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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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思いが実現するとか何だっていうのは、そんなに複雑怪奇な事じゃなくて
結構日常的に起こっている事であります。

例えばこれからは人に優しくしていきたいわとか何となく思うと、
困ってる人がやたら目についたり、ニュース見ててもどっかの国が水不足で
困っておりますとかの記事に目が行ったり、いきなり過去に思いをはせて
あの時もっと優しく接すれば良かったとか色々出てきます。

これはごく当たり前の事で、優しくするもクソも何処かに「困った人、物」が
居てくれないと肝心の「優しい人」になれないので、優しくしていきたいわという願望(?)を
抱いた瞬間に、既にそのような思いを実現するためのお膳立ては揃ってしまうのです。

なので願望でも何でも良いですが何かを抱くと、それは対立するものを創り出すという
形で勝手に実現してしまうのですが、結局「困難」の方に目が行きがちで
ああでもないこうでもないと苦しむ羽目になるのであります。

前述した優しい人になりたい云々のように、困ってる人が目に付くっつー事は
その人に親切にすれば嫌でも優しい人になってしまうわけで、
困ってる人が出てきた時点で既に実現しているのです。
困ってる人の出現を「困難」であり「何も変わってない」と認識するから苦しいのです。

じゃあ「困難」と逆を向けば良いのか、となりますが、それでも良いと思います。
しかし、願望はどんどん肥大していくものですから、それと比例するかのように
「困難」も肥大していきます。

復縁したらしたで今度は二度と別れたくない、もっと恋人に優しく接したい、
今度は一緒に牛丼でも食べに行きたい、そいでもって結婚とかしたい。
まさに終わりなき肥大であります。

別に肥大していくのが悪いわけではありません、肝心なのはそれはただ単に自我の
幻想に過ぎない事に気付いているかどうかです。

自我を肥大させずに分離と対立から逃れるには、早い話が「皆さん御一緒に
幸せになりましょう」
のスタンスで良いのです。
つまり周りの成功をひたすら祝福する。独身を誓い合ったはずの友達が先にイケメンと
結婚してもひたすら祝福であります。

実際は分離が無くなる事を経験すると全てが自分になってしまうので、
他人の幸せは私の幸せになってしまい、比較から生まれる悩み(私の方が
収入が低い、どうすれば収入を増やせるだろうかとか、友達にはいるのに
私にはいつまで経っても恋人がいないとか)は無くなってしまいます。
全て自分になってしまうので比較の概念自体が薄れるわけです。
まあ殆どの願望だの悩みだのは比較から生まれるわけですけど。

で、肝心なのは一般的な「願望」は比較対立するものを即座に出現させて
逆説的な感じで実現させます。バットマンになったと同時にジョーカーが現れるのと
同じです、ジョーカーが現れる事で「バットマンになる」は実現したのです。
ジョーカーがいなかったらバットマンはただの変態コスプレオヤジです。

しかし、比較対立が現れない分離の無い世界では、「他人」と認識するものが
幸せになれば自分=他人なので結局はどんどん幸せになってしまうのであります。

最後に残るのは愛でしたとか感謝感激だけでしたとかは、
分離が無くなればそれしかなくなってしまうのであって、無理矢理「愛を感じて、
感謝して」と”頑張って”行うものではありません。
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最近の記事と内容が少々被りますが、様々な関連付けを止めるっつっても
難易度高いやんけ
というメールを頂きました。

確かに関連付けを止めるのは少し難しいかもしれません、
しかし関連付けという思考も、結局は単なる思考であります。

なので関連付けを始めても、それはただ単に風向きが変わった程度に
感じれば良いのです。外を歩いてて風向きが変わったぐらいで
いちいち吠えてたらそれこそアホです。

感情や思考にあなたを苦しめる力はありません、風があなたを傷付ける事が
出来ないのと同じです。が、風に向かって歩いたらバランスを崩して怪我するかも
しれません。

怪我の原因は風のせいではなく、風に向かって歩いたせいです、
怪我をするべくしてしたのです。

つまり風に抵抗した動きが苦しいのであって「苦しみの風」とか「絶望の嵐」みたいな
ファイナルファンタジーに出てきそうな風は存在しません、
存在するとしたらそれは、あなたが風に向かって歩いた時だけ存在するかのように
思える幻想です。
メールで様々な不安を訴えてくる方も結構いますが、
対症療法的に何やかんや言っても結局根本的な解決には
なかなか結び付かないようであります。

私はメールに返事を書くときは普段ものぐさな分、
かなり気合を入れて細かく書きます(多分)
そうしないと何か申し訳ないような気がしてしまうからです。
それが却って対症療法的な感じになってしまうようであります、
改めて自分の性格の良さを恨みます(?)

