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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「スピリチュアルな本とか読んでも腑に落ちない」っつーメールを頂きましたが、
別に「腑に落とす」必要など無いのですよ。
そもそも腑に落ちるとか落ちないとか、そういったものは「状態の変化」
現すものであります。

ある格言なり教えなりを思考で吟味して、腑に落とした所で
思考自体があるように見えて無いものなのですから「腑に落ちない」から
「腑に落ちた」への状態の変化を求めてもしょうがないのであります。

思考が存在するようで存在しないとは、例えば夢の中でも色々思考していると
思いますが、夢から覚めればその思考も、そして思考が始まる元となった事象も
全て存在しなかった事となります。

果たしてそこに「状態の変化」はあったであろうか、って事であります。

夢の中でも、或いは起きている時でも、我々は思考したり行動したり
何かを理解したり、何かを悟ったりしています。
つまり「状態の変化」は常に起きていると感じています。

ですから何やらスピリチュアルっぽい立派な教え的なものを知ったとき、
それを「腑に落とす」という「状態の変化」さえ起これば自分は変われるのだ、
といった(存在するように感じる)思考に陥ってしまう
のであります。

しかし起きてしまえば、または眠ってしまえば、常に起こっていると感じる
「変化」は無かった事と同じです。

なので前述の文に戻るのですが、果たして「状態の変化」などあったのか、
それ以前に変化をするものなど、最初からあるのだろうか?という
根源的なものへと行き着くのであります。
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昨日も書きましたが、波は海を操ることはできません。

海からすれば波は自らの一部なのですから、存在自体意識されていないでしょう。
波は海から独立していると思い込んでいるだけで、海からすれば存在しているという
意識すら無いものなのであります。

肉体の細胞はそれ自体が肉体の一部であって、細胞が一つ一つ自我を持っていたとしても、
肉体からすれば知った事ではないでしょう。

もちろん顕微鏡とかでこれがアンタの細胞ですよとか言われれば、
へーそうなんですかとか思うでしょうが、だから何って感じですよね。

そうすると、じゃあ私が死にそうになっても誰も助けは来ないのかとか、
明日借金取りが来るんですけど私は東京湾に沈められるしか無いんですかとか
色々不安になると思うのですが、結論から言うとそんな事はまさに
知らんモンは知らんですよ。

そういった不安とか恐怖は、今起こっていない事に対してああでもないこうでもないと
思っているだけで、起こっていない事に対して色々と妄想をしても
しょうがないのであります。

そもそも起こっていない事に対する恐怖なんてのは文字通り妄想なのですよ。
ゴキブリ嫌いな人がゴキブリ見た瞬間にドヒャーと叫んでいる時は、
ゴキブリを見る前にゴキブリが出たらどうしようとか何だとかの不安も恐怖も
吹っ飛んでいるでしょう。

ドヒャーの後に恐怖が襲ってくるかもしれませんが、
それも「もしかしたら家中に卵産んでるかもしれない」とか「顔面目掛けて飛んできたら
どうしよう」とか、ドヒャーの瞬間だけ今に在って、すぐに未来への妄想へ
飛んでいってしまうのですよ。

ですから未来への恐怖であれこれ無駄なお喋りを頭の中で繰り返している方は、
本当にその恐怖の対象が現れた瞬間に、その恐怖を感じる事が出来るかどうか
考えてみてください。その瞬間と恐怖が共存出来ないのなら、恐怖は幻であります。







ちなみに私はゴキブリ全然平気な人で、素手で掴めって言われたら掴めちゃうぐらい
平気です。そんな私でも若かりし頃に住んでたマンションでトンデモなく馬鹿でかい
ヘラクレスオオカブトみたいなゴキブリを見たときはさすがにちょっと戦慄しました。

あの瞬間に私は今という瞬間に在る事を学んだのであります(?)
あれはもしかしたらゴキブリに姿を変え、私にその事を伝えに来た
高次元な存在だったのかもしれません。

私は高次元存在の降臨に感謝しつつ、新聞紙を丸めて派手にブッ潰しました。
ありがとう、高次元存在。
以前も書きましたが、我々が認識している世界は全て幻であります。
これは夢から覚めれば夢の中の人も、夢の中の世界も、そして夢の世界にいたはずの
自分も消えて無くなるのという事が分かりやすい例だと思います。

これは逆に言えば眠りにつく時は、起きている時に感じている私自身が消えてなくなると
いうことであります。やはり起きている時に感じている肉体や思考も幻なのであります。

しかし我々は確かに存在しているという実感を持って生活しているわけで、
その”実感”のバックグラウンドになっているものが、本来の”私自身”なのであります。

バックグラウンド自体は、眼球が眼球を見ることができないのと同じで
決して見ることはできません。なので神を見たとか高次元な存在に会ったとか
変なモンに目覚めたとかは全て”分離した自己”が見せた幻であって
本質的なものではありません。

結局はそういった幻も、バックグラウンドを操作したいという思いの
現れみたいなもんで、これは眼球に映っている建物とか風景が眼球を動かしたいと
思っているようなもので、無理な話であります。

眼球を動かすのは筋肉であって、さらに言えば脳の指令であって、
もっと言えば眼窩が無ければ眼球自体存在出来ないわけで、つまり眼球を眼球足らしめる
バックグラウンドがやはりあるわけです。

