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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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最近どうでもよい話しか書いてないので、たまにはメソッド的な事も書きましょう。
「受け入れる」についてであります。

まず抑圧された感情というものは必ずどこかに溜まっていきます。

簡単な例では肩が凝ったとか腰が痛いとかも筋肉が萎縮しているわけですから、
抑圧されたものと言えます、そしてその抑圧は紛れも無く自分自身が
行なっている
ものです。

「そんな事はしていない」と言うかもしれませんが、肩を緊張させたりする事が
出来るのは自分だけですから、やはり自分がやっているのです。
普段は緊張に気付けないなら、いわゆる潜在意識の仕業かもしれません。

顕在意識にせよ潜在意識にせよ、とにかく自分が緊張している(させている)わけです。
なのでまずは、その事を認める事が肝要です。

で、認めたら次はどうするか。
「この緊張を消そう!」ではダメです、緊張させているのは自分なのですから、
自分が行なっている緊張を打ち消すという行為は、さらなる緊張を生み出します。

結果として自分の中で戦争が起きてしまいます。

それとは逆に、緊張させている(緊張したい)のだからもっと緊張させてやれば
良いのです。

リラックスには限界はありませんが、緊張には限界があります。
風船をどこまでも膨らませることが出来ないように、緊張しまくればいつかは破裂します。

つまり緊張が持続できないほど緊張させてやればよろしい、
結果として肩凝りが軽くなるかもしれないですし、スピ系な話に戻せば
抑圧された感情に気付けるかもしれません。

いきなり泣きたくなるかもしれないですし、怒りたくなるかもしれません。
それが抑圧されたものですから、思いきり泣けば良いし、怒って良いです。
「世の中間違ってる!」とか叫んでも良いと思います。

抑圧された感情や、それに伴う緊張を解放した事で、自作自演の戦争は
終わるのであります。

少し話がごっちゃになりますが、筋肉の緊張以外にも、心理的な緊張にも
上記の方法は使えます。スピ系でよく言われる「受け入れる」っつー奴です。
受け入れるだけだと単に緊張や不快感を生じるだけですが、さらに受け入れて
どんどん緊張と不快感を増していくと良いです。

風船が破裂するまで緊張させまくるのです。本来風船の中にある空気と、
外にある空気は同じものですが、風船が破裂するまで同じである事には気付けません。
真の解放のためには風船を破裂させる必要があるのです。

ちょっと不快感を感じたから「受け入れます」とか「愛を送ります」なんて
口先で唱えるのは、それこそ単なる念仏に過ぎません。
ちょっとどころかたんまりと不快感を感じる必要があります、
何故ならその不快感は風船の中に入った空気だからです。

風船の中に空気が入りっぱなしだと、どんどん淀んできます。
そうなる前に、つまり感情を抑圧する前に、風船を破裂させて内も外も無い状態に
する必要があるのです。



余談ですがスピ系にハマる人ほど却って抑圧させている事が多いです。
「こんな素晴らしい教え(?)みたいのを実践しているのだから全てに優しく接して
どうのこうの」とか「なんかすごい事に気付いたっぽいからもう少しカッコつけて
みようかな」とか、スピ系の知識みたいのが抑圧の元になっている事が多いように
感じます。

まあ一番ひどいのは「ただのボンボンのくせにエラソーに能書き垂れてるオッサン」
でしょうけど、それが誰なのかは言わない約束です。
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少し前ですが、3DSのゲームソフト「とびだせ どうぶつの森」が発売されましたね。

いとこの子供がゲーム好きで、今回はあろう事か限定商品の3DSLL同梱版が
欲しいとか言い出し、いとこもいとこで「普通の3DS持ってるんだから我慢しなさい」と
言えば良いものを、学校のテストで100点取ったとかで購入をOKしてました。

というわけで話が二週間程前にさかのぼりますが、朝っぱらから並んで某店で予約、
発売日に無事に購入できました。

なんで私がこんな役目かっつーと、いとこの旦那は現在海外に単身赴任なので、
独り者でいつもヒマこいてる(ように見える)私に雑用が回ってくるのです。
決してヒマではないのにヒマに見えてしまうのが独り者のツライ所であります。

