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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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あなたを形作っているのは他でもないあなた自身の概念です。
朝、起きるといつもの布団かベッドに寝てて、いつもの部屋に居て、
鏡を観るといつもの顔がある。

こうしてあなたは「自分である事」を確認するわけです。
朝起きたらグランドキャニオンの頂上だった、なんて事に
なったらパニくると思います。何でパニくるのか?いつも無意識に作っている
「自分」という設定が狂うからですね。四畳半の部屋に寝ているのが
デフォルトなのに何故グランドキャニオンなんだ、となるからです。
久々に大規模MMOにログインしたら自分の家が無かった、みたいな感じです。

恐らく誰もが毎朝この「自分」を形作る儀式みたいな事をやっています。
そして形作った「自分」に様々な制限を設けています。

制限をやめましょう、と言うと「それでは明日の朝から起きるたびに
完璧だ!と唱えます。爽やかな日の光に感謝します、愛を送ります。
四畳半ではなく豪華な部屋で目覚める私をイメージします」とか
思ってしまうかもしれませんが、それも制限です。そんなくさい台詞唱える必要なんて
ありません、
四畳半から愛を送られても困ります。それよりも「何もしない」事です。

今までオートマチックにやっていた「自分」を作る儀式をやめる事です。
「自分」というキャラ作りをやめてしまうのです、それだけです。
それだけで、何かに気付けます。

いい加減ウルティマオンラインやモンハンから卒業しましょう、
無意識にログインしてプレイヤーになるより、アップロードをする運営側に
なろうじゃありませんか。どんなレアアイテムだろうが、運営側が操ってるんですから。
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「世界は全て自分でありどうのこうの」という言葉は、エゴ視点だと非常に理解が困難な
言葉であります。というより理屈で説明するのがぶっちゃけ無理かもしれないです。

強引に理屈でまとめると次のようになります。まず世界とは、というか自分が知覚できる
ありとあらゆるものは万華鏡を覗いた時に見える模様のようなものです。
万華鏡の模様を構成しているのは、ビーズとかの欠片ですが、この欠片がエゴであります。

万華鏡は欠片が動き回る事で配置を変え、模様を作り出します。欠片の立場からすれば
あっちいったりこっちいったりで落ち着きません。

「もうこんな生活ヤダ!」と欠片は叫び「幸せになるメソッド」を買う事にしました。
でも、たまにうまくいったりいかなかったりで欠片は満足しません。
今度は「幸せになるスーパーメソッド」を通販で買いました。 前よりは事態が好転したように
見えました、でもやっぱり満足できません。今度は「幸せになるウルトラメソッド」をローンで買い、
それでもダメなら「ハイパー」になり「アトミック」になり・・・とキリがありません。
ついには「欠けるモンは欠ける」という胡散臭いブログまで発見して読み始める始末です。
果たして欠片は幸せになれるのでしょうか・・・。

ここで視点を変えて頂きたいのですが、万華鏡の模様はとても美しいものですよね、
欠片の立場だと自分がいかに美しい模様の一部になっているか理解できません、
あっちゃこっちゃ動き回されているだけに感じています。
しかし、万華鏡の模様は間違いなく美しいのは事実です、この万華鏡をグルグル回して
美しい模様を作っているのは、神の意思です(あんまりこういう表現使いたくないんですけどね、
宗教クセーし)


神の意思に逆らって事態をエゴの都合の良いように制御しようとするからそこに苦しみが
生じるのです(くどいようですが、宗教的意味合いはありません)
万華鏡の欠片ではなく、万華鏡を回している神の意思に目覚めたとき、あらゆる不安は消え
最初から完璧だった事に気付けるのです。

「願望を実現したい」 この言葉には「自分にとって(エゴにとって)都合の悪い事は制御して、
都合の良い事だけを取り入れたい」という意味が含まれています。
つまり良い事も悪い事もコントロールしたいという欲求が隠されているわけです。
しかし万華鏡の欠片がそんな事出来るわけありません、欠片が強引に踏ん張って動かなくなったら
それはもう美しい模様を形作る欠片ですらありません、万華鏡を回す神の意思からすれば、
単なるゴミです。もういらない、と言われるでしょう。すなわち世界との分離です

せっかく美しい模様の一部だったのに自ら分離をすれば、さらなる苦しみが待っています。
「足りない」「何も持っていない」という不足をバリバリに感じる事でしょう。
そしてそれらを少しでもコントロールしたいと、終わりの無いメソッド探しの旅を続ける事になります。

ですからそんなコントロールの欲求はやめましょう。
良いも悪いもありません、万華鏡の欠片は美しい模様から美しい模様へと変わっていきます。
今まで隣にいた人、あるいは物が失われることもあるかもしれません、でもそれは別の
美しい模様になるために万華鏡が回ったからそうなっただけなのです。
エゴの視点からすれば「大切な人と別れた」「大事な物を失った」になるでしょう、
しかし神の意思からすれば、それもまた別の美しい模様になっただけなのです。

理屈で理解するのは非常に困難かもしれませんが、結局不足なんて最初から無かったんです。
他のステーキ店より半額近く安いステーキ店を発見しました!

