忍者ブログ

知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

HOME • Admin • Write • Comment
基本的に思考は願望の実現には殆ど必要無いものです。

思考は「~をしよう」とか「~する」という概念を生み出し、エゴが
それに乗っかってややこしい事になるのがお決まりのパターンです。

少々ややこしい話になりますが、あなたが何か動作を起こしている時に
どんな動作をしているかを判断するのは全て過去に対してです、
手を挙げようが足を踏み込もうが全て「手を挙げてから」あるいは
「手を挙げている途中」に思考で「今、手を挙げている(挙げた」と
判断しています。つまり「手を挙げる」という動作と、その動作を思考で
認識するまでにタイムラグが生じるのです。


これをそのまんま願望の実現に当てはめると、「何かを得たい」という意図と
「何かを得ようと今、思っている」という「思考」にも同じようなタイムラグが
生じています。
先の手を挙げる挙げないの例で言えば、「手を挙げよう」という
「意図」と「今、手を挙げている(挙げた)」という「思考」は同時に発生しないと
いう事に改めて注目してください。


「願望はそれを思った瞬間に叶っている」とはスピ系の成功本なんかでよく見る表現ですが、
正確に言うとそれが「意図」である場合は「願望」という属性すら持ちません。
せっかく「意図」すれば良いだけなのに、思考と、それに乗っかったエゴの仕業で
「意図」が「願望」という「色々やらないと叶わないもの」(と、エゴが認識している)に
クラスチェンジしてしまっているのです。


もう一度「手を挙げる挙げない」の話に戻りますが、この「手を挙げる」という動作も
思考によって確認作業をするから初めて「手を挙げている(いた)んだ」と認識できるわけで、
思考が入ってこなければそこにはもう純粋な意図しかありません。
何をしたか、なんて認識していないので気が付いたら意図を果たしている状態であり、
文字通りワープであります。

つまり「今、何してたんですか?」と言われても「知らんモンは知らん」となるわけです。

「どうやって願望を達成したんですか?」「どういうメソッドをしたんですか?」
それらの質問に対し「思考」を用いて「多分このようにやったのだと思います」と
説明するのは可能です、しかしながらそれは「多分こうやって手を挙げたんだと
思うんだけど・・・」と言っているのと同じ事です。つまり説明している当人は
その時「意図」していただけで「叶えよう」としていないのです。


「叶えよう」とするのは「願望」です、そして「願望」は叶ってしまうと
消滅してしまうので、絶対に叶いません。
メソッドを追い掛け回しても意味が無い理由はここにあります。
結局、全ては自分の中に眠っているんです。

実際の所、自分がどういう角度でどんなスピードで、いかなる入射角で手を挙げたなんて
わかるわけないですよね(わかるって人がいたらゴメン)でも聞かれた以上は
思考を使って「多分こうやって・・・」と答えざるを得ないわけです。

でも、それって思考での後付けなんで答えてるようで答えになってないんですよ。
夜寝てる間に別の部屋に移動してたら、起きてから「そういえば車に乗ってたような・・・」とか
後付けで色々と理由を探すのに近いです。まあ実際寝てる間に別の部屋に移動してたら
願望実現とか以前に拉致された可能性が高いと思いますけど。

今日は少しどころかかなりややこしい話でしたが、いきなり思考を止めて
どうのこうのはちょっと難しいかもと思ったので書いてみました。
まずはエゴや思考の仕組みに気付き、いかに自分が「今」から外れているかを認識すれば
思考を超えた「何も知らん」状態を垣間見れるかもしれません。
PR
思いのほか読者の皆さんからメールを頂いてとても感謝しています。
いつも同じような事しか書いてないブログでも、読んで頂ける方が
いると思うと、知らんモンは知らんで済ませるのが果たして良いのだろうかと
悩む次第です。

今回も、まあ同じような話なんですけど、昨日の記事の補足的な意味合いで
書いてみようかと思います。

昨日の記事で、夢や希望はエゴのおやつみたいなものだと書きました。
このおやつに釣られると「夢と希望を持って願望実現に頑張る」みたいな
エゴが用意したポジティブストーリーに入り込んでしまいます。