まあそれは良いのですが、3DSを買ったら買ったで保護フィルムだの
収納ケースだのも大体欲しがりますよね。

その辺は何故か私が買う羽目になり、気が付いたら財布からあれよあれよと
お金がとびだしていき、今回の「とびだせ」の恐るべき意味を初めて思い知らされた
次第であります。

久々に更新したと思いきや、こんなどうでもよい話ですいません。
だいぶ前に書いたと思うのですが、私は投票も行かないくせに選挙好きです。
なので今回のアメリカ大統領選も非常に注目しておりました。
結果は御存知の通り、現職のオバマさんが終わってみれば圧勝でした。

NY在住のアメリカ人の知人は「オバマは若くてそこそこハンサムだから
支持されてる、マジでそれだけ」と怒ってましたが、アメリカ人って馬鹿ばっかり単純な人が
多いんで、意外と当たってるかもしれないですね。

大体アメリカ人て教養が無い人はびっくりするほど本当に無いんで、
そういう人が経済政策だ雇用対策だで投票する人を決めるようにも思えないですしって、
こういう事言うのはマズイですかね。

ちなみにやはり無教養の私も十年ほど前に気紛れで投票に行き、投票する政党を
サイコロ振って決めたのですが、サイコロに導かれた政党は共産党でした。

今もアンチオバマの知人から今回の選挙結果への怒りのメールが
送られて来たのですが、取りあえずオバマが勝ったのはすき家の陰謀だという
全米震撼の事実を伝えようか迷っています。
受験生の皆さんはセンター試験が迫ってきたり何やらで大変だと
思いますが、あの大学に行きたいとか何だという心境をこれはエゴですとか
エゴじゃないですとか考える必要はありません、疲れるだけです。

ちなみに私は十代ぐらいからまともに勉強した記憶が無く(夏休みの宿題とか
当時実家に居たお手伝いさんにやってもらってた)
今のネットスラングで言うFランも良い所のド底辺大学で遊びに遊びまくった
バカ学生だったので、熱心に勉強されている受験生の皆さんには
本当に頭が下がります。偉いの一言です、いやマジで。

というわけで「知らんさんはどのように受験に対処しますか?」という誠実なメールを
送って頂いた方、誠に申し訳ないですが私は受験にも人生にも遊んで対処してました、
ゴメンなさい。

で、話変わって今回の話題ですが、以前の話と被るんですが
何かをしたいとか何かを得たいというのは、
早い話がゲームに参加するという事です。

ゲームに参加するという事は既に半分は叶ってるわけですよね、
参加しなきゃ叶わない、つまり叶えるためにはゲームへの参加が
絶対条件なのですから。

プロ野球に行きたいと思ったら取りあえず少年野球か何かに入るのと同じです、
この時点で野球選手になるための条件の半分は既にクリアーされたのであります。

あとはゲームに勝つだけ・・なのですが、恐らく勝ったり負けたりを繰り返すでしょう。
何でかっつーと、勝ったり負けたりがゲームの本質だからであります。
なので負けるのが嫌ならゲームに参加しない事です。

つまり願望を捨てるという事か?となるかもしれませんが、
言葉にすればそういう事です。

何故ならゲームに参加しないという事は敗北も知りませんが、勝利の感激も
味わえないからです。つまり願望を実現して云々という形で感激するのは
困難です。


ええー、じゃあ絶望しかありません、もう死にます。となるかもしれませんが、
死ぬ前にもう少し待ってください。
実は我々は既に選べる立場にいるのですが、スピ系で多用される「喜びで満ち溢れて」
とか「愛に包まれて」という表現が曲者なのです。

このブログではなるべくそういった表現は避けて来ましたが、
「喜び」「愛」っつーとどうしても「ゲームに勝利しまくるから喜ぶ」
「勝利しか無いから愛せる」という風に捉えがちです、
というよりそのように捉えるなっつー方が無理があるかもしれません。

