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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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以前も書きましたが、何か解決したい事があるならそれを手放してしまえば
即座に解決します。例えばゴキブリ嫌いな人の目の前にゴキブリが出て来て
不快になったら、解決方法はゴキジェットでもバルサンでもなく、
眼をつぶってしまえばゴキブリは文字通り消えます。
これでゴキブリは消滅しました、おめでとうございます。

そんなアホなと思われるでしょうが、基本はコレなのであります。
つまり意識の対象を取らない事です。
意識の対象を取る行為は、全て自我の生き残り策であり、無意味です。

個人的には、静的に意識の対象を取らないようにするメソッドは、
瞑想とかがそうなのかしらと思います。私は瞑想に関しては詳しくないので、
これは専門家の御意見を聞きたいところであります。

逆に動的に意識の対象を取らないのは、このブログでも一部の読者に大人気
アダルトビデオメソッドです。

これについては私、専門家なんで解説しますが、アダルトビデオメソッドは意識の対象を
取っているように見えますが、意識の対象が全体に広がるので結果的に自我を
消滅させてしまうのであります。

痴漢されて嫌がってるネエチャンも暴行されて喚いてるネエチャンも全てが自分です。
そこには自我も感情も思考もありません。
あるのはオスの本能、まさに「私」だけであります。(言っときますが痴漢だの暴行だのは
あくまでAV限定の話であります)


静的に自己の内面に入っていくのと、動的に自己の外面へ発散していくのは、
どちらも行き着く先は同じです。
”対象”を取るから自我と対象という分離が生じます。
であるならば対象を取らなければ良いのです。

対象を取らなくなった時、主体と客体は一つになり、全てが変わります。




まあアダルトビデオメソッドの弱点は、AV男優のオッサンや、オッサンのチンポコまでもが
「私」になってしまうというのがキモイと言えばキモイですが、この場合は自分視点の
アングルで撮影してあるAVを利用すれば良いのです。
これぞまさにFPS(ファーストパーソンセックス)メソッドの真髄であります。 

って、この記事を書いているのが深夜2時ぐらいなんですが、
何で私はこんな時間にこんな事を熱く語ってるんでしょうか。
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最近タイムリープに関してのメールをよく頂くのですが、以前ちらっと触れた記事でも
書きましたが、タイムリープ自体はもしかしたら訓練次第(?)で意外とイケるんじゃね?と
個人的には思います。

我々は常に過去や未来の事を思考するという癖みたいのがありますが、
過去の事を思考している時は当然、その「過去」の中での時間の進み方は違いますし、
未来についても同様です。

もうちょい話を進めると、その辺に寝転がって空を見上げてると
当然太陽があり雲があり、そして空があるわけですが、それらに流れている時間は
全て独立したものであり、そしてそれらを眺めている時に湧く思考にも、
やはり独立した時間が流れています。

で、それらは全て外側にあるのではなく内側、もっと言えば自分自身という
いつもの話になってしまうのですが、こうなるとタイムリープどころかタイム自体
どっか行ってしまいます。

つまり「全て自分」になるとあらゆる時間軸が自分になってしまうので、
結果として時間という概念が無くなってしまいます。
時間とは何かしらの固定された基準が無いと時間として存在出来ないからです。

タイムリープという概念自体が崩壊しそうになりますが、
ここで崩壊させずにあくまで自我基準の時間軸をキープしつつ
別の時間軸へ移行するのが本格的なタイムリープって事になるんでしょうか。

この辺にまさかのタイムリープの鍵があるのではと思いますが、多分無いでしょう。




まあ私は酒飲んで爆睡してからまだ昼間だろうと思って、家の窓のシャッター開けたら
夕方だったとか、その程度のタイムリープならしょっちゅうやってますけど。
Aさんの親戚の重信くん(二十歳・大学生)が最近若さ故の暴走か、日本に革命を
起こしたいとか言い出し始める。これは重症だと判断したAさん、
いつものパターンで大宮ソニックシティへ。

Aさん「こいつは僕の親戚筋にあたる大学生の重信くんです」

重信くん「どうも初めまして、革命戦士です

ナントカマスター(以下ナマ)「革命戦士って、最近流行ってるアニメとかゲームかいな?」

重信くん「違いますよ、今の日本は腐っています。
なので革命を起こし、日本と世界を良くするために日夜戦い続ける戦士です。
我々の戦いは多岐に及びます。掲示板での荒し、煽り、自作自演、
個人ブログの炎上、ツイッターを使った工作、MMOでフレンドコードを交換する事による
相互連絡、戦士同士の交流はネット麻雀、全て革命を起こすためなのです」

ナマ(Aさんの方を見ながら)「ていうか、オマエの周りってこんなんばっかしか。
この前もすき家の陰謀がどうのこうの言ってるオッサンの話もあったよな」

Aさん「何でこんなのばっかりなのか僕もわからないっす」

重信くん「Aさんから話は聞いていますが、マスターにはスピリチュアルな観点から
僕の革命を手助けして頂きたいのです。」

ナマ「いや革命も何もさ、既に君の革命は実現しとるよ。
問題は君自身がそれに抵抗しているという事や。
”日本に革命が必要”という認識・知覚があるっつーのはそれを意味している」

