当ブログでも自由意志があるとか無いとかだいぶ前の
記事でも書いた記憶がありますが、そもそも自由意志とは
その意志を操る主体が無ければなりません。
例えば何らかのネガティブな感情があるとして、
それをポジティブなものに変える、あるいは気にしない
とか色々ありますが、そもそも何かの弾みでネガティブな
感情が出てくるという時点で
意志を自由に操っていないですし、更にそれを何とかしようとしてもなかなか
ポジティブにならない、という事はやはり意志を自由に
操る事が出来ていないので自由意志は無いという事に
なります。
更に話を進めると、そもそも何かの弾みで現れた
ネガティブに感じるものというのは、まさに文字通り
弾みで出てきたものですから本来は別に居ても居なくても
どうでも良いものなんですよね。
しかしそれを何とかしようというのは、そのネガティブに
影響を受けるであろう私が在ると錯覚しているからで
あります。
つまり自由意志がある無い以前に、存在しないものを
常に探してしまっているのですね。
スピリチュアル系の話だとどうしても真理を見つけました
とか高次元の存在を感じましたとかの言い回しが
多いので、探した果てに何かが見つかると思ってしまうの
ですが、そうではなくて探しても見つからない、
元から無いという事なんですね。
なので自由意志があるとか無いというのも、
そもそも意志を持って何かをする主体が実は存在しない
わけで、こうして主体と客体は統一されるのであります。
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