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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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一ヶ月程前の記事と少々内容が被るんですけど、結局「何々が叶いません」とか
「現実が動きません」とかになっている人は、真逆の方向を見てしまっているからに
他なりません。

例えば「牛丼が食えません、どうすれば良いんですか!」となっている人は、
裏を返せば牛丼を食ったことが無いから「牛丼食いたい」っつー願望を抱いたわけで、
さらに言えば、それは「牛丼が食えない世界」を自らが創ったからと言えます。

ですから「そうか、俺は牛丼が食えない世界を何だか知らないが創っていたのか」と
気付けばそれで終わりです。

何故、あなたが牛丼が食えない世界を創っていたのかは、それこそ知った事ではありませんし、
私も知りたくもありませんのでメールとかして来ないでください。

子供の頃からの概念とかその他色々なものを真実であると認識し、それに基づいて
そういった世界を創っていたのでしょう、それは別に良いことでも無いし悪いことでも
ありません。ただ、そうだったというだけの話です。

結局エゴの視点から見た「人生」という流れは、エヴァンゲリオンで言えば
ゼーレのシナリオ通りに流れて行きます。
そのゼーレとはもちろんあなたの事であります。

今回の記事を見て「じゃあどうすれば良いんだ、教えてよ!知りたいよ!」と思えば、
やはり望み通りにどうすれば良いかわからん状況が出てくるでしょうし、
「知ってるモンは知っている」とかの胡散臭いブログを発見するかもしれません。

皮肉にも願いを叶えたいという強い思いが、様々なメソッドやバカ高いセミナーとかを
文字通り引き寄せたのかもしれません。

もしかしたら読者の皆さんの宇宙にこのブログが出現したのも、そういった「渇望している世界」
望んだからこそ創り出されたのかもしれません。

まずは前述した牛丼の例のように、「自分は何だか知らないが”叶えたい”世界を創っていたんだな」
と気付くことです。そうすると、このブログがまた違って見えるでしょうし、
あるいはもう見る必要など無いと感じて二度と見なくなる場合もあるでしょう。

それこそが、あなたが今までとは違う世界を創ったという事であります。
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このブログで何度か表現を変えて書いていますが、恐らく理解し難いのが「何もしない」という
部分だと思うんですよね。

どんな事かっつーと、はやい話が高い所から低い所に行きたいんだったら
飛び降りれば良いわけで、落ちている最中に手足をバタバタさせたりヘラヘラ笑ったり
いきなり歌い出したりしても落ちるモンは落ちるわけで、特に何もする必要はないですよね。

「何もしない」はこの感覚に近いものであります。

角度を変えて言えばですね、とりゃーって高い所から飛んだ時点で、下に落ちて着地するのは
決まってるわけですよね。
つまりとりゃーっていうのと地面に着地するのって、中間の落ちている部分を
端折っても問題無いっつー事です。

とりゃーって飛んだ時点で「着地した私」にならざるを得ないんですよ。
つまり「今、落下してる途中」っていう証拠を探さなくて良いのであります。
証拠を探さないっつー事は前も書きましたけど。

とりゃーの時点でもう「地面に着地する流れ」そのものなのです。
「地面に着地しようとしている流れ」じゃなくて「地面に着地する流れ」である事に
注意してください。
もうとりゃーって飛んじゃった以上、嫌でも何でも着地しちゃうんです。
で、このとりゃーって飛ぶという動作がいわゆる願望と言われるものです。

例えば歩こうって願望を抱いたらもう重心が前に行って足を踏み込んでとか
色々やってると思うんですよね。つまり「歩こうとしてる流れ」じゃなくて
「歩いちゃってる流れ」になってるわけです。
要は全部これと同じです、なんかしようとか思ったらもう「そうなっちゃってる」のです。

ウンコやオシッコしたいと思ったらもう漏れちゃってるのです。
我々は実は生まれながらの尿漏れ、源泉掛け流しではなく
源泉垂れ流しだったのであります。

さらに突き詰めていくと、歩くって行為は我々が認識できる世界の重力によって
可能になるわけですよね。ということは「歩こう」とか以前にもうそれが常に可能な世界に
最初から居るんですよ。


