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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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オカルト好きの知人が言うには今日(10月28日)マヤ文明のカレンダーだか何だかが
終わるそうで、ついに人類が滅亡か!とか一人で騒いでましたが、
マジで滅亡するということは、このブログも最終回になってしまうのでしょうか。

まあ以前も書いたと思うんですが、私自身はあんまりその手のオカルト系の話は
詳しくないんで何とも言えないんですが、まあ滅亡しても良いんじゃね?ぐらいの感じでいます。

滅亡云々より、2011年10月28日までせっせとカレンダーを書いていたマヤ文明の
カレンダー係のオッサン(オバサンかも)に想いを馳せて人類の無事を祈ります。

というわけで滅亡を回避出来たら明日またお会いしましょう。
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幻上等シリーズが続いていますが、願望の実現っていうのはぶっちゃけて言うと「満足したい」
なんですよね。もっとくだけた言い方をすれば幻を「好き」になりたいわけです。

「自分」という存在も本来は幻ですから、取りあえず外側の幻を置いとくと、
後は内側の幻、つまり「自分」と思っているものが残ります。
「あれ?でも外面は内側の投影なんじゃ・・・」とか言い出すと話がややこしくなるので
今回は自分=内側、それ以外=外側として話を進めます。

で、いきなり外側最高!とかになるのは色々葛藤が出てくると思われるので、
まずは「自分」という幻を取りあえず好きになれば良いと思います。

昨日「やりたい事をやれば良い」と書きましたが、「自分」という幻のおかげで
メシ食ったり歯磨いたり居眠りコイたりと「その場その場で湧いてきたやりたい事」が
出来る
のですから、取りあえずその事に感謝して楽しめば良いんじゃないのという事です。

幻は幻なんだから、実際は外も内も無いのであります。外側の幻が気に入らないなら
(隣のハゲオヤジの加齢臭がキツイとか)内側の幻(「自分」と思っているもの)に
感謝すれば良いじゃないですか。「待ってください、私は今すぐ高級ステーキが食べたいんです。
でも近所にそんな店無いし、お金も無いんです!」と悲痛な叫びが湧いて来ても構いません。

前も書きましたが「こんなハゲオヤジを創る俺ってすげえ!」とか
悲痛なシャウトしてる俺すげえ!」みたいに自らの驚異の創造力に驚嘆し、
やりたい事をやっている自分を楽しめば良いのです。

外に感謝しようが内に感謝しようが同じ幻に感謝してるんだから同じことです。
牛丼もチーズ牛丼も同じ牛丼なんだから、どちらが好きでも「牛丼ファン」で
ある事には変わらない
のと同じ理屈です。

そうすると、もう残るのは牛丼への愛しかありませんよね。
スピ系の言い回しなら「世界は全て愛でした」「世界は自分でした」みたいな
どっかで聞いたような台詞が出てくると思います。

もうこうなると、やる事が無くなってしまうのです。幻を「好き」になれたからです。
というより嫌いだの不足だのっていうのは他者との比較や過去の経験からしか出てきませんから、
そのような概念も幻だと気付くと、「好き」になれたというより実は最初っから「好き」しか
無かったのだ
という事を思い出すのであります。

奇しくもこのブログでよく登場する牛丼屋も「すき家」であります。
そう「すき家」は「好きや」であり、あながち「すき家の意志」というのも単なるギャグでは
無かったのです。私は緻密な計算によって「すき家」の正体が明かされるように
長い前振りをしていたのです。



と言うのは真っ赤なウソです。
幻上等みたいな話を書き出したら何故か「幻なんていやああああ!!」みたいな
ついこの間も「自由意志は無いのでどうしたこうした」を書いていた頃と
似たような内容のメールが来るようになりました。

自由意志云々は、まあ抵抗あるのも理解できなくもないですが
幻云々は何故こんなに抵抗があるのか正直ちょっと戸惑いましたが、気にせずに続けます。

幻云々となるとどうしても「じゃあ幻を操作するってばよ!」(なぜかナルト口調)となるのですが、
この「操作したい」が曲者ですってばよ。

操作っつーことは、当然ですが操作する対象が必要なわけで、その時点で既に幻に実体(?)みたいな
物を与えてしまっています。
なので操作するってばよ、というのは不要です。

幻は幻なのであります。幻のwiiリモコンを振り回そうと思ったら、その時点でwiiリモコンに
実体を与えなくては振り回せません。確かに実体を与えれば振り回せますが、
結局実体(と思っている)ものにこっちが振り回される事になります。
この辺は昨日も「幻を現実と思って、現実につつき回されてるだけ」みたいな感じで書きました。

じゃあどうすれば良いのか?簡単です、何もしないのですってばよ。
と言うと、毎回毎回同じ事ばっか言ってんじゃねえと物が飛んできそうですが、
全部幻なら、幻を基準として勝手に創った過去や未来も幻になってしまうので
何もやりようがないのであります。「何もしない」はもうちょい突っ込んで言うと
「したくても出来ない」のです。

が、そうは言っても普段我々は歩いたり呼吸をしたりメシを食ったりしています(客観的に観れば)
つまりその瞬間にやりたい事をやっているのです。

これだけです、やりたい事をやれば良いのです。やりたい事をやるのは
文章で説明すれば絶対に楽しいわけで、常に楽しさ一杯がデフォルト状態なわけです。
何かやりながら「これはエゴの喚き声だろうか」とか小難しい事
考えなくて良いのです。