なのでいつもの海と波の例えで言えば、波は海をコントロールなど出来ないのだから、
自由意志も持たない、極端に言えば”風景”に過ぎない思考や自我は、
ただそこに在る事しか出来ないのであります。

風景はどこまで行っても風景です。
しかし同じ風景(特定の思考、感情)に固執して、この風景こそ私であると
言っているのですから、やっぱりその風景が好きって事でしょう。

全てのバックグラウンドである事は、眠りにつく時の私がどこに消えるのか、
そして夢から覚めたとき今まで夢の世界で存在していた私はどこに行ったのか、
それを探すことでわかるでしょう。

そしてバックグラウンドに委ねる=何もしない となるのであります。
日曜日にまさかの東北方面でやや強い地震がありましたが、
昨日の与太記事はとりあえず消しました。

このブログにしては珍しい予言・予知系の記事だったせいか、
昨日一日だけでとんでもないアクセス数になってましたが、
災害に関してはやはり日頃の備えであって、こんなブログ読んで
災害を予知しようとかアホな事を考える読者が出てこない事を祈りたいです。

地震予知って言えば俳優の小林朝夫さん(太陽戦隊サンバルカンの
バルパンサー役、小林亜星の息子)が東日本大震災をたまたま当てた事で
調子ぶっこいてブログを有料化してやたら不安を煽る記事を書いたり、
何故か水を売りつけたりしてたらしいのを知った時はちょっとショックでしたねえ。

まあ小林さん自身はマジで地震予知に取り組んでいたのかもしれないですし
予知に色々と費用がかかるので有料化したのかもしれませんが、
ネットで調べる限りかなり電波系な事を言ってるんですねえ、
おまえも電波だろって言われると返す言葉も無いんですが。

サンバルカンと言えばまさに私なんかモロに世代ですし、
なかでも黄色い戦士バルパンサーはガキの頃の私のヒーローでありました。

バルパンサーはカレー好きなんですが、私もバルパンサーに憧れるあまり
カレー好きになりましたし、今だに家で使ってるコップの色が黄色という
お茶目なオッサンになりました。

何というか小林さんといい最近中核派の刺客として国会に送り込まれた
山本太郎さんといい、あまり芽が出なかった役者って妙な方向へ行く人が
多いですねえ。
前も書いたかもしれませんが、肩こりや腰痛というものは
自分自身が起こしているものであります。

そんなはずはない、と思うかもしれませんが
身体のバランスが悪かったりすると筋肉は緊張し、
それが肩こりや腰痛となるわけです(多分)

つまり肩こり腰痛は外部から襲いかかってくるものではなく、
あくまで肉体が起こしているものなのです。
血液の流れや心臓の鼓動をコントロールする事は出来ないのと
同じで、結局何一つコントロール出来るものなど無いのであります。

ですから自我によって緊張している部分をゆるめようとかしても
限界があるのです。血液の流れや心臓の鼓動を操っているものに
立ち向かっても勝てるわけがないのです。

「現実は内面の投影」とか言いますが、言葉だけだと何となく
外の世界(?)の状態を意味してるように思いますが、
感じている緊張とかも結局は投影なのです。

ある投影に対し、別の投影をぶつけて抑圧、制御しようとする場合に
あくまでこの世界(?)では身体的な緊張として出てきます。
Aという投影が緊張を生んでいるとしたら、B(リラックス)という投影を
ぶつければ万事解決的に思いますが、結果としてそれはAとBが戦いを
始める
事を意味するのであります。

なので逆転の発想で、緊張を生んでいるAをさらに緊張させれば良いのであります。
肩がこってるなら思いきり肩を緊張させてやれば、その緊張(この場合肩こり)を
押さえている別の投影が出てきます。

それは他の部分も痛くなってきたというものかもしれませんし、
あるいは何か言葉に出来ない感情の高ぶり(落ち込み)かもしれません。
いずれにせよ、戦いを続ける両者がようやく自我にも認識できるレベルまで
浮上してきたという事であります。

で、浮上してきたら緊張を解いて、これでやる事は終わりです。
今までは両者の争いを己自身と誤解して戦ってきました、
肩こりにマッサージをぶつけたり、腰痛に鍼灸をぶつけたりしてきたのです。

しかし、両者の争いを認識できたという事は、もはや争いからは自由になったのです。

この逆バージョンとして、感情から入っていくやり方もあります。
あえて感じる事を避けている感情や考えを思いきり強調するのです。

例えば金が無いとか、異性にモテないとか、顔がキモイだとかを
ガンガン認めまくるのであります、恐らく身体のどっかしらが緊張してきます。
それが、その感情を認めたくが無い故の抑圧の投影なのであります。

やはりこれも緊張しまくったら、徐々に緊張を解いていけば戦いは終わりです。
認めたくない感情は、単なる抑圧との戦いであって、その戦いに付き合っていたからこそ
いつまでも似たような戦いに苦しんでいたのであります。






人によってはこれで肩こり腰痛が解消するかもしれませんが、あんまり酷かったら
ちゃんと医者なり接骨院なりに行って下さいね。

ちなみに何でいきなり肩こり腰痛ネタに走ったかというと、
一週間ぐらい前に彼女にマウントポジションしていたら、
頑張り過ぎて腰が痛くなってしまったからです、
これは何の抑圧なんでしょうか。

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男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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