忍者ブログ

知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

HOME • Admin • Write • Comment
Aさん「いやー、実に四ヶ月ぶりの登場ですよ。もうすっかり打ち切られたのかと思ってました」

E子さん「それどころじゃないわ、いよいよ北朝鮮がミサイルをブチ込んで来るのよ。
時に西暦2013年、アジアの存亡を賭けた最後の戦いが今、始まるのよ」

Sさん「この時期に宇宙戦艦ヤマト2199の放送が始まったのは偶然じゃない、
日本人の戦闘民族としての血をヤマトで甦らせ、最終的に北朝鮮を植民地にして
朝鮮半島全てに店舗を展開しようとしているすき家の陰謀に違いない」

重信くん「これは革命前夜なんだよ!今こそ国家という暴力装置を破壊し、
市民のための地上の楽園を作る時が来た!」

Aさん「久々に出番だと思ったら何でいきなりカオスな展開なんだ、これはいつものパターンで
大宮ソニックシティのナントカマスターの元に行くしかない」

というわけでいつものパターンでナントカマスター(以下ナマ)の所へ。


ナマ「つまり北朝鮮の脅威をどうにかしたいと言うこっちゃな」

Aさん「E子ちゃんもSさんも微妙にズレてる気がするのですが、そういう事です。
重信くんに関しては中二病なんで殆ど無視しても良いと思います」

ナマ「まあ北朝鮮は今回の話のつかみの部分だから置いといて、アンタらは
世界は自分だ何だと下らない知識は持っているが、結局は何かしらの痛みや脅威が
襲い掛かってくる
という感覚から抜け出せていないっちゅうこっちゃ。
例えば肩こりや腰痛とかも、全て「自分」にそれらが襲い掛かってくると感じているやろ。
でも肩こりなんて結局は自分で肩を緊張させてるわけなんだから結局は自分が生み出してるんよ、
何一つ”襲い掛かってくる”ものなんて無い。

Aさん「肩こりとかはともかくとして精神的な恐怖や脅威を感じるのは
また別なんじゃないでしょーか」

ナマ「同じだよ、肉体的だろうが精神的だろうが、何でもかんでも受け入れる事で
本当の意味で自分は居ないし、世界も己であるとわかる。
わかった瞬間にそれらの言葉も後付けである事もわかる。」

Aさん「受け入れる事で、現実に感じている脅威や恐怖は消えるのですか?」

ナマ「そら消えるやろ、消えないとおかしい。
なんでかっつーとゴキブリから受ける不快感を消すなら己がゴキブリになれば良いんや。
ゴキブリから受ける不快感はゴキブリを観る者が居り、そこで観る者と観られる者の
ギャップが起こすからや。ゴキブリ自身は自分自身に対し不快感なんか持ってないやろ。」

Aさん「その理屈で”世界は自分”である事に気付くと、快も不快も消えるという事ですか?」

ナマ「理屈だとそうなんやけど、ここに落とし穴がある。
不快感を消すために”世界は自分だった!”という何かしらの知識、または心の在り様みたいな
テクニックを獲得すれば良いと思いがちや。
しかしそのような知識、またはテクニックでも悟りでも覚醒でも何でも良いんやけど、
それらが”ある”と思うと結局は観る者と観られる者に分かれてしまう。
何故なら”それを得る前の自分””それを得た後の自分”が出てきてしまうからや。
つまり何かから逃げるために、あるいは得るために何かを獲得しなければならない、
というのは全て間違っている。
その間違いを犯さないためにも、何でもかんでも受け入れるしか無いんよ。」

Aさん「でもそれだと”受け入れようとしている自分”も出てきてしまいますよね?」

ナマ「もちろんそうや。だから今言った受け入れるという考えも、実は間違っている。
言葉にするとそう表現せざるを得ないって事や。
何をやっても何を思っても、全て間違っているし、分離している。
逆に言えば常に最初から世界と自分は一体だったっつー事よ。
後から気付くんじゃなくて、スタート地点が既にゴールだったって事。
全ては己の外側から襲い掛かってくるんじゃなくて、己自身の内部で起きているだけの事や、
川は内部に流れ、雨は内部に降り、そしてミサイルも内部に降ってくる。
全て己なんや。己に直撃するミサイルを観察する者からしたらミサイルは確かに恐ろしい、
しかしミサイルも己自身、吹っ飛ぶ町も己自身でそれらを観察する者が居ないなら
何一つ恐怖を感じる者は居ないんや。」