そのポジティブストーリーの結果は、叶ったり叶わなかったりだと思われます、
エゴはさらにおやつをチラつかせて、あなたにポジティブストーリーを続けるように促すでしょう。
結果として「さらに夢と希望を膨らませ」あなたは前進を続けると思います。

前に進んだ先には、様々な成功法則やスピリチュアルな教えが待っています、
どれもこれも魅力的な内容で、あなたは夢中になって研究するでしょう。
そして叶ったり叶わなかったりを繰り返しつつ、なんとなく適う事が多くなってきたように
感じ始めると「これで正しいんだ」と思うと同時に、適わない事が出てくると「まだ何かが
間違っているのか」とも思い始めます。
そして延々と成功メソッドを探し続けます、「希望に胸を膨らませ」ながらです。

もう今までにこれだけ似たような事ばかり書いてあるブログを読んでいる人ならピンと
来たと思いますが、上記の例は完全に「エゴが作り上げたポジティブストーリー」の中で
踊らされている典型例です。 夢や希望という「未来」に焦点を向け、「今」に在りません。

これでは叶ったり叶わなかったりは当たり前です。何故ならそうでないと「未来への希望」に
焦点が合わないからです、勝利と敗北を繰り返すからこそ「未来への希望」は生まれるのです。
なんでもかんでも満たされてしまったらポジティブストーリーは終わってしまいます、
それはエゴにとっての終焉を意味します、ですから何が何でも終わらせまいとエゴは頑張ります。

今まで色々と研究や実践をしてきたメソッドの類がいつの間にか「エゴの作った
ストーリー」の演出の為に利用されていないか注意すべきです。

それは「希望」という皮を被り、いかにも味方だよという振りをして隣にいるのです。

エゴの作ったストーリーに気付き、それまでのストーリーに絡んでいた信念や思考は
全て幻であった、
と認識していけば、最後には何も残らないでしょう。
その何も残らない状態が「今」であり、「何もしない」状態です。
度々書いている「思考を止める」という事ですが、何故思考を止める事が
大事なのかと言いますと、エゴは思考をとっかかりにして活動を始めるからです。

大体、痛いとか苦しいとかの一般的に「ネガティブ」とされる思考にくっついて、
起きてもいない未来の事や、後悔している過去へとタイムスリップして
「こうなると嫌だから」、あるいは「もうこうなるのは嫌だ」
「だから~をしなきゃいけない」という思考へと導きます。

「だから、瞑想しなきゃダメだ」「だから、神に祈らないとダメだ」
「だから、ナントカメソッドをやらないとダメだ」

「だから、このブログを読まないとダメだ」(一番ダメです、すぐにやめましょう)

前もちょっと書きましたが、エゴに「今」を明け渡していると、結局そこを起点にした
未来も過去も、エゴによって操られた、エゴにとって心地の良いストーリーの中に
いる事になってしまいます。これは無理矢理ポジティブシンキングをして
表面上は希望に満ちた思いで満たしても同じ事です(希望に満ちて未来に向け頑張る、という
エゴが用意したストーリーにいるだけです)


語弊がある言い方ですが夢も希望も無いんですよ、夢も希望も
エゴが消滅しないために用意したおやつみたいなもので、それに釣られると
見かけはポジティブに頑張ってる感じになるのでやっかいと言えばやっかいです。
「今」をエゴに明け渡さなければ、夢や希望が生まれる余地はありません。
何故なら「今」に不足は無くなってしまっているからです。

不足が存在するから「それらの不足を解決できる!」という「夢」と「希望」が生まれるわけで、
不足を感じなければ夢も希望もクソもありません。(ついでに「不足だらけだ」という「絶望」も
生まれません
)思考が止まると、不足も無く、夢も希望も絶望も無い世界が見えてきます。

それは非常に味気ない世界なのでしょうか?違います、とても愛に満ちた(この表現も
伝わりにくいからあんまり使いたくないんですけど)
世界です。

エゴに操られている時は、ゲームで言えばプレイヤーの立場です。難しい面をクリアしたり、
強いモンスターの尻尾を切ったり、皮を剥いだり、生肉を焼いたりする事に喜びを見出します。
(実際は喜びを見出しているのはエゴです)