実際は愛とか喜びというのは全てが統一されているという認識から来るもので
あって、勝ち負けを超越したものです。
簡単に言えば、仮に空から1億円降ってきても感動しないんですよ、
お金の有る無しに左右されるゲームから降りているからです。

個人的にはギャルのパンティが空から降ってくる方が感動しますが、
それは置いといて、だいぶ前に歩くとか何だというのも全てあなたが創っているのだから云々と
書いた記憶がありますが、まさにそれです、それが全てです。

我々は常に当たり前のように選べる立場に居ます。
周りの空間はあなたが居るから存在するわけで、全てがあなたです。

が、しかし。 ここで自我にとっては大変に皮肉な事が起きてしまいます。
ゲームから降りてしまったので、自我にとっては「かつての渇望」が満たされても
何も感激しなくなってしまうのであります。
普通の人が一歩歩くたびに感激しないのと同じです。

「勝利する事の感動」が無くなってしまうのです。
「喜びと愛に溢れ」るのは自我を超越したものに気付いた事でもたらされるもので、
「ゲームに勝ったから」もたらされるものでは無いのです。

ゲームに勝つ事を求める場合、確実にナントカメソッドを渡り歩く事になります。
何故なら常勝を求める以上は必ず敗北がまとわりつくからです。
そうでないとゲーム自体が成立しません。
常勝とはイコール敗北を知りたい、なのであります。

この辺の感覚というか何というか、大変に理解し難いかもしれませんが、一歩歩く度に
いちいち「俺の勝ち!」なんて思わないですよね(思うって人がいたらゴメンね)

歩くという概念でも行動でも心理でも空間でも何でも良いですが、それを間違いなく
あなたは選択し、創ってますよね(ただこの選択とは、いわゆる自我が認識したつもりに
なっている”自由意志”ではありません。この辺話が長くなるんで割愛します)

しかしそこに感動とか何だとかはありますかっつー話です。
そもそも自我にとっての感動とか何だとかって全て条件付きでしょう。





というわけで受験生の皆さんはこんなくだらないブログ読んでないで勉強しましょう。
そうしないと、私みたいな遊び人になってしまいますよ。
前回「とりあえず皆さん御一緒に幸せになればうんたらかんたら、
友達が先に結婚してもお祝いしてどうのこうの」と書きましたが、
「そんなのやっぱ無理」という方も多いと思われます。
というわけで内容は殆ど同じですが補足であります。

早い話がですね、全てはオーケストラのようなものです。
オーケストラは様々な楽器が調和して一つの旋律を作り上げていくわけで、
そこに楽器同士の優劣とか演奏者同士の戦いというものはありません。
あるとしたらそれは何故か戦いのつもりでやってる演奏者の中にあるだけで、
本質的にはどこにも戦いとか分離はありません。

なので「オーケストラの意識(?)」みたいのに気付くと
もはやそこには調和しかありえません、戦いや苦悩を見ていたのは、
まさに見たいから見ていたのです。
オーケストラの調和には「個」が存在しません、しかしオーケストラは存在します。
ここに真実の自分を垣間見る瞬間があるのです。

これはディベートでも同じで、本来ディベートとは、競技ディベートはともかくとして
互いの意見や主張を通して最終的にはお互いを尊重し、納得できる結論に
導いて行き、勝ち負けなどではなく議論を通じて各々の知的レベルの向上を
計るというものであります。つまり調和を目的としたものなのです。





何故に突然ディベート云々とか言い出したかというと、
私の彼女が学生時代にディベートのサークルだか何だかに所属してたそうで、
知的レベルの低い私にディベートとはこういうモノや、みたいにエラソーに
講釈垂れていた事を急に思い出したからです。

講釈は立派なのですが、私と言い合いになるといつも私をボッコボコに言い負かすまで
止めないのはディベートの精神に反しており、私の尊厳も踏みにじられているような
気がするのですが、これは気のせいでしょうか。

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職業:
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趣味:
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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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