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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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読者の方から「坂本龍馬や西郷隆盛や二宮金次郎の銅像を動かせるのか?」という
衝撃的なメールを頂きました。
意図すれば果たして夜中に二宮金次郎が動き出すという、
どこかで聞いたようなオカルト話が再現できるのか、という趣旨のようであります。

私はこのメールを読んで非常に感銘を受けました。
はっきり言ってこんないかにもヒマ人が考えそうな斬新な発想は考えもしませんでした。

で、私の見解としてはこれは可能ではないかと思います。
ただ、どうやって世界が辻褄を合わせるかはわかりません。もしかしたら地震や津波で
二宮金次郎の銅像が動いたとか流されたとか
そのような形で実現するかもしれません。

そういった意味では、ある意味デンジャラスな願望とも言えます。

しかしながら、学校にある二宮金次郎の銅像をムーンウォークで校庭一週させたいとかは
困難ではないかと思います。

明晰夢とか体外離脱とかでも、空を飛ぶというまったく身体操作の感覚が掴めない動作は
非常に難しいと聞きます。それと同じで、銅像のボディを持つ二宮金次郎のムーンウォーク
感覚を体現するのは、やはり困難なのではなかろうかと思います。

まあそういった突拍子もない事をリアルに思い、まさにそれが自分であると感じられる人は
芸術方面などで天才とか鬼才と称されるのかもしれませんね。

皆さんもこのブログを読んでブッ飛んだ天才になりましょう!



お知らせ・都合で3日ほどブログの更新をお休みします
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前回の続きにもなりますが、めでたくメソッドを捨てて世界と一体になったとします。
後はもう世界(自分)が勝手に動いているのを眺めているだけです。

ここで話がややこしくなるのですが、世界は自分なのですから見方を変えれば
他人の存在が無くなってしまうのだろうか、という事になりますが、
他人というものはあくまでエゴ視点から見た場合にのみ存在すると言えます。


例えばジャイアント馬場を様々なアングルで写真を撮るとします、電話ボックスを
バックにして撮れば馬場は巨人ですが、何も比較するものがない原っぱで撮れば
小さくも見えます。
つまりアングルと撮り方でたくさんの馬場が存在するかのように感じるのです。

他人の存在はこの「馬場がたくさんいる」という錯覚に近いです。
本当は馬場は一人なのに馬場がババババとたくさんいるように感じているのです。

メソッドを捨てる事による気付きとは、早い話が「俺は馬場だったのだ」という
気付きであります。そう、世界の支配者はすき家でしたが、世界は馬場だったのであります。
道理でデカイはずです。

後は馬場が勝手に歩いたり座ったり葉巻吸ったりしてるのを見ているだけです。
馬場の一部になったという事は、馬場の動きに合わせて勝手に移動するという事です。

ちょうど起きあがりこぼしがどんなに揺れてもバランスを取るようにです。
起きあがりこぼしが揺れた時に、変に力んだり固くなったりしたら起きあがりこぼしは
バランスを取れません。エゴ視点だといつまで経ってもバランスを取れません、
何度も何度も苦しみます。

しかし、馬場の一部である事に気付けば馬場が立とうが座ろうが十六文キックを繰り出そうが
起きあがりこぼしの重心の如く最も良いポジションに居ることが出来ます。

十六文キック、すなわち願望とか何だとかはエゴの願望じゃないんですよ
エゴはいかにも自分が願望を叶えようとしているんだという顔をして馬場を邪魔しているだけ
なのです。

願望が湧くとは、つまり馬場の意志なのであります。
あなたは馬場の重心なんですから馬場の動きを邪魔しなきゃ良いんですよ、
馬場がアポーと言い出してるのにアチョーとか言わなくて良いんです。
そこで馬場の動きを制限して、自分こそが支配者なんだと嘘を言って
さあ早く何でもいいからメソッドをやりやがれと言っているのがエゴです。

メソッドを捨てるという事は、すなわち馬場の動き(願望)を邪魔しないという事です。
こうなるとエゴは「何かしなくちゃ、何か考えなくては」と途方に暮れます。

しかし、馬場は意図した動き(願望)に向けて既に動いています、あなたはそれを
眺めていれば良いのです。馬場がいかなる動きで意図を達成するかは知ったこっちゃありません。
もしかしたら十六文キックの前に馬場チョップのフェイントを入れるかもしれません、
でもそれで「ああ、何故ここでチョップなんだ!」とかエゴが喚く声に耳を傾けてはなりません。

そこで余計な力道山メソッドとか考え始めたらせっかくのチョップからキックの流れるような
馬場の動きが止まってしまいます。

本当は意図した瞬間に叶っているのです。
エゴ視点で「自分が願望を持ったのだ」と思うから「自分の意志で、自分の力で」
叶えようともがくわけです。実際は居もしない「自分」にそんな力あるわけないじゃないですか。

実際は馬場が意図してるんだから放っておけというわけですね。
メソッドを捨てた後にどうなるのか、あるいはどうするのでしょうか。
答えとしては何も変わらないし、何もすることもありません。

というより何も変える必要も無く、何もする必要も無いことに気付くというか、
したくても出来ない状態になってしまうのです。

何故かというと昨日も書きましたが「叶えるために」メソッドに
取り組んでいる自分を捨てると、当然ながら何のメソッドもやっていない自分に
なります。何のメソッドもやっていないということは、叶ってしまったからです。