重信くん「言ってる意味がわかりませんけど」

ナマ「つまりね、君が”革命が必要や”って思うことで君の生活や世界は
成り立つわけやろ。もしその”革命が必要”って思いが消えたら君の自我は
存在意義を失うわな。だからあらゆる知覚や認識は自我の抵抗なんよ。
君の自我は消えたくないわけ、消えたくないから必死に抵抗しとるわけや。
結果としてありとあらゆるものを君(自我)は認識するやろ、消えたくないからな。」

重信くん「革命が既に実現しているっつーのはどういう事ですか?」

ナマ「”革命が必要”って抵抗が消えれば自ずと”革命が成功した”状態に
移行するやろ。ただし抵抗が消失してるから革命が成功したと感じる自分も
居ないし、それを喜ぶ自分も居なくなってるけどな。
あんまりこういう言葉使いたくないけど願望が実現した世界なんてのは
すぐ側にある、ただ猛烈な抵抗によって見えなくなっとるだけや。
そして猛烈な抵抗をしているのは皮肉にも君自身や」

重信くん「抵抗を無くすためにはどうすれば良いんですか?」

ナマ「抵抗を無くす云々自体も抵抗や。思考でどうこうする以上、全ては自我の抵抗に
利用される。なのでそれを逆手に取ってガンガン抵抗しろ。
壁に何度も当たれば、壁がぶつかってきているのではなく、自分がぶつかりに行っている
事がわかるはずや」

重信くん「なるほど、じゃあ今日からより一層革命闘争に精進します。
まずは国家の犬である警察を馬鹿にするために、大宮警察の前で立ちションしてきます」

Aさん「いやー、何か微妙に勘違いしてる気がするんだけど」

ナマ「いや、彼は結構いい線行っとるよ。取りあえず行動してみるっつーのも
自我の抵抗にぶつかりに行くから方法論としては間違っちゃいない。
まあお巡りに職質食らって終わりやろうけど、ショボイ革命やな」




前回と前々回の記事がちょっとわかりづらいので、今回はAさんに登場してもらって
少し角度を変えて書きましたが、矛盾しているようですが「全て自我の抵抗」である事さえ
わかれば何をやっても良いのであります。

あくまで「自我の抵抗」であって、あなた自身は抵抗そのものからは離れているからです。
つまり常に真実の自分は、今ここに在るものなのです。

ちなみに今回登場した「重信くん」の元ネタが一発でピンと来た方は
かなりお年を召されている方かもしれませんね。
まあ結構ブラックジョークになってしまうかもしれませんが、取りあえずネタキャラという事で
御了承下さい。
前回の記事で「何をやっても間違い」なので、じゃあゴロゴロ寝てるだけで
良いのか、と思われた人も居るかもしれません。

まあ結局はそんなモンなんですが、そもそも我々は常に分離状態である事が
ある意味デフォルトであります。

つまり何かを知覚・認識する時点で既に分離です、仮に目の前に人参があったら
「人参」と「人参を見ているアタクシ」が出てきますし、「何もしないで布団でゴロゴロ」も
「何もしないで布団でゴロゴロしているアタクシ」があるので分離です。

と言っても別に分離してるからよろしくないとか、分離してるからアホとかいった事は
一切ありません。
前述したように分離状態はデフォルトであり、そこからいかに本来の自分に気付くか、
という事であります。

で、ここまで読んで色々考えたり感じる事もあるかもしれませんが、
本来のあなたは思考ではないし、感情でもないので、それらが感じられるという事は
既に分離したという事です。いかに分離がデフォルトなのかよくわかると思います。

なので「気付く」という言い方も厳密に言えば間違っているのです。
何故なら前回も書きましたが「気付く前」と「気付いた後」が存在しなければならなくなると
いうのと、「気付かれる対象」があるという事は、その対象と分離しているわけですから
「気付く」という表現はあっても、実際はありえないのであります。

かなり話がややこしくなってきましたが、スピ系で言われているメソッド類は殆ど
「実は分離がデフォルトだった」事に気付き、そして全て捨てていく形になっている事が
多いようです。

よく言われる「フラットに全てを受け入れろ」というのも、まず感情や思考が入ってくると
わけがわからなくなるので取りあえずそれらを鎮める。
で、思考に振り回されなくなったら今度は思考や感情を見つめる方に移行し、
本来の自分は静かである事に気付き、今度は「静かであると気付いてるのは誰なのか」と
なります。

で、それを繰り返すと「静かという事は、実は誰も居ない」となり、今度は
「では何故誰も居ないのに誰も居ないと認識出来るのか」と何か小学生の口喧嘩みたいな
展開になりますが、ここで「誰も居ない」という認識は、実は自我の抵抗であることに
気付きます。

つまり分離=自我の抵抗がまずデフォルトとしてあり、
それによってあらゆる知覚、認識が起こっていたのであります。
知覚・認識さえあれば思考も感情も出てくるので、自我は消滅から免れます。
全ては自我の抵抗が生み出すものだったのです。

