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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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意味不明なタイトルは置いといて、「人生は自分の力で切り開く!」って言葉は
実にカッコいいですけど、全然そんな事無いと思います。
切り開いてるように感じる事はありますが、あくまで感じてるだけです。

何かの目的を持つのは大変結構な事ですが、
それに向かって己の力で道を切り開いていく事は出来ません。
そもそも切り開くっつー事は何らかの手段が要るわけで、
手段にこだわってもしょうがないです。

例えばスピリチュアル的なメソッドにハマって急に品行方正になったり、
いきなり愛だ何だ言い出してキラキラし出したりするのは、結局は手段に
ハマっているだけです。

お金が欲しいですって言いながら、特にやりたくもない投資とか
つまんない宝くじ買ったりしてるのも手段を探しているだけであって、
お金が目的のはずなのに手段が目的になってしまっているわけです。

これは以前も書いた思考の上に思考を重ねてるのに近いですね。
ふとした瞬間にお金が欲しいと思ったら、別にそれで良いではないですか。
変にこねくりまわす必要はありません。もちろん投資や宝くじが楽しくて
しょうがないならどんどんやれば良いと思います。

そもそも何故わけのわからないスピ系のメソッドなんかに頼るのでしょうか、
大体愛だの何だの言いながらロト6とか買う姿なんて異様以外の何者でもないでしょう。

本来の自分は全てを満たす海のようなものですが、別に波や川の存在を
否定しなくたって良いんですよ、川は流れるままにしておけば良いのです。

いくら海でも川に向かって流れるなとは言えません、川も海の一部なんだから
せき止める必要は無いです、オシッコやウンコを無理やり我慢したら
病気になるのと同じです。
何かを欲したならそのままにしておけば勝手に流れます。

何一つ切り開く事など出来ないからこそ、川は流れる事が出来るのです。
ですから「こんなトンデモブログに書いてある事なんて理解も出来ない、
二度と読むか!」と思うならそれが全く正しいのです。

そこで「でも理解しないと復縁が出来ない、幸せになれない」とか
こねくりまわすのはダメです、切り開く力など無いのだから
理解した所でどうだってんですか、セミナーでもやりますか。
それだと愛してるとか何だとかブツブツ言いながら宝くじ買ってるアブナイ人と同じです、
そんな人いないでしょうけど。

自分が海だとわかったら、波も川もその辺のドブも、ただ単に流れていくという
極めて当たり前な事に気付くだけです。
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スピ系の書籍等を読むと、思考を止めてどうたらこうたらとか
瞑想してどうのこうのとか様々な方法が示されていますが、
やっかいなのはどうしてもそれらを思考を用いて解釈せざるを得ない所です。

例えば「思考を止めてうんたらかんたら」という知識を得て、それを実行しようとすると
「思考を止めようとする思考」が存在するという事になります。
これでは思考が二つ存在してしまうので、明らかにおかしいのですが
この「思考が二つある」状態に気付かずに陥るケースは非常に多いのであります。

思考を止めて云々というのは昨日も書きましたが、実は思考・心は存在しないという
事を知るために行うものであって、思考を押さえ込むものではありません。
存在しないものは押さえ込みたくても押さえ込めないのであります。

にも拘らず「思考止め」がよく出てくるのは、「何かを求めて行う事は必ず分離する」
という絶望的な事実を逆手にとって、「思考を止めようとしている思考があり、
そしてその事をまた思考している思考があるという事は、思考が複数存在してて
そんなのおかしいでござる」という事を実感させるためです。

ここで初めて昨日の記事にも書いた(〇)と(☆)の四次元殺法コンビ
消滅する瞬間に立ち会えるのです。

「思考を止めるとか何もしないって、スピ系の知識を知る前に戻るって
事かもしれないけど、ふと気付くとそれじゃ何も変わらなくね?」と
ある程度知識を蓄え、外側の事象に動揺しなくなってから
却って妙な虚しさに漂う人は多いのですが、この場合は結局思考が
複数”在ってしまう”状態に気付いていない事が殆どです。

結局これは存在しない四次元殺法コンビを「存在するもの」として扱うから
このような迷路に迷い込むのです。

心も思考も消えたときに何が残るでしょうか、恐らく言葉で表せる物ではありません。
全てが本来の状態に戻り、主体と客体の区別は消えたのであります。

眼球が眼球自身を見れない、右足が右足を踏めないのと同じで、
それを表す事は不可能です。不可能ですが、眼球が顔のどの辺にあるか
大体わかるのと同じで、やはりそれは在るのであります。
ネットの普及で顔文字やアスキーアート等はお馴染みになりましたが、
自我や心も顔文字に近いものがあります。

顔文字やアスキーアートは、記号や数字の羅列なのに絵に見えます。
そこに絵が存在すると感じます。
しかしながら記号や数字が並んでいるだけなのは事実であります。

心や自我、そして自由意志も、同じようにあると感じられます。
しかしそれは顔文字と同じで、存在するように”感じる”だけで存在しないのです。

(〇)と(☆)が四次元殺法コンビに見えてしまうように、
そこに居ないはずのブラックホールとペンタゴンを見てしまうのです。

しかしここで確実に存在するものがあります、それは(〇)と(☆)を
成立させているディスプレイであります。
四次元殺法コンビは在ると感じるのに、背景であるディスプレイはあまり意識が
向かないのは、それだけ心や自我というものの印象が強く感じてしまうからです。