叶ってしまうと、もうやることが無くなってしまいます。
しかし、やる事が無いと言っても朝になったら目覚め、夜になったら眠りと
世界はオートマで動いているのです。

「叶っていない」と思うと、オートマで動いている世界に「干渉」しようとして
事態をややこしくしてしまいます。
「叶っていない」と喚くエゴが「自由意志を持ち」と錯覚してオートマで動いている世界に
ブレーキをかけようとして苦しむわけです。

「叶ってしまった」ならもう何もすることが無いので、エゴは世界に干渉出来ません。
世界は勝手に動いています、そしてその勝手に動き続ける世界こそが真の自分であります。

この辺はもう完全に感覚の世界なのですが、勝手に動く真の自分に気付くと、願望を願望として
維持するのが難しくなります。これは無欲になるとはまったく違う次元であります。
「全部あるのでやる事無いっす」に近いです。

そんなのデキッコナイスと思った方は「時をかけない少女メソッド」からの
一連の流れを今一度読んでみてください。偶然にも綺麗にまとまっていると
思うので、気付きがあるかもしれません。
昨日の話は「メソッドにこだわるとダメです」という趣旨の話ですが、
もう少し突っ込んで書くと、ある特定のメソッドを知った時点で、そのメソッドに
無意識に従って行動するようになってしまうと良くないです。

どうしても「何かが起こったとき」に「これは幻だ」とか「これは良い兆候だ」とか
「ここでホイミを唱える」とかに固執すると、これはもうメソッドにとらわれ過ぎです。

そもそも何でメソッドをやるかというと、突き詰めれば「自分」を守るためです。
つまりメソッドを知れば知るほど、やればやるほど「自分」(エゴ)が強固になっていくという
パラドックスが出てきます。

あらゆるメソッドは結局、「自分」が傷ついたとか不安だとか感じた時のスケープゴートに
過ぎないのであります。

これを認識してメソッド類に励むのと、認識せずに励むのでは大きな違いがあります。

「叶えるために」メソッドに取り組むんじゃないのです、「叶えるために」メソッドを
やっている自分、すなわち「叶っていない」前提を無意識に作っている自分に気づくため
取り組むのです。

「じゃあ私の願望はどうなるんですか?」 そんな事知りません。ただ確実に言えることは
「叶わない前提」を今、この瞬間に外したわけですからもう叶ったんじゃないの? と
答えるしかありません。言い方を変えれば、「叶った世界を今、創ったんじゃないの?」ということです。

「え?でも・・・」と恐らく「何かしなくちゃ、何か考えなくちゃ」と
思った人が多いかもしれません。何でか?エゴが「叶っていない」と囁くからです。
そう、自分でわざわざ「叶っていない」前提を欲しているんですね。

「え?でも・・」と思い「何かしなくちゃ、何か考えないと」と感じたということは、
逆に言えば「何も出来ない、何も思考出来ない」領域に一瞬足を踏み入れたということです。

そこが最初からあなたが居た全ての源泉だったのです、
あとはもう勝手に世界が動くに任せましょう。
様々なメソッドを読んだり実践したりするのは結構なことです。
しかし、結局はメソッド云々は文字の羅列に過ぎないので、
あんまりこだわりすぎるのも良くないです。

チェスや将棋に例えると、初心者のうちは色んな定跡を覚えたり、手筋を研究しますが
結局は盤面の上でしか、というかルールの中でしか通用しないものです。

自分が負けそうになったときに色々と勉強してきた人ほど定跡や手筋云々にこだわりますが、
負けそうな局面をチャラにするのは実は何の事はない、盤そのものを引っくり返してしまえば
良いだけです。


スピ系のメソッドに対する心構えというか、基本的なスタンスはこれぐらいが丁度良いです。
つまり「色々知ってるけど、いつでも捨てられるし忘れられる、どうでも良いモノ」
というスタンスです。
これはいつでも自分の本質は「無」であるということに還るスタンスでもあります。

最初のうちは色々悩んだり、何だかんだとメソッド探しをするのはしょうがないかもしれません、
しかし「実はそんなもの必要無かった」という事に気付く近道は、
今まで知識として蓄えてきたものを捨てる瞬間だったりするのです。

真面目で常識人で頭の良い人ほど、スピ系に手を出すと悩むかもしれません(真面目で常識もあり、
頭も良い人は最初からこんなブログ読まないのではというツッコミはこの際無視します)

そういった人ほどしっかりと「自分」というコマを盤上に置き、「このコマを望み通り動かすには
いかにすべきか」みたいに真剣に考えてしまいます。

「自分」ありきで、色々叶えたい願望とか悩みがある「自分」をうまく動かさなくてはならない、
なってしまうわけです。本当はそんなコマ無視してちゃぶ台返しを炸裂させればすむ事なのに、
「ここから逆転する手筋」とか「一発逆転定跡」とかを考えてしまいます。

前回も書きましたが、読者の皆さんで「よくわかりません」という内容のメールを送ってくる方も
ちょこちょこいるんですが、そういう方は大体文章もしっかりしてて頭良さそうな印象なんですよね。
つまり「色々知っているが故に盤面を引っ繰り返すという発想になっていない」のではという
感じを受けます。

逆に「すぐにわかりました」とか「やりましたウヒョー」とか送ってくる方々は
印象としてかなり馬鹿っぽい「あまりよく読んでいない、フィーリングで感じてる」感が
強いです。

これは別に真面目な人が悪いとかそういう意味ではなく、真面目に読んでくださっている方は
すでに知識はあるのですから、後はそれにこだわらずに、というかこだわろうとするエゴに
気付けば良い
のですよ、という話です。

まあ結局はこういった提案も、文章にすると「メソッド」になってしまうんですけどね。

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男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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