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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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幻上等みたいな話を書き出したら何故か「幻なんていやああああ!!」みたいな
ついこの間も「自由意志は無いのでどうしたこうした」を書いていた頃と
似たような内容のメールが来るようになりました。

自由意志云々は、まあ抵抗あるのも理解できなくもないですが
幻云々は何故こんなに抵抗があるのか正直ちょっと戸惑いましたが、気にせずに続けます。

幻云々となるとどうしても「じゃあ幻を操作するってばよ!」(なぜかナルト口調)となるのですが、
この「操作したい」が曲者ですってばよ。

操作っつーことは、当然ですが操作する対象が必要なわけで、その時点で既に幻に実体(?)みたいな
物を与えてしまっています。
なので操作するってばよ、というのは不要です。

幻は幻なのであります。幻のwiiリモコンを振り回そうと思ったら、その時点でwiiリモコンに
実体を与えなくては振り回せません。確かに実体を与えれば振り回せますが、
結局実体(と思っている)ものにこっちが振り回される事になります。
この辺は昨日も「幻を現実と思って、現実につつき回されてるだけ」みたいな感じで書きました。

じゃあどうすれば良いのか?簡単です、何もしないのですってばよ。
と言うと、毎回毎回同じ事ばっか言ってんじゃねえと物が飛んできそうですが、
全部幻なら、幻を基準として勝手に創った過去や未来も幻になってしまうので
何もやりようがないのであります。「何もしない」はもうちょい突っ込んで言うと
「したくても出来ない」のです。

が、そうは言っても普段我々は歩いたり呼吸をしたりメシを食ったりしています(客観的に観れば)
つまりその瞬間にやりたい事をやっているのです。

これだけです、やりたい事をやれば良いのです。やりたい事をやるのは
文章で説明すれば絶対に楽しいわけで、常に楽しさ一杯がデフォルト状態なわけです。
何かやりながら「これはエゴの喚き声だろうか」とか小難しい事
考えなくて良いのです。

そもそもエゴがどうのこうのと言うのも結局は幻を基準にした場合だけであって、
幻を幻と見抜けばそれで終わりです。以前エゴは寝ぼけに似ていると書いた記憶がありますが、
夢だと気付けば寝ぼけは終わるのと同じです。

しかし、夢が終わっても相変わらず世界は在る、と思います。
突然世界にヒビが入って、何故かみんなが周りで拍手してて「おめでとう」と言ってるとかの
どっかで見たような場面になってるわけないと思います。

こっから先はいわゆる明晰夢に近い感覚です。
つまり過去も未来も何もない夢だとわかっている世界で、その瞬間その瞬間に湧いてくる
「やりたい事」を楽しくオートマでやっている世界です。

結局は最初から明晰夢の世界にいた、というより明晰夢そのものなのですが、
寝ぼけがキツ過ぎてそれに気付かなかっただけなのです。
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願望を実現してどうたらこうたらっつーと、どうしても「現実を動かしたい」
なるようであります、まあ普通に考えればそうなりますよね。

実際の所、動かすべき現実など無いのです。
「現実」と思っているものは今までの経験や習慣の積み重ねで本物っぽく構成されているだけで、
実体は無いのであります、つまり幻です。

幻をいつまでも本物だと思っていると、いつまでも幻につつき回されます。

しかし「でも今月も請求書が来るのでござる、これも幻って言うんでござるか」と
なるかもしれません。

そうです、幻です
請求書どころか請求書が入っていた郵便受けとか、請求書を開いた自分の手も、
請求書関連全部幻です。

口座から引き落とされた(ように見える)金額も幻、もっと言えば口座自体も幻です。

「請求書が消えるとか有り得ない!」と思うかもしれませんが、別に消えるとは言っていません。
そもそも請求書が消える云々は有り得ないって事は、裏を返せば請求書だけは
何故かちゃっかり現実として認めてる
って事ですよね。

「世界は幻です、めでたしめでたし」という話を聞いて「そうだったのか、全部幻か!」と
目覚めた後に、しばらくしてから「待ってください、今月も請求書が来るんです!」と
言い出すのはおかしいのです。

何で請求書だけリアルなんですか、請求書だけリアルであとは幻って
妙な世界じゃないですか。全部幻なので請求書も幻だし、それに伴う支払い義務も幻、
そして口座も幻で落とされたお金も幻です。