なので「誰も居ない」「私は居ない」という認識さえ、厳密には
自我の抵抗であります。

そしてそれらの抵抗に基づいて様々なメソッド類に取り組むわけですから、
やる事成すこと全部間違い(分離)なのです。

が、しかし。 メソッドを実践しなければあらゆるものが自我の抵抗だと
わからぬまま分離と抵抗の中で苦しみ続けるわけですから、
やはりメソッド類は実践した方が良いのであります。

前回書いたように反発する磁石をわざと近付けないと磁力を認識する事が
出来ないように、敢えて「間違った」事を行うのは正しい事なのです。



最終的には、グルッと一周して来たように「ゴロゴロ寝ている」に戻るでしょう。
しかし、そこには「ゴロゴロ寝ている」者は何処にも居なくなっているのです。
「思考を止めて生活してみたら良いことが起きた」とか「世界は私と気付いたので、
愛を送ったらとても心地良かった」
というメールを頂く事があるのですが、
大体一ヶ月もしない内に同じ人から「また苦しくなってきました」とか
「愛を感じられなくなってしまった」みたいな内容で送られてくる事が多いです。

愛はともかくとして、思考を止めてどうのこうのはこのブログでも度々書いてきましたが、
なかなか真意が伝わらないようです。
そろそろ今年も終わりですし、難民(?)を救わねばならない時期が来たようです。

そもそも何故このような行ったり来たりの事が起きてしまうのでありましょうか、
これは由々しき問題であります。

ぶっちゃけて言うと「間違ってるから」なのです、答えはこれだけです。
が、しかし。 「間違っている」から「では正しい答え(やり方)を求める」ではありません。

取りあえず検証していくと「思考を止めて云々」「世界は私と気付いて云々」は
文章で書くと確かにこう表現せざるを得ないのでしょうがないのですが、
実はこれスタートの時点から既に間違ってます。

間違っているという表現は語弊があるので、言いかえれば片手落ちという所です。
何でかっつーと、まず「全てのものが私」であるならば時間は存在しません。
時間が存在してしまうと「時間」と「それを感じている、見ている私」が存在するので
この時点で分離します。

同じく「愛を送る」云々も片手落ちです。
これも「愛」と「それ(愛)を感じる私」が存在するのでこれまた分離です。

で、これをまとめると「思考を止めて生活してみた」とか「世界は私であると気付いた」は
表現としては正しいのです。しかし表現は表現であります、実感は違います。
「月を示す指は月では無い」とか昔の人はカッコイイ言葉を残していますが、
これは至言であります。

理屈で言うと、「思考を止めてみました」っつー事はそれ以前(つまり思考を止めようと
する前)が存在しなくてはならないのですから前述の「時間は存在しない」と
整合性が取れなくなるので「思考を止めて云々」は表現としてはそうなるのですが、
実は間違っているのです。

同じ理由で「世界は私と気付いた~」も「愛を送るようにして~」も間違いです。
それぞれ気付く以前、送る以前が存在しなくてはならないからです。

「という事はこの理屈で言うとあらゆるものは全部間違いという事ですか?
だっていかなるメソッドだ何だもそれを知る前、それを行う前という宿命からは
逃れられない
ですよね?」

その通りです。
ここが難しい所かもしれませんが、私たちが思考の範疇で行うものは
全て本来の「私」から離れていく、間違った試みであります。

「思考を止める」も間違いですし「何もしない」も間違いですし「世界は私であった」も
「全てすき家の意志」も間違いです、例えそう表現せざるを得ないにせよ、
「それ」を実感している世界からは間違いです(くどいようですが、表現としては正しい)



何をやっても、何を考えても間違いにならざるを得ないという絶望的な結論が
出てしまいました。 しかし、まだ手はあります。

行う事全てが間違い、本来の「私」から離れているのならば、その「離れている」事を
自覚する事により逆説的に本来の「私」を感じる事が出来るはずであります。

同じ極同士の磁石を近付けると磁石は明確に反発、すなわち離れていきますが
決して見えない「磁力」を感じる事は出来ます。これは同じ極同士を近付けるという
「離れる」行為を行なったからこそ磁力を「垣間見る」事が出来たわけです。

「思考を止めよう」とか何だとか思ったら既に「離れている」のです。
繰り返し「離れ」ていると、磁力を見る事が出来るのと同じように、
完全に思考が止まる瞬間が訪れます。
それは時間も何も無い本来の立ち位置に戻った時です。

そして何かの拍子にその止まっている状態が途切れてから、つまり分離してから
「世界は私だった」とか「愛だけでした」という感想を持つに至るのであります。

寝てる時に「俺は今、とても深い睡眠を取っている」とは感じないのと同じです、
起きてから、「よく寝たなあ」と言うのに近いです。

世界と私のラインが消えた時に「消えてる」とは思いません。
消えてると思う「私」は何処にも居ないからです。

何かを行なっている「私」も無く、生きている「私」も無く、死んでいる「私」もいない。
「それ」とか「これ」という区別も無いのであります。

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職業:
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趣味:
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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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