Aさん「何か座して死を待て的にも聞こえるんですけど」

ナマ「そう思うって事は、まだまだ外側から己に向かってくるものがある、という
エゴの呪縛があるんやな。でもエゴを否定する事もない、結局はそれも己だからや。
エゴというわけのわからんものが外側から襲い掛かってくるのではない、と
知れば自ずとエゴも消えていくやろ」

Aさん「何か適当に北朝鮮ネタで引っ張るのかと思いきや、妙にややこしい話に
なってしまいましたね。これではまた登場が数ヶ月先になりそうです。」





今回はAさんの言ったとおり北朝鮮ネタで適当に書く予定でしたが、
書いているうちにややこしい話になってしまいました。
まあ似たような話は過去に何度か書いていますが、要は何かを求めて旅に出る必要は
特に無いっつー事ですね。
”旅に出る動機”が何であれ、結局最終的には家に帰ってくるのであります。


というわけで次にお会いする時は”戦時中”になってるかもしれませんね、なーんつって。
PR
先週あたりも同じネタで書きましたが、この前もプロ棋士とコンピューターの対局が行われ、
またもプロ棋士側が負けてしまったようであります。

まあ前も書きましたが「ゲームに参加していない」コンピューターに勝つ事は、
これからコンピューターがどんどん進歩していくに伴い、相当に困難な事になっていくでしょう。

コンピューターは将棋というゲームを行っているという認識すら無いと思います。
盤面に置かれた駒に対し、相手も無く己も無く、ただ単に様々な要素を数値として判断し、
黙々と作業を行っているだけでしょう。

コンピューターが「将棋を指している」と感じるのは人間の感情を通してだけで、
当のコンピューターはまさに簡単なお仕事をこなしているだけです。

将棋コンピューターには自由意志もありません。
与えられた数値に対し決められたリアクションを行っているだけで、
それらが人間から見た場合、将棋を指しているように見えるだけです。
突然コンピューターが自由意志をもって麻雀をやりたいとか言い出して、
7六歩の代わりにそれポンです、とかは決して言わない(言えない)のです。

我々が見ている世界も、結局はコンピューター将棋の中身みたいなもので、
普段の社会生活や諸々の出来事も自我を通して見ている、感じているから
「自由意志に基づいて生活を営んでいる」ようになるだけです。

将棋コンピューターというものは存在しているのに、それが様々な数値に対して行う
リアクションの結果は「人間」という「観察者」が居て初めて「将棋」となるのであります。
これをスピ系に強引に持って行くと、「意識」は存在するが「自我」が居ないと「世界」は
出て来れないというのに似ています。

結局我々の本質は何処にも存在しないが、何処にでも存在出来る意識なのですが、
それじゃつまんないので将棋やろうぜって事で、自我を通して様々なゲーム(出来事)を
楽しんでいるのです。

なので楽しいゲームを構成している要素全てに感謝しましょうって事で、
スピ系では愛とか感謝の気持ちとかの表現が多用されるのですね。
マリオが面白いのもクリボーやクッパのおかげです、ありがたやありがたや。

そしていつしかゲームに没頭して自我の感じる不幸や幸せを本物だと思い込んで
ああでもないこうでもないと騒ぎ出すのですが、ふとした拍子に本質を思い出し、
再び穏やかな意識へと帰るのであります。

まさに一人の人間の輪廻転生はこの繰り返しです。





余談ですが、よく昔のSFアニメとかでロボットがいつの間にか人間の心を持ち、
最後に主人公かヒロインを守ってボロボロになって「ワタシハ、アナタノコトガ、
スキニナッテシマイマシタ・・・オゲンキデ・・・・ガクッ」


で、「最後に人間の心を持てて幸せだった」みたいな展開がありますけど、
あれって「本質的な意識」として活動していたロボットに人間のエゴを植え付けたわけで、
全然幸せでも何でもないし、見方によってはかなり酷い事をしていると思うのですが、
こう思ってしまうのはただ単に私の性格がひねくれてるからでしょーか。
読者の方から般若心経の現代語訳を教えてもらいました。
ttp://alfalfalfa.com/lite/archives/6348666.html


何か怪しいラップのようなイカした歌詞(?)ですが、
言ってる事は大変に含蓄ある事だと思います。

多くの宗教も結局は殆ど同じような事を言っていると
思いますが、それをどのように捉えるかは人それぞれなので、
言葉にすると様々な解釈が出てきてしまうのが難しい所ですよね。

