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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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オッサンがぼやく森喜朗古墳シリーズが、何故か読者の皆さんから
意外と好評だったので調子に乗って今回もオッサンのぼやきです、
もはや森喜朗氏は当ブログのレギュラーですね。

本日、安保法案が可決されたようですが、民主党の皆さんは懐かしのハマコーのように
大暴れしてるし、よくわからないデモ隊はその辺の地べたに座り込むわで、
これでは日本の政権与党は自民党一択になってしまうのもしょうがないですね。

自民党の政策は問題点も多々ありますが、それらを議論して良い方向に修正していくのが
野党第一党である民主党の役目ではないかと思います。
オッサンの国会バトルロイヤルなどあまり見ていて面白いものではありません。

国会で暴れる議員先生方は置いといて、デモに参加している皆さんは
いつ起きるかわからない戦争よりも、生活に直接関係のある経済の方で
デモをするべきではないかと思います。

このまま消費税が増税されたら間違いなく景気は冷え込んで、貧困層は更に苦しめられる事に
なってしまいます。緊縮緊縮で縮こまってるのに増税なんて、これはスーパー銭湯の
壷湯に肩を寄せ合って入っている所に白鵬が入ってくるようなものです。

大事なのは勿体無いから壷湯で我慢しやがれではなく、風呂自体をでかくする事だと
思うので、デモをやっている皆さんは今すぐ増税反対デモで財務省に突撃すべきでは
ないでしょうか。

今のままだとただ単に騒ぎたいだけとか、マッドマックスの見過ぎとかで
片付けられてしまうでしょう。

強引にスピリチュアルに持っていくと、スーパー銭湯の壷湯に白鵬がダイブしてきたら
不幸かもしれませんが、でかい風呂なら別に問題ありません。
つまり己の器的なものを大きくしていくと、不幸は消えていくのであります。

これがトコトンまで行くと、世界は私であったとか私は最初から居なかったとか
妙な事を言い出すわけですが、そんなわけのわからない事よりも身近な例をあげると、
何をやるにも平常心だとか言いますけど、結局これはその時点での器みたいなのに
左右されるわけですね。

前も似たような事書きましたが、これから小学生と殴り合いしますって事なら
平常心を保てるかもしれませんが、白鵬と殴り合いするとなったら平常心では
居られません。

やる事は同じ殴り合いなのに、これだけ違うのは、どこまで許容できる器があるかどうかの
違いであります。「白鵬と殴り合ったら死ぬじゃないですか」と言ってもその理由の全て、
つまり「体格差あり過ぎだから死ぬ」とか「横綱相手だから死ぬ」とかは
自分が自分に言い聞かせて信じているだけですよね、
まあ実際殴りあったら死ぬと思いますけど。

同じような例で、マーケットに関わってるトレーダーとか金融関係の人の話でも
突然、いつも損失を恐れていた自分が消え、まるで自分が取引を行っているとは
感じなくなったとか、自尊心なんて全て捨てちまえば良いんだとか言っている方も
居ますよね。

もはや森喜朗古墳がまるで関係無いですが、
私は人間の本能に根ざしている闘争やセックス、物欲を否定せず、
逆にそれらにこそスピリチュアル的な本質が隠されているのではないかと感じます。
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「私は今に在ることを追求し、そのような体験をしました。
しかしそれ以降二度とあのような体験や感覚が無くなってしまいました、
どうすれば良いのか」
というメールを頂きました、ありがとうございます。

まあ現象というものは常に起こっていますし、その現象の流れみたいのに
逆らう必要もありません。

簡単に言うとスーパーマリオでマリオは常にプログラミング上で処理されているものです。
しかしゲームをやっている我々はマリオが跳んだり跳ねたりしている姿を
”現象”と感じています。


実際の”現象”はプログラミング上の処理です、この処理がマリオを生み出しているのです。
我々はマリオを”体験”しているのであります。
ですからマリオは現象として存在しません、マリオは現象ではなく体験だからです。
もっと言うと”スーパーマリオを楽しんでいる私”という体験ですね。