ステーキ食い過ぎで苦しくなって、ブログに書こうと思ってたことを
すっかり忘れてしまったので、今日はステーキ食って腹一杯という事しか
お伝えする事がありません。

安いステーキ店を引き寄せました!! なんつって!
「今に在る」という言葉もスピ系ではお馴染みのフレーズです。
今回は「今」特集という事でお話します(タイトルに深い意味はありません)
私たちは普段から、色々な事柄や物に対して注意を向けています、
そして注意を向けたものに対し、思考でリアクションし、思考がまた新たな
思考を生み、無限にリアクションを続けます。

これは常に妄想の世界に居続けるのと同じです。
基本的に思考によるリアクションは「過去」に対する後悔、もしくは「あの頃はよかった」的な
思い、そして「未来」に対する希望、あるいは絶望に対してのものです。

勝手に過去を「悪かったもの」「あの頃は良かった」と評価しているのはエゴですし、
勝手に未来を「素晴らしいもの」「酷いもの」と評価しているのもエゴです。
つまりポジティブシンキングもネガティブシンキングもどちらも、今、存在しないものに
対してのリアクションという事では同じです。


ここから話が少々ややこしくなるのですが、「未来」「過去」に対する評価は
どこから出てくるのでしょうか、そう、「今」ですよね。
「今」と比較して「昔はよかった」とか「未来はバラ色」とかエゴが勝手に決めてるわけで、
それに対して右往左往している状態が妄想の世界に居る状態です。

以前、「今」を感じる事は「今」を否定する事でもある、という事を書きました。
これはもっと言うとエゴが作った「今」を否定する、という事です。

例えば「なんつー汚い部屋にいるんだ」とエゴが「今」を判断し、「でもナントカの法則を
使えば綺麗な部屋に住める」と「未来」に対する期待を生みます。
あるいは「もう一生汚い部屋で暮らすのか」と「未来」への絶望を生みます。
または「昔は綺麗だったんだけどなあ」と「過去」へと思考を飛ばします。

これらは全てエゴが作った「今」によって生まれているという事に注意してください、
スタート地点をエゴに勝手に作らせたら、そこから全てがエゴのまやかしになってしまいます。
ですから「今」をエゴに明け渡さないようにするのが本当の意味で「今」を感じる事に
なるのです。そこは時間も何もない、何も起きてはおらず、これからも起きない
純粋な「今」です。

まさに「今」すぐどころかそれは常にあなたの側にあったのです、
エゴが見えなくしていただけだったのです。
前にちょっとだけ認識を変化させてどうのこうのと書いたかもしれないんですけど、
「認識が変わる」事は別に絶対追い求めなくてはならないものでもないです、が
あらゆるスピ系の願望実現メソッドはこの「認識の変更」によって
感覚的に理解しやすくなるかもしれません。
あくまで私の経験ですが、これはどうも段階みたいのが存在するっぽいようです。

私が「認識の変更」ぽいものを最初に体験したのは自転車に乗って信号待ちしている
時です。本来はその前にメチャクチャにストレスがたまる事があり、そのストレスと
戦いつつ、何となくエゴの正体に気付きつつあったのですが、その辺は書いてもつまんないんで
ハショります。

これからお話しする話は、ちょっとブッ飛んだトンデモ体験かもしれないですが、
信号待ちをしている時に突然、その場から「私」がいなくなってしまったのです。
もちろん目の前に信号機もあり、車も普通に走っています。でも、それらを認識している
「私」がいなくなってしまいました。いなくなったというより、その空間を構成している
全てが、あるいはその空間を空間として認識している何かが「私」になったのです。

私はこの時、ものすげー焦りました。
必死に「そこからいなくなった私」を探そうとしました。探すと、いつもの感覚に戻り
いつもの「私」を認識しました。この時以降、私は「いつもの私」はエゴの幻想であり、
幻想の向こう側に在る「本当の自分」を垣間見た感覚を持ちました。
これが「認識の変更」の初期段階だったのかもしれません。

私の体験と似たような話は以前お勧めした書籍「過去にも未来にもとらわれない生き方」にも
色々と書いてあります(バス乗ったら自分の体の後ろにいたとか、歩いてたらいきなり全てが
消えたとか)私自身もこの本を読んで「もしかしたらちょっとした目覚めの体験
だったかもしれない」と思ったわけです。(まあ単なる病気だけだったかもしれないんですけど)

ただ「ではどうすればそのような事を体験できるのか?」と突っ込まれると困ってしまうんですよね。
私自身も別に体験したくて体験したわけじゃないんで。
と言っても「認識が変わる」と思考は存在しない感覚になるので、
やはり思考を止める事から始めると良いと思われます(こればっかしでスイマセン)

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男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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