これが無重力状態だったらプカプカ浮かんで歩けないですよね、多くの人は
わざわざ「いつでも歩ける」世界を認識しているくせに、何故か「歩くにはどうすれば良いのだ!」と
悩んでいるだけなのです。つまり「認識しているんだけど、認識している事に気付けない」
とも言えます。

で、その「いつでも歩ける」世界を創り出したのは、このブログの著者である私ではなく、
隣のオヤジでもなく、ましてやすき家の社員でもなく、他でもないあなたであります。

つまりあなたは何の事は無い、最初っから自分で何でも出来る世界を創っていたんです。

様々な願望っていうのは全部あなたが創った世界に準じたものしか出て来れないわけで、
出て来れるって事は「歩く」と同じでそれが既に存在しているから出て来るわけです。
だから周りの世界は全部自分であり、全部あなたの仲間であり味方なのです。

まあ敵とか味方って概念をつけると、またああだこうだエゴが騒ぐと思いますが(あんな憎い人
私の仲間じゃありません!とか)そういった表面上の概念なんてどうでも良いんですよ。

大事なのは「認識しているけど、認識していない」事に気付く事です、
希望通りの世界は、もう目の前にあるじゃないですか。
最近の記事で実は「今」を感じる事は厳密に言うと出来ないよって事を
書いたんですが、これは無理矢理「時間」という概念を使って説明すると、 
目の前で起きている事は全部「過去」であるとも言えます。

少々ややこしいですが「今」を感じているぜ!と感じている時は
もはやその「今」は通り過ぎた後なので、「今」じゃなくて「過去」を
感じているんですね。乱暴に言えば思考で捉えたものは全部過去の遺物です。

ですから過去に、つまり過ぎ去ったものにあーだこーだ言ってもしょうがないので
あります。


「今」は常に自分と共に在ります、つまり「今」=「俺」なので
今である俺様が今を感じる事は出来ないのです。
ちょうど自分の顔を自分の目で直に見ることが決して出来ないのに似ています。

で、ちょっと話が飛躍しますが、「今」を感じる事が出来ないのだから
わざわざ感じようとしなくても良いのであります。
つまり結局の所「何もするな」になってしまうのです。

「でも、それだと何も変わりません」と思うかもしれませんが、
それは「それだと何も変わらない」と思うから何も変わらないのであって、
だったら「何も変わらない」と思わなければ良いだけです。


じゃあ「変わった!」って思えば良いのか、と考えがちですが
そうするとエゴが「何が変わったの?」と必ず呟くと思います。
で、変わっていない証拠を次から次へと探してくると思いますが、
ここで証拠を探しているのはエゴであって、あなたではないという事です。

ですからその「証拠類」とあなたは何の関係も無いのです。
そもそもその「証拠」を思考で考えた所で、それは前述したように過去の遺物であります。
常に「今」と共にあなたは一歩先を行っているということです。

一歩先を行っているのに、わざわざ過去の遺物に立ち止まる必要はありません。
それに気付けば、その内に無駄な思考は止まります。

一歩先を行った後にどうなるのかは、行ってからのお楽しみであります。
ここ二、三日で読者の方から様々な質問メールを頂いています。

大体似たような質問が多いので、ブログを書く際のテーマとして
まとめて答えになるような内容を書こうと思っていますが、
今週末は私用その他で色々と忙しくなってしまったので、しばらく更新をお休みします。

おまえいつもヒマそうにしてるじゃないか、とツッコミが入りそうですが
これでもたまには忙しくなるのです。

読者の皆さんのメールは今までもブログのネタとして重宝しているので、
これからもどしどし送ってください。

まあ採用されたからといって何か当たったりはしませんけど。
昨日(21日)は凄まじい台風が首都圏を直撃したようですが、  
日本が誇る超時空要塞都市大宮はビクともしませんでした。
さすがこのブログの設定だと日本の首都だけの事はあります。

