前回の記事で
「世界の波のようなものに乗ろうぜ!」的な事を書きましたが、
補足するとこれは、矛盾するようですが
「何かをしよう」としない事です。
何かをしようという事は、それに対する対立を生み出すのであります。
ですから
見ようとしない、聞こうとしない、何もかもしようとしない、のが
良いのです。
見ようとしなくても、目を開けていれば何かしらは視界にあるでしょうし、
聞こうとしなくても、何かしらの音は聞こえてきます。
それが自己のフィルターを通さないで、ダイレクトに創造されたものです。
雨や風は、自然の力、宗教的に言えば
神のパワー、このブログで言えば
すき家の意志が
創造したものであります。雨を起こそうとか風を起こそうとすると、
「何故、上手く行かないのか?」「どうすれば良いのか?」という概念がぶつかり合います。
これは、神のパワーをわざわざ塞き止めている状態であります。
ですから
自己を神の操り人形として預けてしまえば良いのです。
映画
「マトリックス」で
「速く動こうとするな、速いと知れ」みたいな台詞がありますが、
まさに何かをしようとするのではなく、既にしていると知るのであります。
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