「待ってください、支払い義務が幻なら何でお金が引き落とされてるんですか!」と
なるかもしれませんが、これも支払い義務とお金と、お金が落とされるという”概念や事態”
勝手に関連付けて勝手に現実として認めています。

「願望が叶わないです死にそうです」となっている人は、ほぼ100%上記のような
関連付けをバシバシ行なってボコボコ幻につつき回されています。

ですからその事に気付き、それを止めればもうおしまいです。
何もする事もありません。幻は崩壊し、真実が顔を表します。
「源泉掛け流しから湧いてくるものとそうでないものを区別するには」みたいな
メールを頂きました。ありがとうございます。

結論から言うと、区別とかどうでも良い、という非常にアバウトなものです。

まあこれだけだと身も蓋も無いので、もうちょい書くと、以前も書いたと思うのですが
「何もしない」状態がまさに源泉掛け流しそのものであります。

「何もしない」と言っても普通にご飯食べたり、トイレ行ったりしますよね。
後付で「あの時トイレに行ってウォシュレットを全開にしたのは源泉から湧いてきたのか」とか
言えますが、これは本当に単なる後付です。
結局思考で後付していかないと、実は行為その物も存在しないのであります。

「あれ?でも何もしないんだからトイレとか行かないよね?それだとトイレ行ってるじゃん」と
思うかもしれませんが、「何もしない」は別に寝たきりになれとかずーっとボケっとしてろとかの
意味ではありません。

「何もしない」とは思考で後付をしない、つまり行為自体が存在しない、もっと言えば
行為者そのものが存在しない事に気付くということです。

昨日の話と少し被りますが、「あれもこれも嫌だわ、いやああああ!」となるのは
嫌なことを体験する行為者=自分が存在するという思い込みからであり、行為者がいなければ
自らが創造した世界を見守っているだけで良いのです。見守るという表現は少々語弊が
ありますが、現実っぽく見える世界と、普段知覚できない世界の狭間に在るみたいな感じです。

まあ狭間だの寛平だの言い出すとまたややこしくなるのであまりグダグダ書きませんが、
何かを見たり何かを話したり何かを聞いている行為者は、実はいないという事であります。

「え、じゃあ私の願望はどうなるのよ、いやああああ!」となるかもしれませんが
行為者がいない、と言ってもご飯食べたりトイレ行ったりしてるって事は、全部後付で
「ご飯食べてる」とか「トイレ行きました」って言えますよね。

つまり全部オートマなんですよ、
願望がどうなるもクソも全て流れに乗っていれば良いのです。
願望が実現するまでのタイムラグが待てませんとかそんなのもどうでも良いのです。

「時間」を感じている行為者がいると思い込んでるからタイムラグがどうしたこうしたと
なるわけです。でも行為者なんていないんだから時間もクソも無いでしょう。
今、全てが在るのです。というより全て在って良いと許可を出すことです。




ここで唐突に許可を出す繋がりです。
私のいとこの一人がずっと相手の両親に結婚を反対されていたらしいのですが、
先月辺りにとうとう許可が出たそうであります。

というわけで結婚式に出席するため青森まで行く羽目になったので2、3日更新はお休みです。
まあ結婚式と言っても身内だけの披露宴みたいなモンらしいですけど。
昨日の記事で「別にコケても構わん」みたいに書いたら「コケるなんて嫌です、いやああああ!!」
みたいなメールを頂きました。
どうも願望実現系にハマっている人は少しでも「ネガティブ」と感じる事に猛烈な拒否反応を
示す人が多いようであります。

まあここで「ネガティブは、実はネガティブでは無いのです」とか「コケているのはあなたじゃない」
とかどっかで聞いたような事を書いてもしょうがないのですが、「コケても構わない」はイコール
「あなたは確実にコケます」じゃないですよ、当たり前ですけど。

文字通り「コケても構わない」のです。だって仮に「コケて」もですね、それ(コケ)
創ったあなたの超絶スタンド能力みたいな物の証明になるわけで、その能力に感謝すれば
良いのであります。
というか実際は愛とか感謝とかしか無いのです(あんまり愛とか何だとかの表現は誤解を
招きそうですけど)