大宮の話は置いといて、このブログでは「受け入れて云々」とか
「気付くだけでどうのこうの」とかの表現が結構出てきますが、
この辺で引っ掛かる人が多いようです。

例えば「私は借金があるのですが、借金なんて望んでないしそんなもの
受け入れる気もありません」
とか「私はこの前恋人と別れましたが、
別れなんて望んでないしそんなもの受け入れる気もありません」
とか
そういった悩みみたいのを持っている方もいるかもしれません。

まあここ最近ずっと同じことを書いてるんですが、
結局それらの事(借金とか失恋とか)は全部箱庭の中の世界で
ああだこうだ喚いているだけで、箱庭の外からすれば必然であるとも言えます。

前も同じ事書いたと思うんですけど、海外に旅行に行く予定が台風で潰れて、
家でPCに向かって「私は台風なんて望んでないし受け入れる気もありません」とか
どっかの掲示板に書き込んでる時に、旅行に行く予定の国で大規模テロが起きて
空港大爆発とかいうニュースを見たら「台風で予定が潰れて良かった」と
思うかもしれません。

上記の例は極端な例えですし、あまり良くない例えかもしれませんが、
簡単に言えば結果オーライという奴です。

そもそも「こんな事望んでいないし受け入れる気も無い」のは何でかっつーと
未来や過去に飛んでるからなんですよね、
失恋したら「もう楽しい思い出は作れない」
とか「これで結婚の芽は絶たれた」とかありもしない「未来」を何故か大事に
心配して、それが何故か確定されていると思ってしまうので「こんな事嫌です」と
なってしまうのであります。

仮に、失恋することが後に超絶イケメンや絶世の美女と結婚するフラグだと
わかっていれば「失恋を受け入れます」となると思うんですよね。

実際はフラグかどうかなんてそれこそ「知らんモンは知らん」ですが、
「今」を受け入れていないからこそ「未来」への心配や敵意が出てくるという事に
気付いたでしょうか?
「今」を受け入れていないからこそ「未来」を
「何とかせねばならない運命」みたいに感じて、ずーっとそれに意識を向けて
ナントカメソッドやら何やらに取り組んでいるのではないでしょうか?
その結果として「克服すべき未来」が望み通りに出てきているのではないでしょうか?

ですから「今」を拒否して「克服すべき未来」と戦い続けるなら、その逆を行けば良いのです。
「今」を受け入れて「今」が最高である事に意識を向ければ良いじゃないですか、単純な話です。

と言っても、これを読んでも色々な事が頭を駆け巡ると思います。
しかしその駆け巡っている事柄に「今」の要素は無いはずです。
「今」の要素が無いって事は、それは勝手に作り上げた幻という事です。

で、こんな事書くと気象予報士の森田さんとかにぶっ飛ばされそうですが、今回の台風も
「起こってはいない」んですよね。理解し難いと思いますが、「”今”、すごい台風だぜ!」と
「今」という定義付けをした瞬間に「今」は過去になってしまうので厳密に言っちゃうと
「今」を感じるって出来ないんですよ。


「今、台風パねえ!」と感じた時点で、もうそれは過去の遺物になってしまうのです。
「今」という概念を持つという事は「・・・・・・・・・・・・」と時間が存在しない本来の世界に
「・・・・今パねえ・・・・・・・」とくっつけているだけで、その「今パねえ」を認識して
「今パねえ」んだな、と思っているだけです。
ですから「今パねえ」が無いと何も起こってない状態になってしまうわけですね。

何も起こってないんだけど、文章で書くと「今を感じてください!」とかになってしまうわけです。
ですから「感じられるわけねーだろアホ」と思った人は、ある意味正しい感性の持ち主であります。

よくわかんねーよボケと思ってるかもしれませんが、上記の理屈で言うと
前々から書いているとおり時間も空間も何もなく、何も起こってはいない世界が
本来の自分ということです、一言で言うと「何も気にすんな」とも言えます。

ですから今回の記事を読んで、「全然記事のタイトルと内容が合ってないじゃん!」
思っても、そんな事は起こっていないし気にしてはダメです。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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