つまり体験をした時には既に現象は通り過ぎているのです。
私は”私”という体験をしているのです、ですから今に在るようにしますと言った所で
それは今に在るという体験でしかないのです。

しかし逆説的な言い方になりますが、今に在るとか私は居ないという”体験”をしたという事は
その体験を生み出す処理、つまり”現象”の方は常に在るわけですから、
実は頑張って”今に在ろう”とかしなくても良いという事なんですね。

個人的には瞑想で呼吸を重視するのって、呼吸という現象をわざわざ体験レベルに
引き上げる事で、スピリチュアル的な何かに気付かせる手法の一つなのかとも思うんですけど
私は瞑想すると昼寝になるタイプなんで、ここは識者の見解を待ちたいですね。
基本的に森喜朗古墳シリーズはオッサンのぼやきなので興味の無い方はスルーしてください。


最近、消費税の増税に伴い還付金がどうのこうのとか言ってるじゃありませんか、
これでは誰も消費に回さずにお金を貯めこんでしまうと思います。

そもそも日本人は節約大好きな民族性がありますし、これでお金が勿体無い勿体無いで
貯めまくったら、みんな揃って貧乏まっしぐらになってしまいます。
誰も消費しないって事は企業も儲からないのですから、給料も渋ちんになってしまうのは
当然ですね。

直接は関係無いですしいい加減しつこいですが、やはり新国立競技場の件で
神の国日本が2500億円程度の小遣いすら出さなかった事から妙な方向に行った感が
あります。

今回のオリンピックは勿体無い勿体無いと辛気臭く貯め込む日本人の特性を一時的にでも
打破する絶好のチャンスであったと思うのですが、結局無駄を省け緊縮しろやの声が
大きくなってしまったようですね。

オリンピックてのは国を挙げての最大の祭りなんですから多少羽目外しても良いんですよ。
むしろここで羽目を外さずしていつ外すのか、リオのカーニバルでダンサーの姉ちゃんが
腰振って誘ってきても断るのか、私なら隣に嫁さんが居ても突撃するぞ。

話が脱線しましたが、ここ10年ぐらいでグローバル市場がどうのこうのとか言ってますけど
日本市場自体が世界的にはまだまだ強力でデカい市場ですし、そのデカい市場で
お祭りやるんですからどんどんカネかけて海外からやってくる連中にもバカバカお金を
使わせるようにした方が良いと思います。

国を挙げてゲーム大会やりますって言って、いざ参加してみたら
経費がかかるからファミコンとゲームボーイだけです、会場は大宮そごう屋上です、
賞品は十万石饅頭ですとかなったら参加者もカネ使う気になるかって話ですよ。

長年のデフレマインドを日本国民が打ち破るチャンスを自ら逃してしまった感が
ありますが、エンブレムの件といい何かオリンピック関連でもう一発ぐらい
致命的な事をやらかしそうな気はしますねえ、果たしてどうなるのでしょうか。
前回の記事を書いた時点で人類は滅亡の予定で、
私もこれじゃあメタルギアの新作出来ねえじゃねーかとムカついてましたが、
何とか滅亡を回避したようなのでとりあえず良かったですね。

何故か私に「人類は滅亡しなかったじゃないですか」と怒りのメールが
来たのですが、クレームはホピ族の暦担当者にお願いします。

スピリチュアルとこの手の予言の絡みは結構昔からあるもので、
私ぐらいの世代だとマガジンのMMRとか中学の頃に直撃したんで、
ノストラダムスにはある種のシンパシーを感じてしまいますね。
当時は宗教家みたいな人達もノストラ本出してた記憶があります。

なんたって私、二十歳ぐらいの時に高田馬場の芳林堂で
「ノストラダムス大予言原典―諸世紀」を買ったぐらいですから。
マヨラーならぬノストラーですよ。

で、「世界は全て流れ行くものなら、予言も可能じゃないの」みたいなメールも
たまに頂くんですが、これは可能と言えば可能ですし不可能と言えば不可能です。

予言とは少し話が逸れますが麻雀で例えると、麻雀て136枚の牌でやるものですけど、
どんな牌が来てどんな役が出来るかはわかりません。
しかし、わからないと言っても136枚の牌という有限の道具でやりますし、
牌は山に積まれて順番にツモっていくわけですから、誰にどのように牌が来て最終的に
どうなるってのは、まあ決まっているわけです。鳴く鳴かないの判断とかはありますけど。

