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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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世界は幻だの枠組みだの何だとああだこうだと書いてきましたが、
結局は「世界には信じるものしか出てこない」っつー事です。
最近はシンプルに書くのを追求してきましたが、今回は少しメソッドぽいのを
書いてみようと思います。

あなたが歩いたり走ったり出来るのも「人間としての体」を持っていると
信じているからであります。
しかし、ここで出てくるのが「では信じれば俺はチーターのように時速100キロとかで
走れるのか?」
というツッコミです。

これは信じれば可能であります、しかしながら「チーターのように走るより電車に乗ったり
タクシーに乗ったりする方が楽や」というのを知っていれば、
夢の中に水前寺清子が出てくるぐらいで、肝心のチーター走りは実現しないでしょう。

が、あなたがもしもギャートルズみたいな世界の住人なら、チーターの速度で走るのは
無茶苦茶疲れると思いますが、マンモスを狩るのに強力な武器となるので、
恐らく実現するでしょう。

例がわかりづらかったかもしれませんが、「必要なものしか信じないし、必要なものしか
出てこない」
のであります。つまり自分(と思っているもの)が必要と信じているのと、
「本当の自分」が必要と判断したものが一致したときに、世界は創造されます。

帰ってきたウルトラマンが、郷隊員とウルトラマンの意思が一致しないと変身出来ないのと
同じです。

これを踏まえて、ではどうするかと言うと、「本当の自分」の属性みたいのは、
こう書くとまた誤解を招くかもしれませんが、言葉にすると愛とか感謝とか言われるものです。
ですから周り(本当の自分の投影)から感謝されたり喜ばれたりされるような状況みたいのを
心がければ良いのであります。というより本来の属性に気付いていけば、おのずと世界なんて
どうにもでもなるっつーアバウトな結論です。

別にこれは何ら難しい事ではありません。周りを不快にさせなければ良いだけです。
起きたら歯を磨くとか顔を洗うとか姿勢を良くして歩くとかでOKです。心身ともに健康な方は
これだけで十分です。つまり本来の属性に近付くことで、世界を味方にしてしまうのであります。

やっぱし女の方から惚れさせるのが真のモテ男というのと同じです。
何て言ってる私は結構惚れっぽいんですけど(ただ単に女好きとも言う)

しかし、もしかしたら心の病とかでそれすら苦痛な方もいるかもしれません。
だったら何もしなくてもよろしい、ただ朝起きれた事に感謝して、また二度寝でもすれば良いです。
汚い身なりで外出して嫌な思いするよりよっぽどマシです。

「でも私は鬱病なんです。もう生きているだけで周りに迷惑をかけています」と
思う方もいるかもしれません。
これも別に何もしなくて良いです、生きているだけで良いのです。
面と向かって「迷惑だ」と言われようがそれで良いのです、迷惑だ何だと
疎まれるっつー事は、少なくともあなたは相手から見えているという事でもあります。
あなたの内面の投影は、あなたという人物が周りに見えることを許可している、
ですから存在しているだけで良いのだという証明の裏返しです。

前者のやり方は外面からのアプローチであって、後者の方は内面からアプローチするようなものです。
どちらから行っても愛と感謝しかない事に気付くでしょう。
それに気付けば、さらにそれらを周りに与えるようになります。
与えれば、どんどん自分に返ってきます。
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願望を抱いて「何々がしたい」と思うのはある意味当然ですが、「したい」と強く思っていれば
常に「したい」という寸止め生殺しみたいな状態が延々と続きます、非常にシンプルです。

ですから「したい」を諦めちゃえば良いんじゃないの、という事を昨日書きましたが、
諦めろっつーと、もうおしまいだとか絶望ですとかなるのは、そうなりたいからに他なりません。

つまり願望を諦めても別に絶望しなくても良いのに「絶望です、うわあああ」みたいになるのは
それを選んだからとしか言いようがありません。それこそ大事に大事に願望というものを
しっかりと握り締めているから
です。

お金を握り締めてたって、何も買えません。
レジのオバハンに払わないと商品は買えないのと同じです。
オバハンに「お金を出してください」と言われて「離したくないよ、うわあああ」と嘆いていたら
いつまでも商品は買えないし、オバハンは困ってしまいます。

つまり「握り締めるのを、諦めてください」に対し「嫌です、絶望しちゃうから」
返しているわけです。別に誰も握り締めるのを止めたら絶望しますよとか言っていないのに、
何故か勝手にさよなら絶望先生になりたがっているのです。

この辺はちょっと文章で書くのは難しいですが、熱いものに触れたら普通は手を引っ込めますよね、
つまり行動みたいのは勝手に起こるものであり、行動そのものに深い意味はありません。

昨日の草野球の例えでもそうですが、行動が勝手に起こる状況が現れれば、勝手に
行動は起きます。状況に対しああだこうだ批評とかする必要はありませんし、状況に対し
媚びる必要もありません。あるがままに在るだけです。
簡単に言っちゃえば条件反射状態が最高という事です。

熱いものに触れて手を引っ込めるのを「でもここで瞑想しなくちゃ」とか「神に祈らないと」とか
無理矢理我慢しなくて良いのです。
我慢して火傷でもすると、今度は「火傷を治すこと」が願望みたいになって
また色々とやり出します。

