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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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私は幼稚園か小学校一年の頃に子供向けの
オカルト本で初めてノストラダムスの大予言
知ったんですけど「1999年人類は滅びる!」
という内容に幼い私は衝撃を受け、
「なんてこった、こりゃあクックロビン
音頭なんてやってる場合じゃないやんけ!」
と絶望しておりました。

その後も厨房の頃にはマガジンのMMRとかで
やはりノストラダムス特集をやったりして 
私の世代だとノストラダムスの大予言て
特別な響きを持っていると思います。

で、今回の話の要点はノストラダムスじゃなくて
これが仮に「2999年人類は滅びる!」だったら
「なーんだそんな先の事どうでもエエわ」
スルーしてたと思うんですよ。

つまりすごい先の事考えると「もうその頃は
死んどるやんけ」と自我が判断するので
一時的に自我が消滅するのに近い感じに
なるんですよ。

そうするとあら不思議、悩みも何もかも 
消えてしまうんですね。
まあこれは当たり前で自我が認識不能と
判断するとそこから先は"無い"ことに
なりますから悩みもクソもありません。

これを逆に言えば、悩みだ願いだというのも、
結局は自我の判断から生まれる幻に近いと
いうことであります。

1999年に人類は滅びる!に対して、
どうしようこうしようと思い悩み潜在意識やとか
神に祈るんやとか色々やるかもしれませんが、
これが2999年人類は滅びる!だと
( ´_ゝ`)フーンとなるのは"消滅"しているで
あろうと自我が勝手に判断するからです。

なので常に自我に惑わされるぐらいなら
数秒後に自分は死ぬと思ってるぐらいで
ちょうど良いと思います。

数秒後に死ぬなら過去の後悔も未来の不安も
色々感じようがありませんし、無理やり
今に集中しようとかも必要ありません、
今と一体にならざるを得なくなるからです。

これは有名なトリックアートのルビンの
ツボ
で言えば、顔とツボを同時に
認識するようなものです。

こうしてあなたはルビンのツボで言えば、
向かい合っている顔(生)でも真ん中の
ツボ(死)でもなくルビンのツボが
描かれている"場"そのものになりました。

場は普段は見えませんが、何かを書けば
場があるとわかります。というか何かしら
無いと絵は書けないですから。

つまり生きているわけでも死んでいるわけでも
無く、何かを思ったり見たり観察したり
しているものでも無い、純粋な土台です。
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私は現在埼玉県の大宮在住なんですけど、
今日から公開されている埼玉県に対する
ヘイト映画「翔んで埼玉」を観に行きました。

序盤はこのようなヘイト映画を野放しにする
アベ政治を許さない!とか思いながら
観てましたが、中盤ややダレるも終盤の
怒涛の展開に何故か感動してしまいました。

これからも埼玉県人として生きていきたいと
思わせる、思ってた以上に良作でした。
ただ埼玉県人や関東在住の方じゃないと
ネタがいまいちわからなくて微妙かも
しれませんね。




これ原作の絵がどっかで見た絵だなと
思ったら「パタリロ!」で有名な魔夜峰央先生が
原作だったんですね。何と原作の初出が
1982年(!)と私が幼稚園の頃の作品ですけど
同じ時期にパタリロ!がアニメでやってたのは
記憶してるんですよ。で、劇中で
クックロビン音頭っつーのがあるんですが
私はこれが好きでよく真似して踊ってました。

あれから40年近く経って、
まさかクックロビン音頭を埼玉で思い出す日が
来るとは思わなかったであります。
「密教でいう真言みたいのを教えてもらって
毎日唱えていますが、自由意志が無いならば
このような事をやっても結局無駄になって
しまうのかと思うと不安です」
というメールを
頂きました、ありがとうございます。

私は密教とかよく知りませんけど、この方は
矛盾に気付いていないのではと感じました。

密教でも仏教でもキリスト教でも何でも
良いですが、そこの宗教・思想に基づいて
呪文なり真言なりを唱えるというのは、
自由意志を放棄して神や仏にお願いする、
つまりその後の人生を全ておまかせするという
事だと思うんですよ。

ですから自由意志が無いならばもしかしたら
全て無駄かもしれないというのはおかしいと
思うんですよね。
あると思っている自由意志から逃れて
早い話あとは野となれ山となれ、でも神様
よろしく頼んます、
という事ですから。

なので真言でも何でも一心不乱に自由意志だの
ヘチマだの思い浮かばないぐらい唱えれば
良いんじゃないかと思います。

何かあると「おお、〇〇様のご利益や!」
なるかもしれませんが、結局ご利益を
もたらしているのはわかりやすく偶像化された
神様ではなく、世界と一体となった己自身であります。
娘が一歳になってから顔も性格も悪いが
それなりに高学歴の嫁さんが、英才教育と称して
毎日絵本を読み聞かせしています。

嫁さんが言うには数学だの理科だのは
本質的には暗記科目であって実は大して
頭使わない。
人の微妙な心理を読み取ったりする能力を
育むのは国語である、読解力が一番大事、
という自分が理系のくせに数学も理科も否定する
独自の理論に基づいているそうであります。

その甲斐あってか娘の言語能力が高速で
発達し(?)ついに昨日、初めてハッキリと
「パパ」と言えたんですよ(!)

(;ω;)うおおおおおおおおおおおおおお

と感激していましたが、その後にテーブルを
指差して「パパ!」洗濯機を見て「パパ!」
ついでにママにも「パパ!」とか言い出して、
これじゃあただ単にパパって単語覚えた
だけやんけ!英才教育どうなっとるんや!
「世界との一体感を感じ世界から敵が
いなくなりましたが大金は欲しいでござる」

という欲があるんだか無いんだかよくわからない
メールを頂きました、ありがとうございます。

敵がいなくなるという事は早い話が
あらゆるものの重要度が下がる、要は
信じなくなったという事ですよね。

子供が何でオバケを怖がるかというと
オバケを信じている事で、概念としての
オバケの重要度も上がっているからです。

これが成長と共にオバケは実はいない
やんけとわかってきて、同時にオバケという
概念が重要でなくなってくるので、
少なくともオバケに関してはいつの間にか
怖くも何ともない平穏が訪れているという
事になります。

これと同じで大金云々はお金を信じて
重要度が上がっているわけであります。

まあ最後まで"信じる"のは大体お金と
なんですよ、ですからせっかく世界から
敵がいなくなったというならこの際お金も
命も無くしてしまえば良いと思います。

そうすると世界も無くなるでしょう、
世界が無くなるなら、お金も命も重要では
無くなります。例えば夢から覚めると夢の中で
出会った人もお金も全て消えて無くなりますが、
だからといってその失った世界を気にする事も無いのと同じです。

重要度が無くなれば何かを成そうとか
得ようというのも無くなります。

結構前の映画ですがマトリックス
「速く動こうとするな、速いと知れ」
いう台詞がありましたが、最初から重要なものが
無いと知れば、得るという事も無くなり、
そして対になっている失うという事も
無くなります。

何かであろうとするな、何かであると知れ、
ということです。

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