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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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知人の結婚式に出てきました。まさかド平日にやるとは思いませんでしたが、
それでも何だかんだ都合つけて出席する私は我ながらお人好しかもしれません。 

ついこの間もいとこの結婚式に行ったような記憶があるのですが、どうも今年は
親戚がくたばったかと思うと結婚したりで色々騒がしい一年です。

結婚式とか葬式とかではやっぱりそれなりの身だしなみや振る舞いが要求されますよね、
普段アバウトな私もさすがにその辺は意識します。
結局それは結婚式とか葬式っつーまわりの状況によって自分の行動が決定されていくだけです。
つまり自由意志で動いていると思いきや、全然自由意志じゃないんですよね。

もっと突っ込むと全部幻なわけですから幻の中で「自由に動いているんだ」と思わされ、
支配されていることに気付けば良いわけです。

気付くと、本来の自分が呼び起こされていきます。呼び起こされていけば、周りの世界が
主体で「私」はそれにつつき回されるだけだったのが、幻から目覚めた「私」が
主体になっていきます、
もう幻の中でのすごろく遊びは終わりです。

二次会で飲んだくれてきたので今回は自分でも何書いてるかよくわかりませんね、
まあいつもわかってないんですけど。

明日、酔いがさめたらもう少しまともな文章にする予定です、多分。
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昨日の記事はわかりづらかったのでもう少し表現を変えて書こうと思っていましたが、
ブロンコビリーとかいうステーキ屋で腹一杯食って書こうと思ってたことが殆どスッ飛んだので
今回はステーキ最高!で締めたいと思います。

と言いたい所ですが、それではあまりにもアバウト過ぎるので少しは書こうと思います。

過去も未来も無いというような事をちょこちょこ書いていますが、
例えばジャンケンでグーを出してあいこになって、次にチョキを出したとします。
ここで「グーを出した」場面と「チョキを出した」場面は既に別物であり、何の関係もありません。

もちろん思考を用いれば「最初はグーであいこだから、次はチョキで」とか時系列を並べて
色々考えると思いますが、それは「考えている」だけで「私」とは関係がありません。

「私」と「考えている」は別なのです「私は考えている」は有り得ません、勝手に
「私に考えさせている」のです。「考えさせ」れば、勝手に考え出して勝手に時系列という
概念を用いたりして勝手に一見すると納得の行く説明を提示します。

が、それは提示されただけであって真実ではありません。
真実と思い込むから真実になっているだけです。

一旦提示された考えの中に沈むから「こんなのはダメよ、いやああああ!」となるわけで
提示された考えは単なる「考え」というものであって実は何の関係も無いと
気付けばそれで終わりです。

考えの中に沈んでしまうと、どうしてもその考えの中でループしてしまいます。
ですからそこから抜け出すということです。

で、「抜け出したらじゃあどうすんの?」となりますが別に何もする必要はありません。
何故なら思考から抜け出したという事は思考が創り出した世界が終わりを告げたという事であり、
思考であれこれ考えていたかもしれない願望云々も既に存在しないからです。

「え、じゃあ結局私の願望は捨てなきゃいけないのね、いやああああ!」となった方は
「願望を抱いた」という過去を本物だと「考え」てその思考の世界に閉じこもっています。

一旦、そこから飛び出るのです。
前も書いたと思いますが箱庭の世界の外側に出るのです、
一切の条件付けを廃した本来の世界に戻るのであります。

願望が出てきたら、それについて考えない事です。
「こうしなきゃいけないよ」的な考えは非常に真実っぽく思いますが、
全てまやかしです。何故なら「こうしなきゃ・・」的な考えは、過去の経験から導き出された
妄想であって真実ではないからです。


