれば
良いんじゃね」と適当に言ったら、それはダメやとか差別やとか国家は暴力装置やとかで、
さらに熱く語られる羽目に陥ってしまい、大変に疲れました。
そんな事だからいつまで経っても売れないんだよと思った

スピ系だと「何かを得れば幸せになれる」って人が多いですが、
あの手のタイプは「何かをブッ壊せば幸せになれる」って思ってる人が多いような。
得る物も、壊す物も無いのですが、まあどっちも不毛って事で良いですね。
「私は性格が悪いというか、ひねくれているというか、わざと相手に嫌味を言ったり
してしまいます。嫌な性格を直したい、良い人になりたいんですけど、どうしましょう」
的な
内容のメールを頂きました。

まあ私も性格は悪いので気にしないでください、て感じですが、
そもそも良い人になろうとするから嫌味を言いたくなる状況に反応してしまうのであります。

良い人になるっつー事は「自分は性格の良い優しい人だ」あるいは「自分は嫌な奴だ」と
確認するための証拠(?)が要るわけで、だったらそんな証拠を探さなければ良いのです。

相手に嫌味を言ってしまうって事は、相手の言動に対し何かしら嫌味ったらしいリアクションを
入れるタイミングを意識的か無意識かは知りませんが常に探しているわけで、
嫌味を言うのが嫌なら最初から相手の言動なんて眼中に入れなきゃ良いじゃありませんか、
私もまともに人の話聞くタイプじゃないし。

で、嫌味を入れるタイミングを探してるって事に気付けば、
嫌味ったらしい私ってモノ自体が実は存在しないわけで、
同じ理屈であらゆるものに対してのリアクションを入れている私に気付けば、
もはや悩みらしい悩みは無くなってしまいますね、おめでとうございます。

結局、全ては自我の働きというものと、己を同一視する事から悩みだ何だと始まってしまうのです。
自我というモノも全体で見れば己の一部であるとも言えますが、あくまで一部であり
別に重要なものでもありません、海から見れば波が小さかろうが大きかろうが
大した意味が無いのと同じ事です。

良い、悪い自体極めて曖昧なものですし、立場が変われば良いように見えるものも悪くなったり
しますよね。円安で儲かる企業と苦しくなる企業があるのと同じ話であります。
どちらにも傾かず真ん中に居続ける事が、何はともあれ基本であり全てであります。






円安と言えば、ウチの近所に住んでる工場の社長さんは円安で注文が増えたとかで
「景気良くなってるよ!」と最近はたいそう機嫌が良いですが、
一方で輸入食材を多く使ってるレストラン経営のオッサンは、円安のおかげで仕入れに
金がかかるようになったとかで少しイラついております。

で、私はそれを聞いて「じゃあ国産の食材にすれば良いじゃないですか!どうせ大した
料理じゃないから違いなんてわかんねーですって(笑)少なくとも僕はわかりません(笑)」と
言ったらオッサンは非常に怒って帰ってしまいました。




こういう性格を直したいんですが、どうすれば良いんでしょうか。
本来のあなたは愛なのでなんたらかんたら、感謝を持ってどうのこうの、といった
能書きは多くのスピ系の書籍にもありますし、このブログでも書いてきましたが、
どうしても「そうならなくてはならない」と捉えてしまう傾向が多いようであります。

実際は本質が「そういうもの」なので「そうなる」というのはおかしいのです。

が、しかし「でも今の私はネガティブだから、このような事が起こったのでしょうか、
どうしましょう」
みたいなループに陥るわけですが、
それだったらいっその事、良い事が起ころうが悪い事が起ころうが原因はわからない、
誰が何をしたわけでもない、と開き直ってしまうのも一つの手であります。

そもそも歩く時にいちいち右足から踏み出したとか左足だったとか気にしないでしょう、
「ネガティブだったから右足から歩いたのだ」「ポジティブだったから左足からだった」とか
何言ってんだって話です。

もっと言えば仮に夜中の1時に布団入って、寝たのが五分後だったとして、
そこに何か原因はあるのでしょうか。

そりゃ原因はいくらでも作れますよね、疲れてたからあっという間に寝たのだとか、
明日も仕事だから無意識に睡眠を求めていたとか、寝る前に一杯飲んだからだとか
いくらでも思いつきます。

原因とはいかにも物事が起こる真理のように見えますが、実は真理でも何でもない、
まさに自我の中にしか存在しない幻であります。

なので原因を求める事を止めれば、自我から離れた本質に嫌でもなる(はず)なのです。





と、ここまで読んできて「でも原因を求める事を止めたら本質になれるって事は
やっぱり原因は存在するんじゃないの?」
と思ったかもしれませんが、
実際は最初から「それ」なのだから「私は何々になったのだ」と確認する事は出来ないのです。

原因を求める事を止めてどうのこうのとは、あくまで切っ掛けの一部になるかもしれないって
だけであって、人によっては風呂に入れば良いかもしれないし、ビールでも飲めば良いだけかも
しれません。「原因を求める事を止めたら?」は「ちょっと御飯でも食ってけば?」と
本質的に同じ
です。つまりあらゆる事が切っ掛けになるのであります。

あらゆる事が切っ掛けになるっつー事は、つまりあらゆる事は最初から「それ」の端切れなので
あります。
あらゆる事が「それ」なら、わざわざ確認作業が必要でしょうか?

確認するという事は「それ」から離れるという事です、だったら確認しなくても良いでしょう。

なので私から言える事は「さっさとクソして寝ろ」ぐらいです。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

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