確実に在るものに気付けば、(〇)と(☆)は同じである事もわかります。
この二つ(二人?)は、ディスプレイ上の表示形態の違いでしかないからです。

海に例えれば様々な形状の波が存在するのは当たり前で、海から見ればそれらは
波ではなくあくまで海、すなわち自らの一部に過ぎません。

というわけでやはり全ては一つであり、自我や自由意志があると勘違いして
苦しむのは、その苦しみが全て「自分(自我)の為」から出発しており、
そして肝心の「自分」が何処にもいないから
苦しむのであります。

そしてあるように感じてしまう「自由意志」を用いてどうにかしよう、しているんだと
自我には感じられるので、余計に苦しいのです。

無い道具をあると思って頑張るほど苦しい事はありません。
トンカチを持っていると思って釘に手を打ちつけても、血まみれになるだけで
何も良いことはありません。前も書きましたが打ちつけている”行為者”、”経験者”
居る限り、自我は必ず主体と客体の狭間でボコボコにされるのであります。



というわけで   (〇) (☆)良い子の諸君!
               努力したって無駄だぞ、
               何故なら努力を注いでいる者も、
               努力を注ぐ対象も実は存在しないからだ!



今回の元ネタがサッパリわからない人は「良い子の諸君!」で検索してくださいね。
今日は若い頃にお世話になった方と都内某所の寿司屋で飲んだり食ったりしてたんですが、
その方は会社経営者なので、やはり景気の動向は非常に気になるようで
「今のところ自民党の景気対策は間違ってはいない、このまま行けば早ければ二年ぐらいで
世間一般も景気の回復を実感できるかもしれない」との事。

「やっぱしそうですかー、いやあ僕も去年の衆議院は自民党に入れたんですよ。
僕は政治への意識が高いインテリですから、ハッハッハ」(実際は選挙一週間ぐらい前に
各党のサイトを覗いただけ)とか適当に話を合わせてましたが
今の所、経済は良い方向へと向かっているのでしょう(多分)

このまま行くと夏の参議院も自民党が勝ちそうな感じですね。
衆参両院を制した後はいよいよ憲法改正に動くのでしょうか、
ちなみに私は憲法改正には個人的にかなり賛成であります。

というか憲法なんてその時代毎に合わせてバシバシ改正していけば
良いんじゃねって思うのですが、そうも行かないモンなんでしょうかね。

まあ私としては極めて個人的な事ですが一夫多妻を認めて欲しいんですけど。

憲法と言えば12、3年ぐらい前に何人かで飲み行った時に、何故か憲法の話になって
私が「九条とか要らなくね?」って言ったら、その時のメンバーに
身内に某ナントカの会みたいな団体の関係者がいる奴がいて、
そいつにめちゃくちゃ説教食らった思い出があるのですが、
果たして彼は憲法改正を目指す安部政権に対し、
今はどのような思いを抱いているのでしょうか。

やっぱりあの時みたく発狂すんのかなあ。




なんで今日はこんなツマラナイ話がグダグダ続いているかというと、
急に酔いが回ってきて書こうと思ってた事をすっかり忘れたからです。

というわけで今回の内容は酔っ払いの戯言だと思ってください、ではオヤスミナサイ。
亡き祖父がよく言ってたのが「金そのものには大した価値なんか無い」という事でした。

「金の価値なんてのは物価で決まる。まず始めにモノありきで貨幣価値なんて幻、
幻を後生大事にする奴はアホ。そういうアホがバブル崩壊の時に大損こいた、
ワシはこれっぽっちも損しなかったが知り合いにゃ首吊った奴も居たわ、カッカッカ」という
自慢話をよく聞かされたものです。

まあ「知り合いにゃ首吊った奴も居たわ、カッカッカ」なんて
笑いながら言うことではないと思うのですが、祖父が言ってた”幻を大事にする”ってのは
ある意味スピ系に通ずる気もします(ちょっと強引?)

真に大事というか気付くべきは、デフォルトが幸せ、という事だと思います。
ただこう書くと誤解を生むのが「幸せを感じなくてはならない」になりがちですが、
祈ろうが愛そうが絶対に幸せを感じることは出来ません。

何故なら幸せを感じるなら、幸せは外に探しにいく何かになってしまいます。
彼女と居れて幸せとかお金があって幸せならば、じゃあ女も金も失ったら幸せじゃないって
事ですよね。外部の要因で左右される幸せなんてのは幸せではなく、幻なのです。
幻を後生大事にする奴はアホって事です。

デフォルトの状態とは”全てを越えたそのもの”であります、
幸せそのものが幸せを感じるなんて事はありません。
ですから幸せは感じる事は出来ないのです。

これは今すぐお金を捨てろとか生涯童貞を貫けとか言っているのではありません、
というかそのように感じる場合は、幸せを外側という”幻”に求めています。

外側を探しまくっても、決して見つかりません。
わからなかったら熟睡してみる事です。
熟睡している時に不幸を感じる事は出来ません、そして幸せを感じる事も出来ません、
それらを超越した言葉では表現出来ないものが、真実です。




余談ですが私も真の価値は「モノ>>>お金」ではなかろうかと思います。
しかし多くの人は「お金>>>モノ」という強力な概念を持っています。

この概念だけは絶対に捨てさせず、逆に強化していく方向に持っていけば
アホから金を巻き上げるなんて簡単だぜ、みたいな事も祖父はよく言ってました。

スピリチュアルのセミナーでも、あらゆる概念を捨ててうんたらかんたらと
言ってる割にこの「お金>>>モノ」の概念だけには触れない、捨てさせない傾向が
あったら、もしかしたらちょっと怪しいかもしれないですね。

まあ「一番あやしいのはオマエだろ!」とか言われると返す言葉も無いんですけど。

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趣味:
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かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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