過去も未来も無いのだから、過去の経験を引っ張り出すのがおかしいのです、
無いものをあるかのように感じるからややこしくなるのです。

ですからやっぱり「何もしない」に行き着いてしまうんですね。
前も書きましたが最近はこのブログの読者層がごそっと入れ替わったぽいのであります。
夏ぐらいに「全てわかったので、もう用はありません。バイバイ」みたいなメールが
頻繁に来ていたので、夏場以降に新規読者の皆さんが訪問されているようです。

で、どういうわけか揃いも揃って「自由意志が無いとかいやあああ」とか「幻なんていやあああ」と
いう内容のメールがガンガン来るのですが、どうも願望というものに依存している方が
多いようであります。

それを踏まえて昨日は「願望っていうのは単なる条件付けみたいなもんだから、そんなに高嶺の花を
見上げるようにしなくて良いずら」みたいな事を書いたんですが、それでも「いやああああ」という
方が多いのですね。

まあ「いやああああ」となってしまう方が多いのもわかるのですが、
「願望実現」から入るとどうしても外側に証拠を求めるので「証拠が何処にも無いわ、いやあああ」と
なるのは、ある意味しょうがないのであります。

言葉にすると「願望実現」になってしまうわけですが、この際「単なる条件探し」にした方が
良いかもしれません、つまり願望っつーのは裏を返せば「私が幸せ、満足になることを妨げている
障害・クリアすべき条件」でもあるんですよね。

例えば「家庭を持ちたい」だったら「一回戦・相手探し」「二回戦・告る」「三回戦・結婚する」「準々決勝・やる」「準決勝・出産する」「決勝・浮気防止」みたいな次々と条件(障害)が現れてくるわけです。

が、しかしです。
こういった条件は勝手に創っただけなんだからガン無視で良いんじゃないの、
というのが今回の、というか最近の主旨であります。

「えー、でも相手いなけりゃ家庭持てないじゃん。まさか犬や猫とやれってんじゃないでしょうね」

ですからそういったものも勝手に創った条件であります、
奥さんや旦那さんや子供の存在を確認しないと「家庭を持った、幸せ」とは言えない!と
誰が決めたんだって事です。
別に存在を確認しなくたって幸せで良いじゃないですか。

そもそも家庭とか奥さんとか旦那とかは単なる概念であって、本来は無いものです。
無いものを外側に探し求めるから苦しむわけです。

ここで記事を終えると「じゃあ一生独身でも結婚した気になってろって事ですか?
そんなのいやああああ!」という内容のメールが間違いなく来ると思われますが、
これも結局、所帯持ちの反対は独身、あるいは独身の反対は所帯持ちと、勝手に創った設定で
勝手に反応して勝手に苦しんでいるだけで、別に苦しむ必要など無いのです。

条件をこれだけ創っているのか!とわかればそれを外して行けば良いだけです。
「俺は男だから女としか子供を作れない!」とかいうあまりにも当たり前過ぎる概念すら
外しちゃって良いです。もちろん実際に同性愛に目覚めて男を孕ませようとかしなくて良いです、
肝心なのはどれだけブッ飛べるか、この一点にかかっています。

ブッ飛べれば、いかに現実と思っているものが脆いかわかってきます。
もうこんな危なっかしい脆いものにつつき回されるのは終わりです。

まあこれでも「願望を結局捨てるんですか、いやああああ」という感じになってしまう方も
いると思われますが、そういう意味じゃないんですけどね。
別に捨てろとかは一言も書いてないですが、でも文章で書くとそういうニュアンスになりがちですし、
この辺はちょっと難しいですね。
マヤ文明のカレンダーが終わるとか何だとかで、予定だと人類は滅亡しているはずなのですが、
何故か地球は爆発もしていないし人類も健在であります。
もしかしたら遠い地でサイキック戦士たちが幻魔大戦に臨んでいるのかもしれません。

滅亡の予言って昔からあるもので、私が子供の頃は予言と言えばノストラダムス、
ノストラダムスと言えば五島勉だったのですが、最近の予言業界のトレンドは誰なんでしょうね。

