「スピリチュアル的に言うと姓や名前とは
その人を縛るものではないか、つまり最近において
夫婦別姓が認められつつある事は縛りが無くなる
良い事ではなかろうか」的なメールを頂きました、
ありがとうございます。
どうなんでしょうかねえ、正直あんまりスピリチュアル
と
関係無い気もするんですが、確かに人の名前に限らず
我々は何かを判別する際に名前で判断しますから
例えば怒りの感情も「怒り」という名前を付けた段階で
初めて認識するので、怒りが先に来るのではなく
感情が先に来て、それからそれに最も適した名前を
引っ張り出して名付けていると言えます。
なので名前を無くすというのは確かにスピリチュアル的に
言えば全てとの一体という意味では意義があると
思います。
話を夫婦別姓に戻すとですね、個人的な話をすると
私の苗字って田中とか山田レベルのメチャクチャ簡単な
漢字なんですよ。対して嫁さんの旧姓は難しい漢字
使うんで、
「苗字書くの簡単になった事だけは結婚して
良かったと思ってる」と言われた事があって、
これを聞いてからちょっと閃いたんですが、これからは
夫婦別姓ならぬ
夫婦創姓、つまり夫婦になったら二人で
名乗る姓を新たに決めれば良いと思うんですよ。
佐藤とか渡辺とかありふれた姓を名乗るのはつまんない
ので私たち今日から西園寺になりますとか、
旦那の苗字が煉獄で漢字がクソ難しいので私たち今日から
丸山にしますとか、二人で気に入った苗字を名乗れる
ようにすれば良いんじゃないかと思います。
もう今の日本人はいわゆる"家"の意識とか無いですしね。
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