色んなメソッドを行ったり来たりするのは、まさに我慢大会のようなものです。
そうなる前に、さっさと手を離してしまえば火傷もしないし、自由になれます。
後は状況に対し在るがままであります。
「なにをやってもうまくいかないでござる。願望が叶わない気がして死にたいでござる」という
切実なメールを頂きました。 

これに対し、何もしなきゃ良いんですよ(笑)とか言うのは簡単ですが、やはり何もしないでいるのは
相当に恐怖というか不安を感じるようであります。

そもそもこの投稿者を恐怖と不安で縛り付けているのは何かというと、「願望が叶わない気が
してきた」と言っているように、願望そのものです。
だったらもう、いっそのこと諦めれば良いと思います。

「そんなことは出来ないでござる」となるかもしれませんが、「諦めますた」となったからと
いって何か変わるかというと、何も変わりません。
逆に「諦めません」となったからといっても、やっぱり何も変わりません。

つまり思考でああだこうだ言っても何も変わらないのです。

願望を叶えるというのはどうしても余計な思考が入り込みます。
これさえあればとか、こうなればとか、あの時からやってればとか、思考が未来と過去を
行ったり来たりしてブレブレであります。

簡単な例をあげると、草野球でホームランを打ちたいと思って打席に立っていると、
どうしたって色々考えます。ここで打たないととか、以前よりも球を飛ばしてやるとか、
女性のギャラリーに良い所見せなきゃとか、それらを統合して「打ちたい」という
「願望」の形になります。

ではこの「願望の生成」みたいのを諦めてしまうとどうなるか、もはや以前のように、
ここで打たないととか、球を飛ばしたいとか、女性に良い所見せたいとか、
全てどうでも良くなります。

「でも失敗したらどうするのさ」と思うかもしれませんが、
もう願望じゃないんだから失敗してどうこうって考えは要らないんじゃないですか。

全てが消えたあと、あるのは世界=自分だけしかありません。
あとは球が来たらバットを振れば良いだけです。
「バットを降る事の出来る空間・世界」を創ったのは文字通りあなたなのですから、
結局世界はあなたが創ったものです。
この前もちらっと触れましたが、浦和の十二日まちに行ってきました。
今年は平日という事もあって思ったより人手は少なかったのですが、
それより何より衝撃的だったのは名物の一つだった見世物小屋が無くなっているという事でした。

十二日まちは毎年季節外れのお化け屋敷と、その隣に見世物小屋があったのですが
二年前に来た時にはあったはずの見世物小屋が、的当てゲームみたいなのに変わっていました。

一応、このブログの主旨だと「私の内面の何が見世物小屋を消滅させたのでしょうか!」みたいな
話に持っていくべきでしょうけど、「私」がそんな事考えてもしょうがないのであります。
見世物小屋を消滅させたのは宇宙の意志なので、知らんモンは知らんのです。

まあ浦和の縁日の見世物小屋っつー超ローカルな場所からいきなり宇宙がどうのこうのは
我ながらブッ飛び過ぎとしか思えませんけど。

ここ数年は蛇を食べる蛇女が出ていたと思うのですが、蛇の食い過ぎで腹でも壊したんでしょうか。
ちなみに私が中学生の頃に入った時の見世物は、たこ女と、金魚を飲み込んだり吐き出したり、
ついでに火まで吹く通称”人間ポンプ”のオッサンでした。



しかし人間ポンプって、すげーネーミングだな。
対人関係での相談みたいなメールが結構来るでござる。
この際基本に立ち返って(?)スピ系でよく出てくる「今」に居続けるという事について
シンプルに書こうと思います。

「今」しか存在しないっつー事は時間は存在せず、過去も未来も無いという観点になりますが、
これを対人関係云々に強引に結び付けると、昨日のジョーと今日のジョーと明日のジョー
全て別物として扱うべきであります。

昨日のジョーを引きずって今日のジョーと会えば、昨日の記憶からああでもないこうでもないと
引っ張り出してゴチャゴチャになるので、結局はいつも同じような事書いてますが、
思考を止めて今に居続けるという事です。

「昨日は親切だったのに今日はなんか怒ってる」とか、その逆で「昨日は怒ってたけど今日は
真っ白に燃え尽きてる」とか考え出すと、何が理由なのかとか私が悪いのかしらとか始まるので、
その時その時の内面の投影としてジョーが出てきているだけだと感じれば良いのです。

もちろんジョーに対し変に媚を売ったり、あるいは逆にガン無視をする必要もありません。
過去の事を考えるでもなく、未来に期待するでもなく、ごく普通に接するだけです。
過去にジョーという人物はいなかったし、未来にもいません、
そして厳密に言えば「今」にもいません。

全ては幻に属性を与えて、いかにも現実に経験しているかのように思い込んでいるだけです。
ジョーについてごちゃごちゃ考える必要は全く無いのです。

何も考えずに今に居ること、と言っても「今」は捉えた瞬間に過去になってしまうので
厳密に言うと今に居続けるってちょっと表現がおかしいのであります。
何も考えずに今に居るのではなく、考えられない(捉えられない)からこそ今に在るのです。

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