まあ予言ってどうしても予言した人や、それを聞いた人の思想的なものが絡んでくるから
結局エゴの叫びみたいになっちゃいますよね。

私が昔読んだノストラ本で、なんかひたすら「ソ連滅亡、共産主義死亡」みたいな事を
書き殴ってる本があったんですが、この本の著者がロシアに激しい恨みを抱いていた人みたいで、
結局彼の個人的な怨念を予言解釈を借りて発散していただけだったわけです(まあ共産主義の
崩壊は当たったと言えば当たってんだけど)

これが逆の立場なら恐らく「ソ連万歳、共産主義最高」みたいになってたと思われます。
人間ってやっぱし自分に都合の良い見たいものしか見ないモンですよね。

このブログでも「自由意志は無いです」とか「みんな幻だよ」とか書くと
「いやあああああ!」とやたら拒否するメールが来る事が多いのですが、
恐らく「いやあああああ」となるのは、それだと都合が悪いからなんですよね。

じゃあ何で都合が悪いのか?「私はこれこれこういうのが達成できないと(それが無いと)
幸せじゃない、そのためには自由意志があってくれないと困るのよ!」みたいな設定を
創っているからです。

だったらその設定を外してしまえば即座に幸せという事です。

本来は自由意志があろうがなかろうが世界が幻だろうが何だろうがどうでも良いのです。
そんなものは単なる文字の羅列であって深い意味などありません。

願望というものは裏を返せば「それが無いと幸せになれない」という条件付けでもあります。
だったらそんな設定は外して今すぐ幸せになってしまえば良いのです。

そうすると「じゃあ願望を諦めろって言うの、いやあああああ」となるかもしれませんが
設定を外すのと諦めるは全然違いますよ。昨日も書きましたが願望はあって良いんですよ
「願望」と書くから何か高嶺の花みたく感じますが、本質的には単なる条件付けに過ぎません。

ですからまずはそのような条件付け、設定から自由になって、幸せがデフォルトである事に
気付きましょうという事です。
昨日(28日)に人類が滅亡する予定だったらしいですが、
結局滅亡せずに人類は救われました。と思ったら今日(29日)だったとかの
話もあり、実はこれから人類が滅亡するようであります。

という事は今度こそ、このブログも最終回という事になるのでしょうか!?
もしかしたら最終回かもしれないので今日は手短に話を進めます。

ぶっちゃけて言うと人類が滅亡しようがどうなろうが「何もしな」きゃ良いんですよ。
我々が我々であるためには記憶とか概念とかが必要であります。
つまりそういったもの(記憶とか概念)の集合体が「私」とか「あなた」というものが
存在するかのように見せかけているだけです。

ですからそういった記憶や概念は全て後付でくっついてきた不要なモノであった、という事に
気付けば事実上「私」「あなた」は消滅します。 そう、まさに人類は滅亡するのであります。

滅亡した後は、もう今まで後付でくっついてきてた余計な記憶や概念はどうでも良いものと
なります。文章で書けば「完璧な、何も不足の無いモノ」に目覚めます。

ただ、それだけです。一度完璧超人に目覚めてしまえば「何もする事がない」のです。

しかしこれだと「願望を消滅させて心の安定を目指そうという事ですか?」と取る方も
いるでしょう。が、そうではありません。願望は持っていて結構なのです。

願望なんて持っていてもいなくても良いのです。むしろ願望っつー概念を創り、
願望を抱いている私というものを創っている事に注目すべきです。
すでに完璧しか無いのだから結局は都合の良い事になります。もっと言えば
願望も勝手に湧いてくるのだから、湧いてくるに任せれば良いのです。

ボコボコ願望が湧いたって良いのです、既に完璧なんだからどうだって良いでしょう。
1億円預金があるんだから道端の10円を拾うか拾わないかなんて自由ってのと近いです。

というわけで明日からは人類滅亡後の世界でお会いしましょう。

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職業:
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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

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