映画を見てて登場人物が派手にぶっ殺されるシーンを見ても「アタシもああやって殺されるんだわ、
いやああああ!!」
みたいに喚く人はいないと思います、映画は架空の世界だと判りきって
いるからですね。見終わってから「すごいCGだったわ」とか感心するでしょう。
それと同じで「アタシってコケる(た)んだわ、いやああああ!!」となる必要は無いのです。

で、ここで陥りやすいのが「では”世界”という映画をコントロールしよう」となる事ですね。
しかし世界は幻(みたいなモン)なので、幻を必死にコントロールしようと思っても
しょうがないのであります。

そもそも幻をコントロールしたいっつー事は、今見ている幻が気に入らないという事であり、
自分の内面の投影で創ったくせに気に入らないと言われても、結局自分が困るのであります。

あなたが何かを意識して、認識した瞬間に世界が現れるのです。
このブログも当然創ったのはあなたです。
このブログを書いている私という変なオッサンを創ったのもあなたです。
オマエのようなボンボン育ちのわけのわからんオヤジはいらない、とか言っても
創ったモンはしょうがないのであります。

そうやって延々と「これは嫌だ」のループに陥るよりも、「色んな物をポンポン創りまくってる
アタシってスゴイわ」
に目覚める事です。文字通りあなたはポンポン創っています、
この記事の文字数が何文字かは知りませんが、仮に500文字だったら500個も文字を
創ってるってすごいじゃないですか。

「でもすごいとか何だとか言われても、アタシはお金も無いし友達もいないし彼氏もいないし
何も創って無いわ、いやああああ!!」となるかもしれませんが、そのような「ネガティブ」に
見える思考を創ったのもあなたであります。

本来は幻である世界に何故かリアリティーを持たせ、「ネガティブ」という属性を一瞬で創り、
そういった思考を一瞬で創れるのもすごいと思います、まさに最近の映画のCGもビックリであります。

そのような「ネガティブ」というレッテルを貼りやすい思考を創ったからといって
何だと言うのでしょうか、どんな天才でも一瞬でCGを創る事は出来ません、
しかしあなたは一瞬で創ってしまう。まさにあなたの凄まじい創造能力が証明されただけです、
おめでとうございます。


「何でもかんでもポンポン創ってすごいアタシ」に気付けば気付くほど、
もう何もやる事がなくなります。

最初からコントロールする物など、何処にも無かったのです。
以前も同じ事書いた記憶があるんですけど、要は何でもかんでも「自分」が
スタートだよって事であります。


一歩前に歩くのだって、「自分」が前に重心を移動したり目の前の風景が手前に
近づいてきたりとかで「歩いている」と判断するわけです。

「そんな小難しい事言わなくても目の前に道があるからでしょ」というのも
もちろんそうですが、「道がある」から歩いている、ではなくあくまで「自分」が
「歩く」という行為が可能になる状況というか空間というか、それらを生み出しているのだ、と
いう感じに持っていった方が色々気付くには良いと思います。

要は「外部」からの刺激に反応してどうこうするのではなく、あくまで主体性を持つと
いう事ですね。
「道があるから歩きました」ではなく「歩くという行為を創るために
道を創りました」という感じです。

外部からの刺激につつき回されていると、いつまで経っても同じ所を回る羽目になります。
何をやるにも全て自分がスタート地点という事です、そして行なった事の結果が
どうなろうが関係ありません。

何故なら「創れる」事自体が素晴らしいのであります。
「歩く」という事を創ったのも素晴らしいし「歩いたらコケた」を創ったのも素晴らしいので
あります。常に自分は創造の原点であって、「素晴らしい」を連発している事に気付いて下さい。

実は最初から「愛と感謝」に満ちています!なんていうといかにもスピ系っぽい言い回しですが、
文章で書くとそうなっちゃうかもしれません。

まあ「愛と感謝」は好きな単語に変えて良いんですよ。「すき家と松屋」でも良いし、
「俺とお前と大五郎」とかでも構いません。大五郎は何処から出てきたんだとかそういう事を
いちいち言うのは野暮ってモンです。これを気にしない人の方が何かに気付けます、
保証はしないけど。

結局、単語とか文章自体に大した意味は無いのです。
「果物」っつーものを分類するのに「リンゴ」とか「スイカ」とかいちいち名前を付けているのに
近いかもしれませんね。
まずは本質的な事に気付く事です。

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