話を戻しますが、不安というものは結局関連付けるから不安になるのであって、
だったら関連付け無ければ良いのです。

無意識に自我は様々な事を関連付けています。
それは腹が減ったのでメシを食うといった事から、
明日までにいくら用意しないと大変な事になるといった
深刻なものまで様々です。

これらを止めれば良いのであります。実に簡単な話です。

で、ここでループするパターンが「では空腹でも仙人のように死なないのか」
なる事です。

ただ単に腹が減ったらメシを食うという関連付けを止めてみよう、というだけなのに
何故か「空腹でも仙人のようにどうのこうの」は新たなる関連付けです。
というより話飛びすぎです。

シンプルに言うと「ただ起きた事を観る」 まさに最近話題に出た瞑想であります。
瞑想しながら活動しているのか、はたまた活動が瞑想なのか、
まさに瞑想と活動はルビンの壺の如く表裏一体であります。

不安の全てが、何処にもいない自分を気遣う事から生じます。
何処にもいないのですから、いくら気遣ったって何もくれません。
新たな不安が出てくるだけです。

不安や絶望は様々なものに関連付ければいくらでも出てきます。
「何故、毎日祈ってるのに良いことが起きないのか?」
「何故、毎日愛を送ってるのに何も起きないのか?」

関連付けているからそのように不安になるのです。
大体愛を送るって何処に送ってるんですか、X星人とかガミラスとか
バッフ・クランとかに受信されて宣戦布告と勘違いされると困るのでやめてください。

極端な表現ですが、苦しみや痛みを見て喜び、愛や祈りを見て馬鹿にする事が
受け入れられないのは分離であります。
これらの表現が受け入れ難いと感じるのは、
存在しない「私」に気遣いしているからです。

分離が関連付けを生み、そしてまた新たな関連付けを生み出します。
その関連付けから生じた不安や絶望を一時的に癒すために、
愛だの神だの口当たりの良い言葉をまたも関連付けるのであります。
これはまさに悲しい一人相撲です。

という事はどうすれば良いのでしょうか?
答えは既に出ています、存在もしない「私」への気遣いを止める事です。
存在もしないものに気を使うのではなく、前から在った本当の自分に
気付いてあげるのが、クサイ言い方をすれば真実の愛であります。
最近、どういうわけかメールが大量に来て、私自身もヒマだったので
珍しく返事を書いたりして少々更新に間が空いてしまいました。
まあ特に更新を心待ちにしている人も居ないでしょうし、これからもマイペースで行きます。

で、「ごく普通の日常生活を送っていて、トントン拍子に話が進む人と、
ごく普通の日常生活を送っていてトントン拍子に話が進まない人とは
どこが違うのでしょうか?」
というメールを頂きました。

どこが違うのでしょうか?と言われても特にありませんが、
強いて言えば祖父やオヤジのコネあまり世界に執着しない事でしょうか。

少し話が飛びますが、自我にとっては普段の日常生活は「起きている」状態と
認識していますが、実際は寝ている、あるいは一種の催眠状態にあるとも言えます。

これは「夢」で例えるとわかりやすいです(多分)
夢を見ている時も、夢の中では「自分は起きており」「様々な事を考えている」はずです。
夢の中の登場人物も、あたかもそれぞれが独自の意志を持って活動しているように
感じているはずです。

これと同じことが自我にとって「起きている」状態にもそのまま当てはまります。
自分の住んでいる場所、職場、そして世間で色々な事が起こっており、
多くの人々が生活しています。
そしてそれらは全て独立した出来事、人物であると感じているはずです。

しかし、夢の世界はどこまで行っても実体の無い夢であると同じように、
自我にとっての世界も実体の無い世界であります。
それがどんなに実体を伴っているように見えても、です。

なので全てが実体の無いものなら特に執着もしません。
あるのは楽しみであり、喜びであり、幸福感しかありません。
夢の中で突拍子も無い事が起こるのと同じで、自我にとってのこの世界で
突拍子も無い事が起きても良いのであります。

しかし何故か自我は理屈が通らないと納得しないので、ここでまた
分離が始まるのであります。

もしかしたら夢の中でも「理屈が通らない」と悩んだ夢を見たことがあるかもしれません。
しかしそれは夢であり、悩んでいるあなたは何処にもいません。
悩むような事柄もありません。もっと言えば、何もありません。
しかし確実に「存在する何か」はあるはずです。
何人かの読者の方から某まとめサイトに掲載されている
2ちゃんねるのスレッドを教えてもらいました。

瞑想やれよ人生変わるぞttp://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3582934.html

私はすぐに爆睡してしまうので瞑想の類はやったことないですが、
早い話が瞑想は思考を観察し、自我を沈める効果があるようであります。

まあ思考っていうのは頼んでなくても太陽が地面を常に照らしているのと
同じで、頼んでなくても泡粒のように次から次へと出てくるモンなんですよ。
なので出てくるに任すと良いと思います。

思考とは面白いもので、ただ座ったり寝たりしているだけなのに
必死に心配事や悩み事を探してくるものです。

その心配事や悩みは何処にも無いし、起きてもいないものなのに
必死にアピールしてくる思考は非常に滑稽ですらあります。
思考の中にしか、「私」は存在しません。思考は必死に「私」を
アピールするでしょうが、それを面白おかしく感じてしまうモノが
我々の本質なのだと思います。

というわけで私も瞑想やって人生を変えたいと思います。

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趣味:
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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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