私も般若心経の現代語訳は初めて見たので、般若ってすごいなあと思いながら
イカした現代語訳をリズムに乗って脳内で再生していましたが、
いつの間にか子門真人の声で再生されるようになってしまったので困っています。

現在公開中の映画「ドラゴンボールZ 神と神」を暇なオッサン一人で見てきました。
以下、ネタバレがあるのでまだ見ていない方は注意してください。






全般的なノリは「ドラゴンボールZ」というよりは無印ドラゴンボールに
近いですね。やっぱり鳥山先生はギャグ漫画を描く方が好きなんでしょうか。

今回の映画で面白いのは敵が別に極悪人ではない所と、珍しく悟空の負けで
終わるとこでしょうね。
と言っても敵役の変な猫が特に悪人てわけでもないので、
何か適当にまた来るね的な感じで帰って終わりです。

映画自体は面白かったですけど、私と同世代のオッサン連中が
中学~高校あたりにやってた「ドラゴンボールZ」の映画のノリ(極悪人が
出てきて悟空がボコられてオラに元気をくれで元気玉ブッ放して
敵を木っ端微塵にして終了、みたいな)を期待するとやや肩透かしに
なるかもしれませんね。

まあドラゴンボール世代なら見ても損は無いでしょう。
私は将棋に関しては駒の動かし方を知ってる程度のヘボですが、
この前行われたプロ棋士とコンピューターの試合は観戦してました。

結果はプロ棋士が負けてしまったのですが、勝敗云々は時の運なんで
置いといて、結局コンピューターの強さって究極的には
「ゲームの中に居ながらゲームに参加していない」事だと思うんですよね。

強引にスピ系の話に持っていくとですね、
将棋ってゲームは何処にあるのかっていうと、何処にも無いんですよね。
あるのは盤と駒だけで、将棋って概念を盤を挟んだ両者が理解してないと
将棋ってゲームが存在出来ないんですよね。

これはトランプでも同じで、ババ抜きやポーカーも、トランプの中に
見出だす事は出来ません。トランプは単なる絵柄の書いてあるカードです。
ババ引いてショックなのはババ抜きに参加してるからショックなわけで、
ババ抜きじゃなかったら何でもないですよね。

コンピューター将棋も形勢判断とかは数値化してますけど、
あくまでも数値を眺めてやれる事をやってるだけで、人間のように
負けたら恥かもとか、勝ったら嬉しいとか無いですよね。

以前、「願望が叶っても喜ぶ自我は居ない」的な事を書いたと
思うんですが、言葉で言うなら上記のような感じが近いです。
つまり参加していないので起こる事柄に自我が反応しない、という事です。

何かをしたいとか思い、行動とかするのはぶっちゃけゲームです。
ゲームの中には居るのです、しかし参加はしません。

参加していないので、非常に開けっ放しというか、何が起きても
受け入れる体勢です。ババ抜きに参加していたらババが来るのは
「不幸」な事です。しかし参加していなければ別に不幸ではありません。

ややこしい言い方ですが、願望を持つのは全然結構なのです、
しかし「実現ゲーム」に参加しないという事です。
参加したら最後、自我の判断でどうでも良い事まで「ゲーム」に
関連付けて勝手に不幸になっていきます。

「実現ゲーム」は勝ったように見えても最終的に必ず負けます、
というより絶対に勝てません。
そうしないと自我は次のゲームに参加出来ないからです。

「毎日ポジティブで愛を感じてどうのこうの」で、家出たら隣の
お姉さんが笑顔で挨拶してきたら「愛の効果があった」で、
家出ていきなり猫が車に轢かれて潰れてたら「愛の感じ方がマズイ」に
なるんでしょうか、そんな馬鹿な話あるわけないでしょう。
ゲームに参加するからこんな馬鹿な話が出てくるのです。

誤解しないで頂きたいのは「毎日ポジティブ」「愛を感じる」が
間違っているという事ではないのです、勝てないゲームに
勝つためにそれらを取り入れるのはおかしいという事です。

つまり前から書いてますが「やりたい事をやれば良い」んですよ。
でもそれはゲームに勝つためではありません。




カレンダー

03 2026/04 05
S M T W T F S
1 2 4
5 6 7 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 22 23 24 25
26 27 28 29 30

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
知らん
性別:
男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

合体と恐竜は男のロマン

メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
☆を@に変えてお願いします

バーコード

ブログ内検索

P R

アクセス解析

Copyright ©  -- 知らんモンは知らん --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]