でもクリアできなかったり、逆にモンスターに踏み潰されたりして、うまくいったり、いかなかったり
の繰り返しです。今度こそクリアするぞという希望、あるいはもうこんなクソゲーやってられっかという
絶望が現れては消えていきます。

エゴに気付き、エゴからの解放を垣間見ると、今度はゲームをアップグレードする
プログラマーの立場へと視点が変わります。プログラマーにとっての喜びは、自分の創った
ゲームの世界が完璧に調和している事です。そこには希望も絶望もありません、
ただ純粋に「在る」だけなのです。そこに無常の喜びと幸せが感じられるのです。

ですから「今」考えている事は本当に純粋な「今」なのか注意してみて下さい。
知らず知らずの内にエゴが作り出したストーリーを生きていないか
感じてみる事が大事です。もしも「エゴが作ったストーリーの中にいる」と気付けたら、
もうそれで終わりです。幻に気付けたら、もう幻には何の力もありません。
スピ系に必ずといっていいほどついてくるのが「瞑想」ですよね。

瞑想についてですけど、私個人は瞑想を専門的に習ったとかそういう事は
一切ありません。せいぜいwiiフィットでやった事があるぐらいで、
専門的な瞑想の本とかも読んだ事がありません。

布団の上でゴロゴロしてる時なんかに、勝手に湧いてくる様々な感情や思考を
ただあるがままに感じる、という事はヒマ潰しにたまにやりますけど、これを果たして
瞑想と言えるかどうかは微妙ですよね。傍から見るとただ単にゴロゴロしてるだけだし。

度々紹介している書籍「過去にも未来にもとらわれない生き方」だと、
上記のようなゴロゴロ瞑想でも瞑想だ、みたいなニュアンスで書いてあったような気もしますが、
要はあまり形にこだわらずに「今」に在れば良いのではとも思います。

あと願望実現メソッドとかだと、瞑想して変性意識(?)みたいな状態になった時に
願望をイメージすると実現しますとか書いてある本も大昔に読んだ記憶が
あるんですけど、これは瞑想にかなり熟練していないと難しいのでは?というのが
個人的な感想です。瞑想をツールとして扱うと、結局はエゴが大暴れして
堂々巡りになりそうな感じがしないでもないですね。

あくまでも「今」を感じるツールとして瞑想ぽい事をやるなら、逆転の発想で
騒音とか話し声とか聞こえてくる騒がしい状況でやった方が良いのではとも思います、
何故かというと「うるせー音」とか「心地よい音」とか判別しているエゴに気付けるからです。

さらに一歩進んで、沈黙を「沈黙である」と判断しているのもエゴである事に気付ければ、
全ては一つであるという真理に近づく事が出来ます。

つーか、今日のタイトルはちょっと苦しかったなあー
最近のすき家はかつての「ホワイトシチュー牛丼」のような牛丼の概念を
覆す、ファンキーかつCOOLなメニューをやらなくなってしまって残念です。

ここ数年成長著しく、業界トップも見えてきたので守りに入ったのかもしれませんけど、
バナナ牛丼とかマンゴー牛丼とかブッ飛んだ新メニューに期待したいですね。
あとやたらと強盗に入られまくっているようなので防犯をしっかりやれって感じです。

個人的には去年の夏辺りに登場した「ニンニクの芽牛丼」が脱落し、「セロリ牛丼」が
ちゃっかりレギュラーメニューに入ったのが解せないんですけど、
これはスピ系の観点で言えば、愛を送るのが足りなかったせいでしょうか。

まあ私もニンニクの芽に愛を送るほどヒマじゃないんでしょうがないですね。

カレンダー

03 2026/04 05
S M T W T F S
1 2 4
5 6 7 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 22 23 24 25
26 27 28 29 30

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
知らん
性別:
男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

合体と恐竜は男のロマン

メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
☆を@に変えてお願いします

バーコード

ブログ内検索

P R

アクセス解析

Copyright ©  -- 知らんモンは知らん --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]