そもそもエゴがどうのこうのと言うのも結局は幻を基準にした場合だけであって、
幻を幻と見抜けばそれで終わりです。以前エゴは寝ぼけに似ていると書いた記憶がありますが、
夢だと気付けば寝ぼけは終わるのと同じです。

しかし、夢が終わっても相変わらず世界は在る、と思います。
突然世界にヒビが入って、何故かみんなが周りで拍手してて「おめでとう」と言ってるとかの
どっかで見たような場面になってるわけないと思います。

こっから先はいわゆる明晰夢に近い感覚です。
つまり過去も未来も何もない夢だとわかっている世界で、その瞬間その瞬間に湧いてくる
「やりたい事」を楽しくオートマでやっている世界です。

結局は最初から明晰夢の世界にいた、というより明晰夢そのものなのですが、
寝ぼけがキツ過ぎてそれに気付かなかっただけなのです。
願望を実現してどうたらこうたらっつーと、どうしても「現実を動かしたい」
なるようであります、まあ普通に考えればそうなりますよね。

実際の所、動かすべき現実など無いのです。
「現実」と思っているものは今までの経験や習慣の積み重ねで本物っぽく構成されているだけで、
実体は無いのであります、つまり幻です。

幻をいつまでも本物だと思っていると、いつまでも幻につつき回されます。

しかし「でも今月も請求書が来るのでござる、これも幻って言うんでござるか」と
なるかもしれません。

そうです、幻です
請求書どころか請求書が入っていた郵便受けとか、請求書を開いた自分の手も、
請求書関連全部幻です。

口座から引き落とされた(ように見える)金額も幻、もっと言えば口座自体も幻です。

「請求書が消えるとか有り得ない!」と思うかもしれませんが、別に消えるとは言っていません。
そもそも請求書が消える云々は有り得ないって事は、裏を返せば請求書だけは
何故かちゃっかり現実として認めてる
って事ですよね。

「世界は幻です、めでたしめでたし」という話を聞いて「そうだったのか、全部幻か!」と
目覚めた後に、しばらくしてから「待ってください、今月も請求書が来るんです!」と
言い出すのはおかしいのです。

何で請求書だけリアルなんですか、請求書だけリアルであとは幻って
妙な世界じゃないですか。全部幻なので請求書も幻だし、それに伴う支払い義務も幻、
そして口座も幻で落とされたお金も幻です。

「待ってください、支払い義務が幻なら何でお金が引き落とされてるんですか!」と
なるかもしれませんが、これも支払い義務とお金と、お金が落とされるという”概念や事態”
勝手に関連付けて勝手に現実として認めています。

「願望が叶わないです死にそうです」となっている人は、ほぼ100%上記のような
関連付けをバシバシ行なってボコボコ幻につつき回されています。

ですからその事に気付き、それを止めればもうおしまいです。
何もする事もありません。幻は崩壊し、真実が顔を表します。
「源泉掛け流しから湧いてくるものとそうでないものを区別するには」みたいな
メールを頂きました。ありがとうございます。

結論から言うと、区別とかどうでも良い、という非常にアバウトなものです。

まあこれだけだと身も蓋も無いので、もうちょい書くと、以前も書いたと思うのですが
「何もしない」状態がまさに源泉掛け流しそのものであります。

「何もしない」と言っても普通にご飯食べたり、トイレ行ったりしますよね。
後付で「あの時トイレに行ってウォシュレットを全開にしたのは源泉から湧いてきたのか」とか
言えますが、これは本当に単なる後付です。
結局思考で後付していかないと、実は行為その物も存在しないのであります。

「あれ?でも何もしないんだからトイレとか行かないよね?それだとトイレ行ってるじゃん」と
思うかもしれませんが、「何もしない」は別に寝たきりになれとかずーっとボケっとしてろとかの
意味ではありません。

「何もしない」とは思考で後付をしない、つまり行為自体が存在しない、もっと言えば
行為者そのものが存在しない事に気付くということです。

昨日の話と少し被りますが、「あれもこれも嫌だわ、いやああああ!」となるのは
嫌なことを体験する行為者=自分が存在するという思い込みからであり、行為者がいなければ
自らが創造した世界を見守っているだけで良いのです。見守るという表現は少々語弊が
ありますが、現実っぽく見える世界と、普段知覚できない世界の狭間に在るみたいな感じです。

まあ狭間だの寛平だの言い出すとまたややこしくなるのであまりグダグダ書きませんが、
何かを見たり何かを話したり何かを聞いている行為者は、実はいないという事であります。

「え、じゃあ私の願望はどうなるのよ、いやああああ!」となるかもしれませんが
行為者がいない、と言ってもご飯食べたりトイレ行ったりしてるって事は、全部後付で
「ご飯食べてる」とか「トイレ行きました」って言えますよね。

つまり全部オートマなんですよ、
願望がどうなるもクソも全て流れに乗っていれば良いのです。
願望が実現するまでのタイムラグが待てませんとかそんなのもどうでも良いのです。

「時間」を感じている行為者がいると思い込んでるからタイムラグがどうしたこうしたと
なるわけです。でも行為者なんていないんだから時間もクソも無いでしょう。
今、全てが在るのです。というより全て在って良いと許可を出すことです。




ここで唐突に許可を出す繋がりです。
私のいとこの一人がずっと相手の両親に結婚を反対されていたらしいのですが、
先月辺りにとうとう許可が出たそうであります。

というわけで結婚式に出席するため青森まで行く羽目になったので2、3日更新はお休みです。
まあ結婚式と言っても身内だけの披露宴みたいなモンらしいですけど。

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職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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