それと同じで世界はただ流れて、どうなるかは大体決まっているのであります。
そしてそれをどれぐらい受け入れられるかで、大袈裟に言えば個人の(自我の)
人格や器が決まります。

例えばあなたは1時間後に財布落として10万円失いますって決まってても、
それに対して何て事だとか、冗談じゃないとか騒ぐ人の器は10万円って事です。
10万円失っても特に気にしない、そうですかわかりましたとなって
すぐに忘れる人の器は少なくとも10万円以上という事ですね。
そういう人でも、あなたは1億円失うと言われれば騒ぐかもしれません。

金額で人の器はいくらとか表現するのはあまり良い表現じゃないかもしれませんが、
これはあくまで例えです。私で例えればオヤジが怒っていると聞いても適当に流しますが、
嫁さんがカンカンになってますよとか言われれば超が付くほどビビります。

要はどのような反応をするかは、どのような人(自我)なのか、を示すわけです。

麻雀に話が戻りますが、麻雀卓の中で起きている事を様々に解釈し、
様々な反応、投影を示すのが自我であります。しかし、投影とは文字通り影ですから
自我は影と同じで、あるように見えて実在しないのです。

ですからスピリチュアルで言う受け入れろとか手放せとかは、
麻雀卓で起きている事にいちいち反応しないという事です。
麻雀にプレイヤーとして参加している限り必ず困った事は起こります、
そういうゲームだからです。
しかしゲーム自体に参加しなければ、問題は無くなります。

あいつがドラをポンしやがった、ムカつくぜとかはプレイヤーとしての解釈・投影です。
プレイヤーとしては、これは確かに問題です。
しかし、プレイヤーで無ければ投影されないのも事実です、
もっと言えば麻雀に参加していなければ、解釈自体が出て来ません。

つまり観たり感じたりしている世界は、全てが投影であると同時に、
結局はコップの中の嵐みたいなものという事がわかるのであります。
読者の方からメールで教えてもらったのですが、なんと人類滅亡の瞬間が
近づいているというではないですか。しかもその日は2015年9月3日、
何と今日!!

このあまりの急展開にびっくらこいた私が独自に調査した、というか
ただ単にグーグルで検索しただけなんですが、
これはマヤ文明のホピ族の予言に基づいているらしいですね。

なんでもホピ族の使っていた暦の最後の日付が2015年9月3日だそうです。
最初は2012年12月23日だったそうですが、うるう年を計算していなかった
という事で計算し直したところ、2015年9月3日が最後の日という事に
なったそうです。

そしてホピ族の言い伝えでは我々の文明は第四の文明世界であり、
これはお金や財産だけが価値あるものという物質主義的な価値観であって、
この第四の文明が終わる時がこの日らしいのであります。

これは最近の森喜朗古墳ネタで「お金の価値が上がり過ぎ」的な事を書いていたのと
微妙に一致するような(?)・・・!
このまま行くと当ブログの引き寄せが発動して、森喜朗古墳の建設予定地に
セカンドインパクトが起き、そのまま世界が吹っ飛ぶのでしょうか。

と、ここまで書いてきて何か昔に2015年9月って聞いたような気がするなあ
思って自分のブログ検索してみたらこの記事にしっかり書いてあったじゃないですか、
完全に忘れてました。この年(2012年)にアセンションがどうのこうの言ってたのも、
元ネタはホピ族だったんですね。

ていうか当ブログを「マヤ文明」で検索すると終末ネタが結構出てきますね、
もう全然書いたの忘れた記事が出てきて面白いんですけど(2011年10月28日って
書いてる記事も出てくる)

というわけで皆様も覚悟を決めて終末を迎えましょう。

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